56話:公爵家の呪い⑦ ご褒美のすき焼き
「本当にもう動いて大丈夫なのか……?」
「はいっ!完全回復ですよ!温泉最高ですね!!」
心配そうに隣を歩くシルベール様に、元気に頷く。
シルベール様によると、私は呪いを解いた後倒れ、二日間も寝込んでいたらしい。
先ほど無事目を覚まし、温泉によって完全復活を遂げた私は、シルベール公爵夫人の様子を見るため、彼女の部屋に向かっている。
「失礼いたします。お加減はいかがでしょうか?」
ノックをして部屋に入ると、そこには公爵夫人と、彼女に寄り添う公爵閣下がいた。
「まあ……!あなたがヴィリアリナ嬢ね。良かった、目が覚めたのね」
「聖女殿……!目を覚ましたのか……!」
二人は私を見て、心底安堵したようにため息をついた。
ベッドに伏せていた時とは見違えるほど顔色の良くなった公爵夫人は、青紫の髪と瞳を持つ、嫋やかでありながらも芯の強さを感じさせる美しい人だった。
「お体はいかが?必要なものがあったら、何でも言ってちょうだいね」
「ありがとうございます。私はすっかり元気になりました。奥様はお加減いかがですか?」
「あなたのおかげで呪いが解けて、今は驚くほど体が軽いの。本当に、何とお礼を申し上げたらよいか……心から感謝するわ」
「いえ、奥様が何年も呪いを抑え込んでくださったおかげで、呪いそのものが弱体化していたのです。そうでなければ解呪は難しかったでしょう……本当に、お強い方ですね」
母の愛とは偉大なものだと尊敬しつつ、公爵夫人に念のため回復魔法をかける。
「あら……。なんだかさらに体が軽くなったわ……!ありがとう、あなたには助けられてばかりね」
「とんでもございません。もしお体で不安なことがございましたら、何なりとお申し付けください」
公爵夫人の身体に呪いの残滓などがないことを確認し、退室しようとした私に、公爵閣下が歩み寄り……胸に手を当てて深く頭を下げた。
「聖女ヴィリアリナ殿……。妻のセレナとヴォルクを……家族を救ってくれて、本当に感謝している。シルベール公爵家は、今後いかなる時も貴女の確固たる後ろ盾となることを約束しよう」
「えっ、あ、ありがとうございます」
「力になれることがあれば、何なりと言ってほしい」
王の次に偉い公爵閣下ともあろうお方に頭を下げられ、面食らって部屋を見渡すと、公爵夫人もシルベール様も同様に、胸に手を当てて私に頭を下げていた。
「じゃ……じゃあ……」
この状況に驚いた私が、若干パニックになりながら一刻も早く、このこそばゆい状況から抜け出そうと、思いついた『ほしいもの』として口をついて出た答えは、これだった。
「すき焼き……食べたいです」
*
「わぁ……っ!目の前で焼き上げるすき焼きなんて、初めて見ました!!」
「あら、すき焼き自体は召し上がったことがあるのかしら?」
「似たようなものはありますが……私が過去に食べたものは、単なる『すき焼き風の鍋』だったことを今知りました……」
私たちは今、公爵邸の食堂で、専属の料理人が目の前で手際よく調理するすき焼きを一緒に眺めている。
熱した鉄鍋の上に牛脂が滑らせると、芳醇な香りが一気に立ち上る。そこにまぶされた白砂糖がふつふつと溶け、綺麗にサシの入った極上の肉が乗せられた。
じゅうぅぅううっ!
食欲を激しく刺激する音と共に、醤油ベースの濃厚な割下が回しかけられる。香ばしい甘辛い香りが一気に広がり、軽く煮立たせられた和牛が、絶妙な焼き加減で私の小鉢へと取り分けられた。
(まずは、そのまま……!)
「いただきます!」
一口で頬張ると、口いっぱいに広がったのは、トロリととろける極上の脂と肉汁の旨味。そこに昆布だしの効いた割下の甘辛さが完璧なバランスで絡みついてくる。
すかさず、ツヤツヤと輝く炊き立ての白米を口いっぱいに追いかける。
「おいっ……!しい……!!」
私は何年ぶりかも分からない、本格的な「和食」の旨味に全身の細胞が歓喜するのを感じていた。
鉄鍋では、二巡目の牛肉と共に、香ばしく焼き目のついた豆腐、シャキシャキの白ねぎ、出汁を吸ったしらたき、椎茸が美しく敷き詰められていく。
次に取り分けられた出来立ての牛肉を、黄金色に溶いた生卵へさっと潜らせて口へ運ぶ。
「まろやかで……美味しいっ……!」
濃厚な卵を纏うことで、肉の旨味がさらに引き立ち、口の中でとろけていく。
甘辛い割下をじっくり吸い込んだ焼き豆腐、噛んだ瞬間に旨味がジュワッと溢れ出す白ねぎ、つるりと喉越しのいいしらたき。どれもが一級品の味わいで、お米を運ぶ手がまったく止まらない。
「おかわりをお願いします!」
給仕の侍女に頼むと、傍らの土鍋から、湯気を立てるふっくらとした白米がお椀へ山盛りに復活する。
合法的に食べ放題なこの絶品料理に夢中になっていると、公爵夫人がふふと目を細めて微笑んだ。
「本当に、気持ちのいい食べっぷりね」
「どれもこれも絶品です!本当にありがとうございます!」
「ふふ、魔力量の多い子にはよく食べる子が多いと聞くけれど、まさにその通りね」
(なるほど!それでこんなにお腹が空くのか!)
元々女子にしては食べる方ではあったが、この世界に来てから、とりわけ学園に入学してからは食べる量が格段に増えていた気がする。私は彼女の言葉に、思わず深く膝を打った。
呪いが解けてからも起き上がることができずにいた公爵夫人だったが、私の回復魔法を受けてからは急速に体力を取り戻し、今はこうして共に食卓を囲んでくれている。
「もし召し上がれそうなら、このまま夕食もいかがかしら?好きなものを選んでいただいて構わないわよ」
公爵夫人の言葉を合図に、給仕係が私にお品書きを手渡してくれた。元々今日の夕食として用意される予定だったメニューがずらりと並んでいる。
私はそのお品書きを受け取り、前菜から甘味までくまなく目を走らせた。
(すごい……!まるで高級料亭のお品書き……!……行ったことないけど!)
味の想像がつく栗の炊き込みご飯から、名前からはまったく料理内容が想像できない料理まで一通り目を通したが、私の心は最初から決まっていた。
「ぜひお願いします!……ちなみに、全ていただくことはできますでしょうか……?」
「もちろんよ。おかわりも好きなだけ召し上がってちょうだいね」
「ありがとうございます!!」
マナーに厳しいロッテンマイヤー先生なら「はしたない」と眉をひそめそうなおかわりまで笑顔で勧めてくれるなんて。公爵夫人はなんと深い懐の持ち主だろう。
私は公爵家の皆様と会話を楽しみながら(と言っても、ほぼ公爵夫人とジーク様が話し、公爵閣下とシルベール様は無口に頷くだけだったが……)絶品料理に舌鼓を打ち、最後のデザートまで見事に完食した。
その後、再び温泉で疲れを癒やし、侍女たちによる極上のマッサージを受け、寝る前の診察のために公爵夫人の部屋を訪れたのだった。




