64話:鬼蘭草① 目には目を歯には歯を
「わぁっ!一面の雪景色で綺麗!!……でも、瘴気が濃いね」
「ええ……。鬼蘭草はある程度の瘴気がなければ育たないとはいえ……人が長時間留まるには厳しい濃さだわ」
馬車の窓から覗く銀世界の下は、全て鬼蘭草の薬草畑だという。
今回の巡礼地であるここは、魔力回復薬の原料である鬼蘭草の国内最大級の農地である。
近年、強大化する魔物に対抗するため薬の需要は急増している。しかし、肝心の鬼蘭草は不作続きで、市場価格は跳ね上がる一方だ。
私たちはこの地に実りを取り戻すため、祈りを捧げに訪れたのだった。
ザザ……と重い音を立てて馬車が停まる。降りる準備を進めていると、コンコンと控えめに窓が叩かれた。
「ヴォルク様?どうされたのですか?」
「ヴィリアリナ、現地案内を担うオセロ商会の会長から面会の申し出があった。気が乗らなければ断っても構わないが、どうする?」
「オセロ商会長……?私だけに、ですか?」
オセロ商会といえば、この前、街で威張り散らしていた生意気な少年が思い浮かぶ。あの時はヴォルク様が一睨みで追い払ったため、直接刃を交えたわけでもなく、文句を言われる筋合いもないはずだ。
「うーん……。とりあえず、お会いしてみます」
首を傾げつつ、私はリリアに先んじて馬車を降り、用意された一室へと足を踏み入れた。
*
「この度は、愚息が畏れ多くも聖女様にご無礼を働き……!万死に値する罪を犯しましたことを、伏してお詫び申し上げます……!!」
「も……しわけ……ございません……でした……っ」
ドアを開けた瞬間、漂ってきたのは微かな血の匂いだった。
部屋の中央では、すでにオセロ商会長が床に額を押し付けて土下座をしている。その隣には、父親の手で力任せに後頭部を押さえつけられ、地面に顔を擦り付けさせられている子供の姿があった。
子供の服はボロボロに引き裂かれ、所々に赤黒い血のシミが広がっている。
予想もしなかった状況に、私はその場に立ち尽くした。
「……!?か、顔を上げてください……!突然、なんですか……!?」
「まずは……わたくしめに拝謁の機会を賜りましたこと、心より深く感謝申し上げます。先日、こちらの愚息が聖女様へ重大な不敬を働いたと護衛より聞き及び、生きてお目にかかることも恐れ多きことながら、せめて我が手で躾を済ませた上でお詫び申し上げたく……っ」
恐る恐る顔を上げた商会長の言葉に、私はハッと息を呑んだ。そして隣で力なく垂れ下がっていた少年が顔を上げた瞬間、弾かれたように駆け寄っていた。
「な……なんて酷い怪我を……!」
「せ、聖女様……!?」
少年の顔は原形を留めないほど赤黒く腫れ上がり、歯も何本か折れているようだった。息も絶え絶えな痛々しい姿に、呆気にとられる商会長を押し退け、私は咄嗟に少年の体へ回復魔法を流し込んだ。
掌から溢れ出た温かな金の光が、傷ついた少年を包み込んでいく。
瞬く間に腫れが引き、傷口が塞がっていく光景に商会長が目を丸くする中、綺麗な顔を取り戻した少年は——やはりミルバークだった。
「大丈夫?もう痛むところはない?」
声をかけて助け起こすと、彼は溢れ出す涙で顔をぐしゃぐしゃにし、しゃくりあげながら何度も頭を下げた。
「も……しわけありません……でした……っ!」
「謝る相手は私じゃなくて、あの時手を踏みつけた男の子でしょう?私とは戦う前に逃げ出したじゃない」
「たいへんな……し、失礼を……っ」
「いいのよ。それより、これに懲りたら家の力を振りかざして威張り散らさないのよ。威張りたいなら、あなた自身に誇れることができてからにしなさい?」
ボロボロと溢れるミルバークの涙を袖で拭ってやりながら、私は静かに商会長に向き直った。
「……いくら『躾け』とはいえ、子供相手にさすがにやり過ぎではありませんか?」
