59話:毒味のバイトと、勘違いの『最後の晩餐』
「この中で行きたいところはある?」
「今日の市場にまた行きたいのと、この神社も見てみたいです!あとは……」
夕食後、私はジーク様が持ってきてくれたガイドブックを広げて、明日の観光計画を立てていた。行き先を共有するためと、観光先のアドバイスをもらうため、結局シルベール家全員とテーブルを囲んでガイドブックを覗き込んでいる。
公爵閣下からも「ヴォルク同伴なら」と許可をいただき、無事に明日は3人でのお忍び観光が決まっていた。
「シルベール様のおすすめはありますか?」
そう聞いて顔を上げた私は、目的のシルベール様……だけでなく、その場にいる4人全員の視線がピタリと私に集まったことに一瞬面食らった。
「あ、えっと、お兄さんの方のシルベール様は……」
若干の気まずさを感じながら慌てて言い直す。
——この公爵家に来てから密かに困っていることの一つが、彼の呼び方であった。
当たり前だが、ここにいる公爵家の方は、全員が「シルベール様」である。長男の彼を呼ぶたびに、何度か全員を振り向かせ、その度に少し気まずい空気が流れていたのだ。
そんな私の言い淀みを見たシルベール様は、一瞬何かを言おうとして口を結び、僅かな逡巡の後、ボソリと呟いた。
「ヴォルク、でいい」
「えっ?」
「母上も、ジークのことも名で呼んでいるだろう。俺のことも……なんとでも、呼びやすいように呼んでくれたらいい」
そう言って彼は、ふい、とガイドブックに視線を落とした。
シルベール様と出会って約1年。最初は名すら教えてくれなかったために、ずっと名字呼びとなっていた彼からのようやくの許可に、警戒心の強い猛獣がついに手ずから餌を食べてくれたような、妙な達成感を覚える。
「ありがとうございます!では……ヴォルク様、と呼ばせていただきます!」
私は弾む心で、ようやく許可が出た名前を呼んでみた。
ヴォルク様は「ああ」と小さく頷いて、真面目な顔でおすすめの観光地を指差してくれた。
視界の端では、「では、私も……」と言いかけた公爵閣下が、セレナ様にわき腹をどつかれて悲しそうな顔をしていたが、彼女が笑顔で「気にしないで」と言うので、見なかったことにした。
*
「では、行ってきます!」
「いってらっしゃい、楽しんでね」
翌日。私たちは3人とも地味な色合いのコートを着込み、マフラーや帽子で顔を隠してバッチリ偽装を決めていた。
今回のコンセプトは『裕福な商家の子』だ。生粋の大貴族であるシルベール兄弟の隠しきれない優雅な立ち振る舞いでは、一般庶民への擬態はどうしても無理があり、この案に落ち着いたのだ。幸い、今日の観光先はシルベール領の中心地。裕福な商人の往来も多いため、この設定でもさほど違和感はないらしい。
本日最初の目的地はズバリ『朝市』である。昨日訪れた商店街よりも海に近いこの市場では、港から水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が所狭しと並べられ、活気ある商人たちの声が飛び交っていた。
「わぁっ!朝からすごい活気ですね!!」
「ここは領地でも一、二を争う大きな魚介市場だからな」
白い息と共に感嘆の声を上げた私に、ヴォルク様がどこか誇らしそうに説明してくれる。
「まずはここで朝食だっけ?」
「はいっ!蟹か帆立が食べたくて!まずはちょっと見て回ってもいいですか?」
「もちろんだよ、好きなお店に入ろう」
ジーク様に促されるまま、市場を歩く。
丸ごとの魚や、殻付きの貝、見慣れない海藻など、朝市は眺めているだけでも目を楽しませてくれる。
ジーク様は一つ一つの食材を、物珍しそうに眺めてはヴォルク様にどんなものか聞いていた。
「これは……なんでしょうか?随分と平べったくて口が大きいですが」
「これは鮟鱇だ。夕食で鍋の具として出て来たことがあるはずだぞ」
「このオレンジのトゲトゲしたものは……植物ですか?」
「これは『ほや』といって、植物ではなく動物だ。刺身で……食卓に出たことはあったかな……」
公爵家の次男として生まれ育った彼は、綺麗に捌かれ、美しく盛り付けられた『料理』としての魚しか見たことがないようで、生きたままの姿の海鮮からはどういった食べ物かあまり想像が付かないらしい。一方ヴォルク様は妙に詳しく、丁寧に答えていた。呪いを受けて家を出ていた期間があったと噂で聞いた気がするので、その時などに知る機会があったのだろうか。
「詳しいですね」
「ん、まあな……」
彼は少し歯切れ悪く頷いた。そういえば彼自身から呪われていた時期のことは聞いたことはない。過去の事情はあまり詮索しない方が良いかもしれないと思い、私はそれ以上踏み込まないことにした。
(それより、まずは何かあったかいものが食べたいなぁ)
キョロキョロと見渡す私の目に、魅力的な湯気と匂いが飛び込んでくる。
(こっちはあら汁、あっちには豚汁!えっ!?はっと汁にせんべい汁!?これもいいな!!)
