72話:恋の予感?
隣の演習場を駆け巡る閃光にカレンは震え上がっていた。
「じ、ジーク様……。私もああならないと学園のテストで優秀な評価をいただくのは難しいでしょうか……?」
雲の上の存在であるジーク様を、畏れ多くも私の魔法の講師役に任命したあと、風のように去っていった親友。
すぐにジーク様の兄であるシルベール卿を引き連れて戻ってきたかと思えば、彼と人外の手合わせを始めてしまった。
ふたりの動きは速すぎて目で追うことすらできない。絶え間なく繰り出される魔法の残光と閃光が網膜を焼くだけだ。
(あれが……実技試験満点の実力……)
どう足掻いても自分がそこへ至る道筋が浮かばず、呆然と閃光を眺める私に、ジーク様は苦笑いを漏らした。
「まさか。彼女に勝てるのは兄上とユリウス殿下くらいだよ。俺も敵わない。テストの方がずっと簡単だから安心して」
「はい……」
しかし不安は拭いきれず俯いた私に、彼は優しい笑顔を向けてくれた。
「それにカティラレン嬢は、魔力の錬成さえコツを掴めば、いい成績が取れると思うんだ。……少し失礼するよ」
そう言って彼は優雅な所作で片方の手袋を外すと、私の手にそっと触れた。
「……っ!?」
全身の細胞が沸騰するような熱に襲われ、出かかった悲鳴を喉の奥で押し留める。
——ジーク・シルベール公爵令息。彼は、様々な演奏会の後援者として、以前から客席で見かけていた人物だ。
私は、両親の音楽好きを受け継ぎ、いくつかの楽器を嗜んでいる。
とある演奏会で金賞をいただいた際、表彰状を手渡してくれたのが彼だった。最前列で誰よりも熱心に演奏を聴いてくれていた姿を覚えていただけに、彼が大貴族の令息だと知った時は心底驚いた。そんな彼から表彰の際に直接いただいたお褒めの言葉は、今も私の胸の中に残る大切な宝物だ。
彼が表彰者になったのはあの時だけだったが、あの後も観客席に彼を見かけるたびに、密かに想いを込めて奏でていた憧れの人。
同じ学園に通えると知った時は淡い期待も抱いたが、あまりの身分差にお声をかけることすらできず、遠目から姿を眺めるだけで満足していたはずだったのに——。
(じ、ジーク様が……私の手を……!?)
指先が軽く触れているだけ。それでもこの緊急事態に心臓は早鐘を打ち、手にじっとりと汗が滲む。
(ど、どうしよう!?汗が……!お願い!止まって……!!)
「カティラレン嬢、今、手のひらに魔力が集まっていく感覚が分かるかい?」
「ひぇっ!?あ、はいっ!!」
全くそれどころではなく気が付かなかったが、言われてみれば手元に魔力が集中していくのを感じた。
(そ、そうよ……!ジーク様は真剣に私に魔法を教えてくださっているんだわ!不純なことを考えていては失礼よ……!)
私は必死に意識を魔力に向け直した。しかし、ふとした瞬間に視線が重なる美しい碧の瞳には何度も心臓を撃ち抜かれ、謀らずも魔力だけでなく精神力も鍛えられることになったのだった。
*
首筋に突きつけられた刃が、ぬらりと冷たい光を放つ。
横一閃に振り抜かれれば一瞬で首が飛ぶ。そんな予感を孕んだ切先に、背筋を冷たい戦慄が駆け抜けた。
「……はっ……降参です」
ひゅっと呑んだ息を吐き出すのと同時に両手を上げれば、私に剣を突きつける銀髪の剣士——ヴォルク様は、氷で創り出していたその剣をスッと消し去った。
ここまで3戦全敗。さすがに正面からヴォルク様を倒すのは不可能に近いので、10分間私が逃げ切った場合も勝ちというルールにしてもらったのだが、一向に勝てる気配がない。
「うーん……。光属性は回復特化で、聖属性は魔物特化。聖女って、対人戦が弱すぎませんか……?」
「ヴィリアリナの身体強化はよく練られているし、光属性としては攻撃魔法の火力も高い。それに、聖女が単身で戦う場面などまずない」
「でも、いつでも周りに人がいるとは限りませんし、せっかくならもっと攻撃力が欲しいです。やっぱり、強い方がカッコいいじゃないですか!」
「そうか……カッコいい、か……」
「はい!!」
ボソリと呟いたヴォルク様に、私は大きく頷く。
それに、経験値の仕様上、討伐に関わった人数が少ないほど獲得経験値が多くなる。単騎で討伐できる攻撃力があれば、入る経験値も人一倍。つまりレベリング効率が爆上がりするのだ。
ふと様子が気になってカレンの方へ目を向けてみると、頬を赤らめながらも、先ほどより確実に上達している様子が確認できた。
「おー!カレン、いい感じ!ジーク様教えるの上手ですね!」
「彼女は……君のルームメイトだったか?」
「そうなんです!かわいくていい子で!自慢の親友です!……あの、ちなみに、ジーク様ってすでに婚約者はいらっしゃいますか?」
「ジークにか?いや、まだいないはずだが……」
「!!それはよかったです!」
カレンにもチャンスがありそうな朗報に、胸を撫で下ろす。学園は結婚相手探しの場も兼ねているものの、貴族の結婚は家同士の契約。入学前にお相手が決まっていることも十分に考えられる。心置きなく応援できるか少し心配だったのだ。
「……なぜそんなことを気にする?」
「大事なことですから」
この世界、特に貴族社会では複数の配偶者を持つことが認められている。貴族生まれのカレンはその文化を理解しているだろうが、日本で育った私としては、できれば彼女を心から大切にしてくれる一途な相手を選んでほしいという我が儘もある。
婚約者がいないということは、ジーク様は理想の相手に一歩近づいたということだ。
ジーク様に覗き込まれて頬を赤らめるカレンを満足気に見つめている私に、ヴォルク様はそれ以上何も言わなかった。
「さ、ヴォルク様。まだお時間は大丈夫ですか?良ければもう一戦お願いします!」
「いいだろう」
二つ返事で頷いてくれた彼と再戦すべく、開始位置へと距離を取る。
(次は10分間逃げ切ることに専念してみようかな。防御壁と脚への身体強化に魔力を割いて……)
頭の中で綿密な作戦を組み立てながらさっさと歩き出した私には、背に向かって呟かれたヴォルク様の独り言は届かなかった。
「強い方が……」
戦略を練った再戦の結果。私は先ほどの半分の時間で地面に膝をつくこととなった。
それにしても、防御に全振りしたのに瞬殺って……
どうして???