「……聖女様。慈悲深きお言葉、身に染み入ります。されど聖女様への不敬は、本来であれば我が一族郎党が首を跳ね飛ばされても文句の言えぬ大罪にございます。加えまして、あの日聖女様に随行されていた騎士様……あの場にて護衛諸共斬り捨てられてもおかしくなかったところを、我が息子の愚行をその場でお留めいただいた寛大なるご処置に、何とお礼を申し上げたらよいか……」
「あの時の騎士なら、ほら、後ろにいますよ」
私が後ろのヴォルク様を振り返ると、商会長の顔から血の気が引いた。
ヒュッと喉の奥で声にならない悲鳴を上げた商会長は、ガタガタと全身を激しく震わせ、弾かれたように再び床へ額を叩きつけた。
「し、シルベール卿……っ!!??この度は重大な不敬を働き申し訳ございません……!私共の罪、私めと愚息にて何卒……何卒お納めいただき、商会の者共やその家族にお咎めだけはご容赦くださいますよう、伏して、伏してお頼み申し上げます……っ!!」
商会長の尋常ではない怯えようと、その場を支配した氷のような静寂。
助け起こしたミルバークも、父親のただならぬ様子に青ざめ、ガクガクと膝を震わせながら同じように床へ額を擦り付けた。その震える手が、助けを求めるように私の服の裾をぎゅっと掴んでいる。
見上げたヴォルク様は、鋭い威圧感を纏って、ひれ伏す親子を冷たく見下ろしていた。そして静かに私へ視線を移す。
「聖女様。この者たちをお許しになりますか?聖女様への不敬……この場で首を跳ね飛ばすことも容易い罪ですが」
「……不敬罪で首を斬るなんて、そんな……」
氷のように冷たい声色に内心ヒヤリとしながらも、彼が『公爵令息』としてではなく、私の『護衛騎士』として判断を委ねてくれたことに気づく。
「私は、この件で彼らを裁くことを望みません。……本人も、十分に反省していると思います」
私の言葉を聞くと、ヴォルク様は静かに一つ頷き、床にひれ伏す親子へ低い声を落とした。
「……聖女様が不問に付すと仰るならば、私から重ねて言うことはない。領民としての務めを果たし、正しき商いに励むがいい」
「はっ……ははぁっ……!!恐悦至極にございます……!」
ヴォルク様が引き下がってくれたことに心底ほっとしつつ、私は再びミルバークの肩を叩いて起き上がらせた。
「良かったわね、優しい領主様で。あなたが意地悪をした男の子も、あの時きっとこれくらい怖かったはずよ。これからは人に優しくしてあげてね」
「はい……っ、うっ……ぐずっ……」
「オセロ商会長も、どうぞお顔を上げてください。反省の気持ちはしっかり伝わりましたから」
「聖女様……!この御恩は決して忘れません……!生涯かけてお返しいたします……!」
商会長に曖昧に頷き、ぐしゃぐしゃの泣き顔で必死に頷くミルバークの頭を優しく撫でて、私は立ち上がる。
そのまま、恐縮して頭を下げ続ける二人を背にして部屋を後にした。
廊下に出ると、冷たい空気がほてった頬を撫でる。
「ヴォルク様、穏便に済ませてくださってありがとうございました」
「……穏便に済ませたのは君だ。甘い顔を見せればつけ上がる者もいる。あまり推奨できる対応ではないぞ」
「でも……私は特に何もされていないのに……不敬罪で死刑はやり過ぎですよ……」
平和な日本で育った私にとって、人の死というのはかなり恐怖心が強く揺さぶられるものだった。目の前で人の命が奪われる光景など、見たくない。
「あ!ただ、殴られたら殴り返しますよ!目には目を、歯には歯を!です!」
「……なんだそれは……」
「受けたダメージ以上のものは、罰として与えてはいけないという、私の世界の古代の法律です」
「……まあ、君がそれを望むというのなら、これ以上は言うまい」
あきれたようにため息をつきつつも、ヴォルク様はそれ以上咎めることはしなかった。
「オセロ商会長って、これから行く鬼蘭草畑の案内人ですよね?」
「ああ、その予定だが」
「……ずっとあの調子で怯えられたら巡礼中に気まずいので、普通に対応してもらうようにお願いすることってできますか?」
「…………伝えておこう」
「甘い」と言いたげなヴォルク様の視線をあえて見ないふりをしながら、私はリリアの待つ馬車へと足を速めた。