他にも甘酒やアオサや海苔の味噌汁など、是非とも飲みたいものが多過ぎて選べない。長考の末、私が選んだのはあら汁だった。
「あったかい……!沁みる〜!」
受け取ったお椀から立ち上る、磯の香りと味噌の匂い。一口啜れば、魚の脂が溶け出した濃厚な出汁の旨味が、冷えた五臓六腑に染み渡る。ほろほろに崩れた魚の身もたまらない。
身体を温めた私たちは、さらに市場の奥へと進む。
「あのお店の蟹ちらし寿司美味しそうですね……いや、あっちのお店の海鮮丼も……」
誘惑が多過ぎて決めきれない私が、イカの姿焼きを頬張りながら歩いていると、ひときわ人だかりができている屋台を見つけた。
「さあさあ、本日の『てっぽう』だよ!30切れ、運試しする者には銀貨3枚の報酬だ!挑戦者はおらんかね!」
店主が掲げているのは、丸々と膨らんだお腹の白い魚——間違いなく、前世の記憶にある『フグ』だった。
「てっぽう……?」
「ああ。なんでも、あの猛毒の魚を美味いと見抜いた3代目の聖女様が名付けたらしい」
不思議そうなジーク様の隣で、ヴォルク様が淡々と説明する。
「あの魚は内臓に致死性の猛毒を持っている。慣れた者が捌いても、必ず安全とは限らない。そのため、販売前に捌いた魚につき一切れを毒味して、安全性を確かめてから売るんだ」
「なぜそこまでして食べるのですか……?」
「それは、食べてみたら分かりますよ!」
「おい、ヴィリアリナ、どこへ行く」
ヴォルク様が制止するより早く、私は店主の前に立っていた。
「はい!挑戦します!」
「じょ、嬢ちゃんが……?」
「おい!」
ヴォルク様が慌てて私の腕を掴む。
「何をしているんだ、毒があるんだぞ!」
「そうだよ嬢ちゃん、兄ちゃんの言う通りだ。悪いことは言わない、親御さんが悲しむからやめておきな」
店主も困ったように私を諭す。しかし、私には絶対の勝算がある。私はヴォルク様に顔を寄せ、こっそり耳打ちした。
「毒、なんですよね?」
「そうだ、当たったら死…………あ」
「なら、私が誰よりも適任だと思いません?」
気づいたらしいヴォルク様に挑戦的に微笑む。そう、この聖女ボディ、毒が効かないという特典付きなのだ。フグを100%安全に食べられ、しかも報酬までもらえる。こんな二重に美味しい話に乗らない手はない。
「やらせてください!」
「ほ、本当に……?兄ちゃんも、止めなくていいのかい……?」
「……ああ。運のいい子だし……言い出したら聞かないんだ……」
深くため息を吐き、諦めたように言うヴォルク様は、まるで手がかかる妹に振り回される兄のようで……「手のかかる妹」だと言われたようでなんだか恥ずかしくなる。
簡易的なテーブルに座った私の前に、綺麗に並べられたフグのお刺身が運ばれて来た。
「1枚につき報酬は銅貨1枚、並び順は、あっちに並べている切り身の順と同じだ。もし当たってしまったら……報酬はお兄さんに払う」
「分かりました!」
私は箸を受け取ると、早速お刺身を1枚掬い上げた。
向こうが透けるくらい薄く切られた1枚を、さっとポン酢にくぐらせパクリと一口。
(これこれ……!このコリコリとした強い弾力!あっさりしているのに、噛めば噛むほど口の中に広がる上品な旨味が、酸味の効いたポン酢と絡み合って……!)
