70話:深まる謎、王国外からの死線
「ふんぬっ……!おりゃっ!!」
「おー!なかなかやるじゃない!」
持ち上げたバーベルに温かい拍手が贈られる。
シルベール領での巡礼も無事に終了し、私は最後の1日を公爵邸でお世話になりつつ、騎士団の訓練に混ぜてもらっていた。今回お邪魔しているのは女性の精鋭部隊。今は休憩時間を利用してバーベル上げの勝負の真っ最中だ。
農園の浄化を終えてからは、領内の教会を回っては回復魔法の雨を降らせ、緊急時用に聖水を作成して納めてきた。今回は『安寧の儀』の反省をしっかり活かし、水瓶が割れるような過剰な魔力は込めていない。
初めはただのレベル上げ目的だった回復魔法。けれど、行く先々で笑顔で感謝されるたび、胸の奥に「必要とされている」という確かな実感が芽生えていった。
今や私にとって、人々からの「ありがとう」という言葉は何よりの報酬だ。前世の自分が、これほどまでに誰かに求められ、感謝されたことがあっただろうか?「この世界に来られて本当に良かった」心からそう思える、かけがえのない瞬間だった。
——と、回想に浸っている場合ではない。今集中すべきはこのバーベルである。
なんとか持ち上げたバーベルだったが、これ以上は限界でどうすることもできない。ヨタヨタとよろめいていると、見かねた隊員たちが両脇から支えて下ろしてくれた。
「じゃあ、アタシの番だね!」
勝負相手の小隊長は、バーベルを掴むとヒョイと持ち上げ、そのまま軽々とスクワットを始めてしまった。
「くっ……完敗です……」
がくりと膝をつく私を、彼女は快活に笑い飛ばす。
「ははっ!私たちは貴族様ほど魔法が使えないからね。筋肉でご令嬢に負けてられないよ!でも、深窓の令嬢かと思いきや、思ったより筋がいいじゃないか!」
「一応、部活で走り込みとかはしてたんですけどね……全然敵いません……」
令嬢の中では体力とパワーに自信があっただけに、悔しさに口を尖らせる私。その様子に、小隊長が笑いながら手を差し伸べてくれた。
その手を借りて立ち上がると、彼女はパンッと手を打った。
「よし、集合!休憩は終わりだ。午後は護身術の訓練だよ!」
「はいっ!よろしくお願いします!」
ビシッと気をつけをして、再び訓練に飛び込んだ。
*
「いたた……さすが騎士団、強かったなぁ……」
何度も隊員たちに容赦なく投げ飛ばされては組み伏せられ、満身創痍になった体に回復魔法をかけながら公爵邸へと戻る。
その日の夕食は、シルベール公爵家が用意してくれた私の大好物ばかりのフルコース。それを心ゆくまで堪能し、温泉で汗を流し、心地よい疲労感とともに眠りにつく……前に、最後のひと仕事。セレナ夫人の経過観察のために執務室へ向かった。
「失礼します。ご気分はいかがですか?」
「あら、ヴィリアリナちゃん。来てくれて嬉しいわ。おかげさまでこの通り、とても調子がいいの」
執務室の扉を開けると、机に向かっていたセレナ様が顔を上げて微笑んでくれる。隣ではシルベール公爵閣下も書類をしたためていた。
私は夕食のお礼を伝えつつ、セレナ様に回復魔法を施す。ついでに、うっすらとクマが浮き出ている公爵閣下にも魔法をかけておいた。
ここに来たのは夫人の様子を見るためでもあるが、もう一つ、どうしても確認しておきたいことがあった。
私は一息吐いて覚悟を決めると、公爵閣下に問いかけた。
「公爵閣下、一つ教えていただきたいことがあります」
「なんだ?私に答えられることなら、何でも力になろう」
公爵閣下の目をまっすぐに見つめたまま、ずっと気がかりだったことを吐き出した。
「ヴォルク様は、一体誰に狙われているのですか?」
一度のみならず、二度も仕掛けられた死の呪い。その技術力と恨みも脅威だが、これほど強力な術を行使した者が無事で済むとは思えない。それにもかかわらず呪いが繰り返されたという事は、実行者だけでなく、背後に指示役——黒幕が存在するはずだ。
ヴォルク様は誰に、なぜ狙われるのか。その元凶を絶たなければ、彼の命は再び危険に晒されてしまう。そして次回も私が解呪できる保証はどこにもないのだ。
家族を想う公爵閣下が、発生源を調べていないはずがない。すでに襲撃者への対処は済んでいるのか、つまりヴォルク様は安全なのか、それともまだ危険な可能性があるのか。それだけでも確認したかった。
しかし、公爵閣下は重々しく首を横に振った。
「申し訳ない……。呪いには強力な探知妨害が施されており、未だ特定には至っていないのだ。だが、私とて家族を狙う者を許す気はない。調査は今も継続中だ。手がかりが得られ次第、必ず君にも共有すると約束しよう」
「犯人に心当たりもないのでしょうか?」
「……そうなのだ。私ならいざ知らず、ヴォルクが恨まれる理由が分からない。最初の呪いを受けたのは14歳の時だ。当時から誰かの怨恨を買うような子ではなかったのだが……」
公爵閣下の苦々しい言葉に、私は黙り込むしかなかった。
つまり、いつまた死の呪いが彼を襲うか分からないのだ。セレナ夫人が何年も抑え込んで弱体化した今回の呪いでさえ、私にとってはギリギリの解呪だった。もし次に死の呪いと対峙することとなれば、今度こそ私自身が闇に呑まれてしまうかもしれない。
重い沈黙が漂う部屋で、公爵閣下がポツリと言葉を継いだ。
「ただ……一つ分かっているのは、この呪いは王国内から発動されたものではない、ということだ」
「王国内ではない……?なぜですか?」
「あれほど強力な死の呪いを発動させるには、相当な魔力量を持つ『犠牲』が必要となる。だが発動時期の王国内において、死亡・行方不明となった者を片端から調査しても、該当する魔力量の持ち主が存在しないのだ」
「……少しずつ大勢の魔力を吸い上げた、という可能性はありませんか?」
「それも検討した。しかし、術の『核』となる強大な魔力源が必ず一つは必要なのだ。あの日以来、王国内で不審死を遂げた高魔力者はすべて確認しているが、関連はみられなかった」
つまり、術者あるいは犠牲となった魔力源は、最初から王国の外にいたということか。
王国外となれば、公爵家の力をもってしても追跡は容易ではない。だがそうなると、国を超えてまでヴォルク様を狙う動機がますます謎に包まれる。
今後も新たな情報が入り次第共有してもらう約束を交わし、私は執務室をあとにした。
(一体誰が、どうしてヴォルク様を……?)
なぜ彼なのか。そして、なぜ暗殺ではなく、『呪い』という手段なのか。
深まる疑問を解決する手立てはない。
拭いきれない不安とモヤモヤを抱えたまま、私は静かな廊下をゆっくりと寝室へ向かって歩いた。




