55話:公爵家の呪い⑥ 倒れた聖女 呪いとの攻防戦
シルベール家の家族の再会を見届け、そっと退室した私は、体内で暴れ狂う呪いと必死に戦っていた。
(体中が……痛い……っ息が……苦し…………)
全身を襲う激痛に、何度も反射的に回復魔法をかけるが、全く手応えがない。その度に、この痛みは怪我ではない、つまり治せないのだという残酷な事実を突きつけられるだけだった。
壁に手を伝って歩きながら、もう何本目か分からない魔力回復薬を飲み干した時、侍女が通りかかった。
「聖女様!?どうされましたか!?」
「す……みません……どこか、休めるところはあります……か?」
「こちらをお使いください……!」
彼女はすぐに目の前の部屋の扉を開けてくれた。
「何かお持ちいたしましょうか……?」
「いえ……休ませて……ください……」
「承知いたしました。何かございましたらお申し付けください」
そう言って侍女が退出し、扉が閉まる音が聞こえた瞬間、私は糸が切れたように床に崩れ落ちた。
「くぅ……っ!ゔゔ…………」
胸が苦しい。頭も割れるように痛い。あまりの痛みと全身の不快感に、吐き気も止まらない。呪いは全身から『世界を恨め』『全てを憎め』と語りかけてくる。そして何より……
(指先が……黒くなってる……)
呪いの邪気に侵され、手の指先が黒く染まり始めていた。
(まさか……ここで魔王化……しないよね……?)
聖書のシナリオにおいて、私は投獄された後、心を病んで魔王化する。その発症のトリガーは『負の感情に呑まれること』だった。自身が生み出した感情ではないとはいえ、呪いが持つ強烈な負の感情に侵されている今、この状況は非常にまずいのではないか。
(あの機械みたいな音声、私の魔王化を止めるための警告だったりして……?……もう、確かめる方法もないけど……)
あまりの痛みに飛びそうになる意識を必死に保っていたが、ふと、急速に視界の端が暗転し始めた。
(あっ……もう……ダメ……かも……)
そのまま、私の意識は深い闇の中へと沈んでいった。
*
黒く淀んだ意識の中。
ふいに、僅かに清涼な魔力が流れ込んでくる感覚があった。浅く浮上した私の耳に、誰かの苦しげな呟きが届く。
「頼む……堕ちないでくれ……。俺は、恩人を斬りたくはないんだ……」
(だれ……?シルベール様……?)
体中が重くて瞼を開けることすらままならない。
ただ、彼の『堕ちる』『斬る』という言葉が、私の頭の中で一つの推論を導いた。
(なんだ……。私が魔王化する可能性があるって、知ってたんだ……。ユリウス様は彼を護衛だって言ってたけど、実は監視役だったのかな……)
リリアの聖書に書かれた私の魔王化は、誰にも明かしていない。けれど、聖女の宿命なのか、あるいはシルベール様のスキルで看破されたのか……。私に魔王化のリスクがあることは、彼らには知られていたらしい。
(……だから、どこへ行くにも彼が付き添っていたんだ)
初めて会った時の鋭い視線、行動を共にする機会の多い同級生の誰かでなく、レベルの高いシルベール様が護衛に任命されたこと。思えば、護る対象ではなく、いずれ敵となる存在として見られていそうな部分は確かにあった。
(そっか……)
頼もしい彼の正体が、自分を斬るための刃だったかもしれないという事実に、胸の奥が少しだけチクリと痛む。
それでも、不思議と恨む気持ちは湧かず、どこか奇妙な納得感に包まれながら……再び私の意識は暗闇へと沈んでいった。
*
それから、どのくらい経ったのだろう。
再び意識を取り戻した時、なぜか顔の周りがくすぐったかった。
(……?なんか、もふもふしてる……?)
手にも、もふもふとした温かい毛並みの感触がある。確かめようと指先を動かした瞬間、その感触はふっと消え去った。
「う……?」
もふもふに乗っていたはずの手が対象を失い、ベッドの上にぽすりと落ちる。
正体を確認しようと重い瞼を開けたが、そこには何もいなかった。
「……?」
確かに柔らかな毛の感触があったはずの手のひらを眺め——私は、歓喜に目を見開いた。
(——!!指先が、元に戻ってる!!)
周囲を確認すれば、和モダンでまとめられた高級旅館のような一室のベッドの上。黒く変色していた指先はすっかり元の白い肌に戻り、重苦しく私を支配していた呪いの気配も……綺麗に消え去っていた。
(良かった……!!魔王化は免れたみたい!!)
どうやら私は無事に呪いに打ち勝ち、魔王化を逃れたらしい。歓喜に沸く勢いのまま、ベッドから起きあがろうとした、その時。
——トンドン!バンッ!
「へっ……?」
乱暴なノックの直後、返事すら待たずにレディの部屋へ飛び込んできたのは、シルベール様だった。
「……ヴィリアリナ……!」
「えっ、あの……」
「目を覚ましたのか……!急に動いて大丈夫なのか!?気分は?魔力切れは……っ」
(えっ……!?なになにっ!?こんな喋る人だっけ!?)
息を切らし、血相を変えてベッドに詰め寄ってくる彼の勢いと、いつもの5割り増しの口数に気圧されていると、シルベール様は私の手を取って、まじまじと観察を始めた。
「良かった……元に戻っている……」
指先を確認した彼は、そのまま私の手を両手で包み込むようにギュッと握りしめ、ひどく安堵したように眉を下げた。
「無事でよかった……」
仏頂面がトレードマークの彼のあまりの変化に、呪いによる幻覚でも見ているのかと、驚いてしまった私から思わずこぼれた言葉は、これだった。
「……どちら様ですか……?」
その言葉を聞いた瞬間、シルベール様はガァンと頭を殴られたかのように表情を強張らせた。そして——
「まさか……記憶が……?」
絶望に打ちひしがれた声でポツリとつぶやいたのだった。
*
その後、記憶喪失の誤解も解け、すっかり見慣れた仏頂面に戻ったシルベール様に安心していると、私の腹の虫が唐突に暴れ始めた。
ぐうぅぅうう——
「……聞こえちゃいました?」
「……すぐに用意させよう」
レディにあるまじき爆音に慌ててお腹を押さえたが、間に合わなかったようだ。
赤面する私を他所に、シルベール様が扉の外の侍女に二言三言指示すると、すぐに湯気をたてるお粥が運ばれてきた。
「わぁ……!美味しそう!」
トロトロのあんかけがかかったお粥は、出汁が使われているようで、どこか懐かしさを感じるいい匂いがする。
「いただきます!」
スプーンで掬って一口。
お粥は火傷しない絶妙な温度で運ばれて来ており、口いっぱいに出汁の深い旨みを広げた。優しい味が、疲れ切った身体の隅々にまで沁み渡っていく。
(おいっ……しいっ……!!やっぱ出汁よ!!)
一口、もう一口と、夢中で口に運んでいるうちに、あっという間にお椀は空になってしまった。
「おかわりありますか??」
空のお椀を差し出すと、シルベール様は微かに口元を緩め、安堵の息を吐いた。
「……元気そうでなによりだ」
彼は、今度は自らおかわりを取りに行ってくれた。
結局、その後三杯の粥を平らげ、すっかり元気を取り戻した私は、温泉につかり、侍女にマッサージを受け、完全復活を果たしたのだった。




