54話:公爵家の呪い⑤ 雪解け
ヴォルク(シルベール様)視点です
「ジークに……あなたは……ヴォルク……!?大きくなって……」
死の淵で眠り続けていた母上の声が、静かな部屋に響いた。
14歳の時に呪いを受けて家を出てから、今日まで一度も本邸の敷居を跨ぐことは許されなかった。5年振りに見る母上はひどく痩せていて、俺の記憶よりもずっと小さく見えた。
「セレナ!……ああ、良かった……。本当に良かった……!」
「母上……!」
父上とジークが母上の手を取り、ボロボロと涙を流している。厳格な父の涙など、初めて見た。
「ヴォルク……近くにおいで」
弱々しく差し出された母上の手に引き寄せられるように、俺は一歩を踏み出した。
「ヴォルク……。立派になって……。お父様によく似たわね……。あの時は、呪われたあなたを恐れてしまって、本当にごめんなさい」
母は14の頃に死の呪いをかけられた俺が一度だけ屋敷に帰ったとき、邪気に当てられて倒れてしまった。元々身体の弱い人だ。それが俺が家を出る決意を固めた一因でもあったが……もう過ぎた話だ。
「謝らないで下さい、母上……。俺が……俺が呪われたばかりに、母上を巻き込んで……俺のせいで……」
「何を言っているの、ヴォルク。これは、あなたが14歳の時にかけられた呪いとは関係ないわ。あなたの呪いは、確かに解けた。そうでしょう?」
母上は、俺の頬を優しく撫でた。
しかし俺は、下を向いて拳を握りしめた。
「……やはり……あの呪いは、感染るものだったんだ……。俺の呪いが母上を苦しめた……」
(だから、父上は俺を恨んで遠ざけたのか……)
自責の念に駆られる俺をよそに、母上は涙を流す父上をじっと見つめた。
「……あなた。ヴォルクに本当のことを話していないのですか?」
「それは……」
「全て話すべきよ。この子は全て背負い込んでしまうわ」
「そうだな……」
母上の言葉に父上は重い口を開いた。
「……ヴォルク、この呪いは、お前が14歳の時に受けたものとは全くの別物だ。奇跡的に呪いが解けた後もお前を屋敷から遠ざけ、理由も告げずに突き放したのは……お前を守るためだったのだ」
「……え?」
「呪いが解けたお前を迎えに行こうと準備をしていた時、再びお前を狙った呪いが放たれた」
父上の言葉に、俺は食い入るように耳を傾けた。
「その呪いは、本来の標的であるお前の命か、その母親の命か……代償を選ばせる性質のものだった」
「な……」
「セレナの呪いを肩代わりできると知れば、お前は間違いなく呪いを引き取るために帰ってくる。己の身を挺してでも母を助けようとする……お前はそういう男だからだ」
父上の言葉が、じんと胸に沁みる。
「ただ、私たちも、せっかく助かった大事な息子を差し出す気はなかった。だからセレナと相談して……この新たな呪いが解けるか、セレナが命尽きるまで……お前をここには近づけないことにしたんだ。決してお前を疎んでいた訳ではない……!」
「そんな……」
ずっと、俺が遠ざけられていたのは、一度呪われた不吉な息子など公爵家に相応しくないからだと思っていた。誰が解いたかも分からず、ただ「呪いが解けた」と主張するだけの者など、信用に値しないのだと……。
しかし、そうではなかったのだ。俺は、見捨てられてなどいなかった。父に、母に、守られていたのだ。
言葉が見つからず立ち尽くす俺を見て、父上は俯いた。
「あの時……14でお前が呪われた時、何もしてやれなかった私の言葉など、信じられないだろう……。私を憎んでいても当然だ。ただ、母の、セレナの覚悟だけは信じてやって欲しい」
「……父上、母上。俺は、守られて感謝こそすれ、恨んでなどいません」
「ヴォルク……父と、呼んでくれるのか……」
感極まった様子の父上と俺の会話をずっと聞いていたジークが、たまらず声を上げた。
「ご……めんなさい……!兄上……。俺……母上の呪いのこと知らなくて……!母上が倒れたのに、呪いが解けたはずの兄上が帰ってこないのは、家を捨てたんだって……!兄上が急に居なくなって、家を継ぐ重圧が苦しくて……剣も魔法も何も追いつけなくて……っ!兄上のこと知らずに……自分の事ばっかりで……っ」
「ジーク……」
「ずっと、寂しかった……!兄上に、帰ってきてほしかった……!!」
ジークが腕で乱暴に涙を拭い、子供のように泣きじゃくる。
5年間の暗闇が、一瞬にして溶けていくようだった。
誰も俺を疎んでなどいなかった。父上も、ジークも、母上も……全員が互いを想うあまりにすれ違い、傷つき合っていただけだったのだ。
「もう……貴方たちは、みんな不器用なんだから……」
母上が3人をまとめて抱きしめる。胸の奥から温かい感情が込み上げてきた。
すれ違っていた家族の絆が、5年という月日を経て、ようやく繋ぎ合わされたのだ。
「……そういえば、誰が呪いを解いてくれたのかしら?聖女といえば……ローゼンラーク家のリリアージュさん?」
「いえ、去年新たに覚醒した聖女がいて、彼女が……」
母上の質問に、ヴィリアリナがいるはずの方向を振り向いた俺は、ハッとした。
この奇跡を起こしてくれた、恩人の姿が見当たらない。
「ヴィリアリナは……どこだ?」
「アリナ嬢なら、少し前に退室したはずだけど……兄上!?」
ジークの言葉が終わるより早く、俺は弾かれたように部屋を飛び出していた。
見渡せる廊下に、彼女の姿はない。
嫌な予感がした。
『解呪は、本来は呪いを吸収するものなのね……』
馬車の中で聖女の指南書を読みながらこぼした彼女の独り言が、ふいに脳裏に蘇る。
先ほど、俺から引き剥がされた巨大な呪いの塊。死をもたらすような強力な呪いは——
あれは一体、どこへ消えた。
「ヴィリアリナを見てないか……っ!」
すれ違った侍女を強い口調で呼び止める。
「せ、聖女様なら……休まれるお部屋を探しておいででしたので、客間にご案内いたしました」
「そうか、感謝する……!」
(疲れて寝ているのか?そういえばずっと具合が悪そうだった。ただ休んでいるだけならいいが……)
心臓が嫌な音を立ててざわめく。
客間の扉をノックする……が返事はない。
「ヴィリアリナ……?入るぞ」
焦燥感に駆られ、客間の扉を開け放った。
——その瞬間。
ソファの陰からぐったりと投げ出された白い手が、目に飛び込んできた。
一気に背筋が凍りつく。
「ヴィリアリナっ!?おい、目を開けろ!!」
床に倒れ伏す彼女を抱き起こすが、反応はない。その身体は異常なほど熱く、苦しげに浅い呼吸を繰り返している。彼女の体内では、激しく魔力がぶつかり合い、今まさに命を削ってせめぎ合っていた。
「おいっ!返事をしてくれっ……!」
思わず握りしめた彼女の手を見て、愕然とした。
その指先は——黒く染まり始めていた。
「ダメだ……!まだ、こんな所で……堕ちないでくれ……!」
静まり返った客間に、俺の悲痛な叫び声だけがこだました。




