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305  作者: 灰谷 An
第1章・1年次、全日本Jr.クラブ選手権 編
8/23

008:怪物

 累は体育館の隅で、ボーッと惚けている。

 するとそこに着替えを終え帰る準備の整っている蓮がやって来て、累の事をゲシッと蹴った。

 ハッと我に返った累は周りをキョロキョロする。



「なにやってんだ? さっさと着替えろよ。こんなところで惚けてたら、次の利用者に迷惑だろうが」


「あ そうか……」


「なんだ、お前まさか一丁前に落ち込んでんのか?」



 もうとっくに練習は終わり皆んな帰る支度をしていた。

 次に利用する人たちが待ってるから、さっさと帰る準備をしろと累は注意されるのだ。

 どうにもフワフワしている累に、蓮は少し前にやったエース・樹里との1on1で負けた事を落ち込んでいるのかと何とも言えないような表情を浮かべながら問う。

 そう累と樹里の1on1は見てもいられなかった。

 11点選手の中で累は1点も取る事ができず、樹里にボコボコにやられてしまったのである。

 だから負けた事を悔しがっているのかと聞いたのだ。



「お前、良いか? うちは全国に何回も出てる山梨県内では有数の競合チームだ。そんなチームのエースが、お前みたいな、まともにバスケを始めて3年の選手に負けると思ってんのか?」