「ん〜〜!!美味しい……っ!」
1枚、もう1枚と、箸が止まらない。大事に食べようと思っていたのに、あっという間にお皿は空になってしまった。集まっていた観客から拍手が起こる。
名残惜しくも空になったお皿を見つめる私に、店主は毒が回る可能性があるため、ここで30分待つように告げた。
「嬢ちゃん、今日は何が目的で市場に来たんだい?」
「帆立とカニを食べに来たんです!バター醤油焼きがどうしても食べたくて……!」
「そうかい、美味しかったかい?」
「それが、まだ食べてないんですよ。この報酬でこれから食べに行きます!」
何年ぶりかに味わえる好物に心躍らせていると、何故か店主が顔を曇らせた。
「それで毒味に……じゃあ待っている間、ここで食べていきな……」
「えっ!?いいんですか!?」
なんと店主はその場で七輪を用意し、隣の店から分けてもらった炭でお店の帆立とカニを焼き始めてくれた。
なんでも、娘と同じくらいの子が挑戦することなど初めてで、このまま楽しみにしている海鮮を楽しめずに死んでしまったら後味が悪いらしい。
私は絶対に死なないため猛烈に申し訳なくなったが、断るのも無粋だと思い、このご厚意はありがたく受け取ることにした。お返しに、店頭に並ぶフグの身はこっそり浄化魔法をかけ、完全無毒化しておいた。
七輪の上でパカッと開いた貝をひっくり返し、グツグツと汁が沸いたところに酒を一振り、醤油を少々。最後にバターをひとかけら落とせば、ジュワァァッ!と食欲をそそる焦げた匂いが周囲に立ち込める。
「熱いから気をつけな!」
「わぁっ!ありがとうございます!!」
出来立ての帆立バター醤油焼きを受け取り、箸で持ち上げる。ずっしりと大きい貝柱の重みを感じながら、ふーふーと慎重に冷まし……大きく口を開けてパクリ。
「おい……しいっ!」
バター醤油という最強の味付けを纏った、プリップリの帆立。噛んだ瞬間に溢れ出す熱々のエキスがたまらない。
至高の一口を味わっていると、カニも赤く色づき、香ばしく焼き上がった。殻を割って、ふんわりとした白い身をそのまま頬張る。七輪で焼いた香ばしさと、ギュッと濃縮された甘みに舌鼓を打った。
このままでも十分に美味しいが、ここにみりんと醤油をほんのわずかに垂らして……
「はふっ……、最っ高……!」
そんな私を心配そうに眺める店主をよそに、こうして至高の時を過ごしているうちに、あっという間に30分が経過した。
「30分経過……!嬢ちゃん、体調に変化はないか!?」
「はいっ!元気です!」
「よし!よかった!!」
私の無事を確認した店主は、集まった人だかりに大声を張り上げた。
「さあさあ!今日のてっぽうも安全だよ!この通り、食った嬢ちゃんもピンピンしてる!買った買った!」
その瞬間、堰を切ったように群衆から注文が殺到した。
「おやじ!2人前くれ!」
「こっちには4人前頼むよ!」
わっと集まった人だかりにより、あっという間にフグは売れていく。
「そんなに……美味しいのか……?」
「気になるなら、食べてみます?私がいる時がチャンスですよ!」
熱気に気圧されているジーク様にウインクをしてみる。彼も店主に焼きガニを分けてもらい、海の幸を堪能していた。
「機会があったら挑戦してみるとするよ」
「はい!是非!」
フグの虜が増えそうな予感に口角を上げていると、店主がこちらに戻ってきた。
「嬢ちゃんがうまそうに食べるから、今日のてっぽうは飛ぶように売れたよ!はいこれ、報酬な!あと、特別にこれもお土産だ!」
店主は銀貨3枚と、袋に入れた帆立3枚を渡してくれた。
「あのっ!今焼いていただきましたし、こんなにはいただけません!」
「いいんだ、持ってけ!」
「いいんですか……!あ!じゃあ……お願いがあります!」
店主は待っている間に、私の分の帆立とカニに加えて、ヴォルク様に帆立、ジーク様にカニを分けてくれていた。流石にもらいっぱなしは悪いので、もらった銀貨でお土産を買うことにしたのだ。
私は銀貨1枚分のカニと帆立を袋に詰めてもらった。
「まいどあり!」
「ごちそうさまでした!」
私は両手に戦利品を抱え、次の目的地に向かうべく馬車に乗り込んだ。
その日のてっぽう屋では、フグはもちろん、カニや帆立までが飛ぶように売れたらしい。幸せそうに海鮮を頬張る彼女の姿が、何よりの広告塔になったという。そしてこのてっぽう屋は後に『あの聖女も愛した店』として市場の名物になるのだが——それはまた、別の話である。




