57話:公爵家の呪い⑧ 二人目の聖女の残酷な未来
夜も更けた頃。私は約束通り、寝る前の診察のために公爵夫人の部屋を訪れていた。
「失礼いたします。お加減はいかがでしょうか?」
「ええ、とても良いわ。こうして夜を穏やかに過ごせるなんて、何年ぶりかしら」
ベッドに腰掛ける公爵夫人は、すっかり血色も良くなっていた。
念のため回復魔法を重ねがけしながら、体内の魔力の流れや脈を確認する。呪いの残滓は影も形もなく、綺麗さっぱり消え去っていた。
「すっかり回復されましたね。これならもう、明日から普通の生活に戻れますよ」
「本当にありがとう、ヴィリアリナ嬢。……ねえ、もう私のことは『セレナ』と呼んでくださらない?」
「えっ、ですが……公爵夫人に対してそのような……」
「命の恩人に他人行儀にされるのは寂しいわ。それに……私もあなたのことを『ヴィリアリナちゃん』って呼んでもいいかしら?」
ふわりと微笑む美しいセレナ様に、私は思わず頬を緩めた。
「はい、セレナ様。お名前を呼ぶ許可をいただけるなんて、光栄です」
和やかな空気が流れる中、部屋のソファで静かに見守っていた公爵閣下が、ふと真剣な面持ちで口を開いた。
「ヴィリアリナ殿。……一つ、聞かせてくれないか」
「はい、何でしょうか」
「なぜそなたは、ヴォルクを守るのだ?」
討伐隊でのことといい、今回のことといい、確かに公爵閣下の目には、息子に執着する聖女が不思議に映ったのだろう。
答えようとした私は、すぐに回答できる言葉を持ち合わせていないことに気づき、少しだけ考え込んだ。
(なぜ……なぜか……。改めて聞かれると、なんでなんだろう……?シルベール様は身近な人の中で最強で、自力でのレベル80超えも視野に入る、魔王討伐において必須の最高戦力だから、かなぁ)
私の中での最優先事項は『復活する魔王の討伐』だ。そのために絶対に欲しい人材というのが一番の理由だが、まさかそんなことを言えるはずもない。
では、それ以外に彼を助けた理由があるかと問われると……自分でもはっきりとした答えは出なかった。だから私は、一番無難で、かつ公爵閣下も納得できそうな理由を口にした。
「私は、聖女ですから。この国の未来を担う、実力ある騎士を、呪いなどという理不尽から護るのは、当然の義務です」
毅然と答えた私を見て、公爵閣下はハッと息を呑み、背筋を伸ばした後、深く頭を下げて言った。
「そうか……。感謝する、聖女殿……」
その時、控えめなノックの音が響いた。
「母上、俺です。ヴォルクです」
「入ってちょうだい」
扉を開けて入ってきたのは、シルベール様だった。
「夜分遅くに申し訳ない。ヴィリアリナ、そろそろ休む時間だ。部屋まで送ろう」
「あ、わざわざありがとうございます」
いつもの仏頂面で淡々と告げる彼に、私は立ち上がる。シルベール様にも呪いの残滓が残っていないか確認したかったので、ちょうどよかった。
その時だった。
「……ふふっ」
セレナ様が、口元を隠して小さく笑い声を漏らしたのだ。
「セレナ様?」
「ううん、なんでもないの。おやすみなさい、ヴィリアリナちゃん。ヴォルク、しっかりお部屋まで送り届けてね」
「……ああ、わかっている」
「それでは、セレナ様、公爵閣下、おやすみなさいませ」
私はお二人に挨拶をして退室した。
廊下を歩きながらシルベール様にも呪いの残滓が残っていないことを無事に確認でき、私は送り届けられた部屋で、その夜ぐっすりと眠りについた。
*
パタン、と静かに扉が閉まり、二人の足音が遠ざかっていく。
その気配を確認すると、セレナはゆっくりとベッドに背を預けた。
(あの子、ヴィリアリナちゃんを見る時……ほんの少しだけ、目元が柔らかくなるのね)
ヴィリアリナを迎えに来た息子の姿を見た時、セレナは思わず笑みを溢してしまっていた。母親にしか分からないような微かな変化。それは、氷のように閉ざされていた息子の心が、わずかに溶け始めている証拠だった。
しかし、息子の微笑ましい変化を反芻するセレナの横顔からは、先ほどまでの穏やかな微笑みがすっと消え、深い悲哀が滲み出てくる。
「……皮肉なものね」
ポツリとこぼれた妻の呟きに、公爵閣下も重々しく目を伏せる。
「ああ。本当に……運命とは残酷だ」
聖女の力——浄化や解呪、聖域の展開。それらの奇跡を行使すればするほど、聖女の精神と魂は瘴気に『侵食』されていく。そして侵食が限界を超えた時、聖女は正気を失い『堕ちる』のだ。堕ちた聖女は自我を失って暴れ、国と民を脅かす厄災となり、決して元に戻ることはない。
これを回避できるのは、王妃になり、聖女の持つ聖属性を王に受け渡した場合のみ。
しかし、王妃になれるのは1人だけだ。選ばれなかった方の聖女は、例外なく能力を使い果たし、やがて侵食に呑まれて堕ちていく宿命を辿ってきた。
現在、当代1人目の聖女であるローゼンラーク公爵家のリリアージュは、彼女が持つ聖書に従い、すでに第二王子アレン殿下と婚約し、アレン殿下は王位を継ぐことが内定している。ヴィリアリナが堕ちる運命を回避するには、第一王子のユリウス殿下と婚約して凄惨な王位争いに身を投じるか、あるいはリリアージュと争ってアレン殿下を奪い取るしかないのだ。
この聖女の真実を知るのは、王家と四公爵家のみ。そのため、聖女には代々四公爵家のいずれかから監視役が付けられる。
聖女ヴィリアリナの監視役は、元々シルベール家から選出される予定はなかった。我が家は先代の聖女の護衛を輩出していたからだ。しかし、現れた彼女のレベルが予想以上に高く、急遽監視役を命じられたのが、当代最強の力を持つヴォルクだった。
「私たちの恩人であり……あの子も心を許しているヴィリアリナちゃんが、よりにもよって『2人目の聖女』だなんて」
もし彼女が堕ちるようなことがあれば、ヴォルクは自らの手で、彼女を斬らなければならなくなる。
「レベルの高い聖女は堕ちにくいという。彼女は強くなることに貪欲だそうだから、猶予は長いと思うが……」
公爵閣下は自分に言い聞かせるように呟いたが、その声には拭いきれない不安が混じっていた。
セレナは窓の外、王都の方角を見つめながら、祈るように呟いた。
「……どうか。あの子には、元気でいてほしいわね……」
静寂に包まれた部屋に、彼女の切実な願いだけが寂しく溶けていった。