「それは……いや」


「悔しがるのも良いけどよ、それよりも負けて学ぶ事もあるんじゃねぇのか?」


「うん、それなんだよ。始めて蓮と戦った時みたいな感覚なんだよ。凄く……凄く楽しかったんだ!」



 凹んでいると思っていた累だったが、それは蓮の思い違いだったのである。

 凹んでいるのでは無く、蓮と初めて戦った時のように強者との戦いが楽しかった、という余韻に浸っていたのだ。

 まさかそうだとは思わず、蓮はゾッとする。

 そして「お前は……」と怪物であると笑みを溢す。



「とにかく何でも良いから、さっさと着替えろ! お前が楽しかったかは知らねぇが、次の利用者が待ってるんだからよ!」


「そ それはそうだね! 急いで準備するよ!」



 余韻に浸っているのは良いが、さっさと帰る支度をしないと次の利用者が来ると累を急かす。

 それもそうだと累は急いで更衣室に走っていく。

 目にも止まらぬ速さで、累は着替えて更衣室を出ると腕を組んで待っている蓮を見つける。

 佇んでいる蓮に累は駆け寄り「待っててくれたの?」とニヤニヤしながら聞いた。

 その顔にイラッとする。



「テメェだけが残ってたら、クソ親父にどやされるんだ。テメェのせいで、どやされるのが嫌なんだよ!」


「そっかそっか。何にせよ、ありがとう」


「だから違うぞ?」



 大輔に怒られるからという風に言っているのを、累は照れ隠しだと思って、さらにニヤニヤするのである。

 そのニヤケ面に蓮はイラッとした。

 帰ろうと2人は出口の方に歩いていく。

 すると向かいから「おう! 蓮っ!」という蓮の名前を呼ぶ声が聞こえて来る。

 2人は声のする前を向く。

 そこには短髪のボーイッシュ中学生が「ふふん!」という感じで立っていた。



「誰かと思ったら、凛じゃねぇかよ。なんだよ、お前ら午後からの練習なのかよ」


「ん? そっちのは誰だ? 今まで見た事ないけど、もしかして噂になってるセレクション生か?」


「あぁ池田だ、噂になってるほどじゃねぇよ。まぁそれなりにセンスがある……ってくらいか」



 2人の前に現れた凛という女子は、レッドスターズの女子部門の同級生である糸倉 凛(いとくら りん)だ。

 凛は累の顔をジッと見る。

 女子とは姉の2人としか接して来ていないので、顔を近づけられて人見知りしてしまう。

 どうやら女子部門でも累が噂になっているらしい。



「蓮くん、この人は?」


「凛か? コイツは女子部門の選手で、こう見えて期待されてるらしいぞ。まぁ俺の足元にも及ばないけどな」


「おい! その言い草はなんだよ!」


「どうでも良いけど、練習に遅刻しないのか? もう皆んな集まってるみたいだぞ?」


「や やべ! そ それじゃあな!」



 絡まれたら面倒だからと蓮は、練習に遅刻するんじゃないかと言うのである。

 確かに遅刻しそうだと言って凛は更衣室に走って行く。

 累は走っていく凛の後ろ姿を見ていると、蓮が「さっさと帰るぞ」と言ってから歩き始めた。

 蓮に駆け寄って、一緒に帰るのである。



「それでどうだったんだ? エースの樹里さんと戦ってみて、何か収穫でもあったか?」


「収穫……圧倒的な実力差がある」


「そんなのは、やる前から分かってんだよ。戦ってみて、どうだったのかを聞いてるんだ」


「全身から出てるオーラが普通の人とは違ったし、何より1つ1つの基礎がズバ抜けて上手かった。俺の攻撃の時も下から上まで観察されて、とことんまで先読みされているような感覚……って言えば良いのかな?」



 歩きながら1on1の感想を聞いた。

 フワッとした感想だったが、累の言っている事が樹里の全てだろうと蓮は思う。

 そして何よりもオーラが普通とは違う。

 これに関しては相対して見ないと分からないだろうが、向かい合うだけで数字以上に大きく見える。

 大きく見えるというので相手の選手のオフェンスやディフェンスのテンポが崩されるのだ。



「あの人は地頭も良く、相手の事を厳しく観察する事で周りから〈Dr.J〉というあだ名で呼ばれているんだ」


「な なにそれ!? 凄くカッコイイ!?」


「それに全日本Jr.クラブ選手権で、良い結果を残す事を条件に、ある高校から特待の話も来てるらしい。高校バスケの名門中の名門《宮城大学附属明王》だ」


「そこって強いの?」


「当たり前だろ! 明王はウィンターカップを6回、インターハイを1回と優勝している名門校だ」



 エースである樹里は、全国に名を広めている選手。

 そんな樹里は、ある高校への進学を希望している。

 その高校こそが計7回の全国優勝の経験があるバスケをしている人間ならば誰でも知っている名門校《宮城大学附属明王》高校である。

 しかし4月時点で、これだけの名門校ならば特待の枠が埋まっていてもおかしくは無い。

 その下の推薦ならば入れるだろう。

 だが特待と推薦では天と地ほどの差があるのだ。

 だから8月にある全日本Jr.クラブ選手権で、素晴らしい成績を残す事を条件を出されている。


 

「そんなに凄いんだなぁ……蓮くんは、どこに行きたいとかってあるの? もしかして もう声がかかってる?」


「まだ特待とかって話じゃねぇけど、色んなところから話は来てるって親父が言ってたな。まぁ行くならポイントガードをやらせてくれるところだな」


「え? 蓮くんって今、スモールフォワードだよね? 高校ではポイントガードやりたいの?」


「俺は日本で終わるつもりはねぇからな、アメリカに行ったら身長は小さいと馬鹿にされる。嫌でもポジションはポイントガードになる……それなら高校から慣れてぇっていうのが、俺の考えだ」



 蓮のアメリカも想定しているところに、累はパァッと明るい笑みを浮かべる。

 アメリカの話をしている時の蓮からは殺気すら感じ、本当に実行できそうだと感じさせた。



「テメェに俺の高校での理想を話してやるよ」


「理想?」


「俺が圧倒的なプレーメイキングで試合を支配し、もう1人のエースで試合を勝利に導く。これが俺の理想だ、そしてテメェは高校進学までにエースとして覚醒しろ。俺は3年前からテメェに、その素質だけは感じてんだからな」



 蓮は自分の理想を語った。

 そしてその理想を叶える材料として、累の力も必要かもしれないという話までした。

 理想を叶える条件として累の覚醒が必要不可欠。

 まさかそんな事を蓮から言われると思っていなかった累は、口を大きく上げてワァッと笑みを溢す。

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