43話:建国祭③ 開幕
「アレン・ランカスター第二王子殿下、聖女リリアージュ・ローゼンラーク様、ご入場です」
鳴り響くファンファーレと、会場を埋め尽くす貴族たちの盛大な拍手に包まれ、アレン様とリリアが入場していく。
次はいよいよ、最後に入場する私たちの番だ。
「ユリウス・ランカスター王太子殿下、聖女ヴィリアリナ・イースティア様、ご入場です」
重厚な二対の扉が左右に開かれた瞬間、眩いばかりの光が視界に飛び込んできた。
天井に並ぶ巨大なクリスタルシャンデリアが、万華鏡のようにきらきらと光を反射させている。大理石の階段を一段、また一段と、指先にまで気合いを込めて優雅に降りていく。緊張のあまり大暴れしている心臓を必死に抑え込み、顔には淑女の微笑みを貼り付けた。
会場に降り立ち、ホールの中央で優雅に一礼。
まずは、未婚の王族とデビュタントを迎える令息嬢たちのファーストダンス……なのだが。
今回はアレン様、リリア、私の3人がデビュタントの年となってしまったため、ファーストダンスはこの2組だけで踊ることになってしまった。
(こんなの……!公開処刑だよ……!)
私以外の3人は、当たり前のように完璧な所作でステップを踏む。かたや私は、ダンスどころか令嬢としても初心者マークの身だ。周囲を囲む何百人もの貴族たちには、ぜひとも温かい目で見守ってほしいものである。
入場用の音楽がピタリと止まり、会場が静寂に包まれる。私の緊張も最高潮に達した。
私たちがそれぞれの定位置についたのを確認し、宮廷楽団の指揮者が静かに指揮棒を構える。
美しいバイオリンの旋律が響き渡り、ついに舞踏会が始まった。
(ワンツースリー、ワンツースリー。踏み込んで、ターン。右に2歩、1歩下がって……)
ロッテンマイヤー先生に叩き込まれた淑女の微笑みを絶やさず、頭の中で必死にダンスレッスンを呼び起こす。まだまだ荒削りのダンスではあるが、私はあの秘策のおかげで、ギリギリ及第点のレベルで踊ることができていた。
(シルベール様、ユリウス様の足の甲に、防御壁を張ってくれてる!!)
実は先ほど、ユリウス様の足を踏みかけて「あ、終わった」と思った瞬間、まるで空中に見えないクッションがあるかのような奇妙な手応えがあったのだ。
物理ダメージを完全にシャットアウトしてくれる透明なバリア。そのおかげで完全に心の余裕を取り戻した私は、しっかりと顔を上げて踊ることができていた。そんな私の変化を察してか、ユリウス様が踊りながらこっそりと耳打ちをしてきた。
「ヴィリちゃん、顔を上げて踊れるようになったね。この防御壁は……ヴォルクかな?」
「き、気づいていらしたんですか……。実は、そうなんです。やっぱりバレてしまいますか?」
「いいや?ヴォルクのことだ。周囲には分からないように上手く偽装しているさ。それに、これでヴィリちゃんが安心して踊れるなら、それが一番だよ」
そう言ってふっと微笑んだユリウス様に、周囲を囲む令嬢貴族たちから「はぁ……」と熱っぽい吐息が漏れた。相変わらず凄まじい破壊力のビジュアルである。
シルベール様のおかげでユリウス様の足の骨を砕くことなく、無事に一曲目が終わった。周囲へ向けて一礼を捧げると、会場は割れんばかりの盛大な拍手に包まれた。
(良かった……。なんとか最初の難関を乗り切った……!)
しかし、気を抜くのはまだ早い。続いて、今年デビュタントを迎える令息嬢達を加えて、二曲目が始まる。
私もデビュタントにあたるため、ユリウス様と続けて二曲目を踊りきった。
そして三曲目からは、国賓の方々や高位貴族によるダンスとなる。ここからは事前の取り決め通り、パートナーがユリウス様から国賓の殿方へと移り変わる。
「美しい聖女様。――貴女の手を取る栄誉を、私に」
私の前にやってきたのは、友好国の王太子殿下。計画通りの人物の登場に、私の答えも決まっている。
「喜んで」
差し出された手を取り、私は再び、華やかな光が躍るホールの中心へと身を投じた。
*
事前に決められた国賓の方達とのダンスを全て消化し、私は一度休憩のためにパーティーホールの喧騒からこっそり脇に逸れた。
(……っはぁーー!なんとか前半のノルマは乗り越えた!あとは最後の一曲をユリウス様と踊るのみ!さっ!今のうちにご飯、ご飯ーっと)
目指すは豪華な食事達。テーブルの上には、色鮮やかなオードブルや、美しくカットされたフルーツ、宝石のようなお菓子が山盛りになっている。
ドレスの裾を捌きつつ、食事が並ぶエリアに向かおうとした私の視界に、ふっと上品なクリスタルグラスが差し出された。
「聖女様、よろしければこちらを」
「シルベール様!ありがとうございます!」
声の主を仰ぎ見れば、いつの間にか背後に控えていたシルベール様だった。差し出されたドリンクをありがたく受け取り、一気に飲み干す。
冷たく冷やされたさっぱりとした果実風味の水が、ダンスで火照った身体に心地よく染み渡っていく。
「防御壁、本当にありがとうございました。おかげで安心して踊れました」
高いヒールを履いてやっと届くシルベール様の耳元に、こっそり囁く。
するとシルベール様はふっと微笑んだ――気がした。
食事を取りに行こうとテーブルの方に踏み出した私に、彼が静かに提案してくれた。
「お食事をご希望でしたら、私がお持ちします。好きなものをお申し付けください」
「えっ、い、いいんですか……!?どうしてそこまで……?それに、その改まった言葉遣いは……?」
「今は貴女の騎士ですので。こちらでお待ちを」
そう言ってシルベール様は私を、会場の隅にいくつか設置された、豪奢な刺繍入りの仕切りの内側へと誘導した。
この仕切りの内側にいる女性には、ダンスのお誘いの声をかけないのが夜会のマナーである。
身分によって使える場所の格式が変わるらしいが、シルベール様が案内してくれた場所なら間違いはないだろう。
仕切りの内側はまるで小さな個室のようになっていて、完全にプライベートな空間だった。
周囲の視線を気にしなくていい空間で、ホッと息をついて待っていると、すぐにシルベール様が戻ってきた。お皿の上には、小ぶりなサンドイッチや瑞々しいフルーツがきれいに盛り付けられている。
「わぁ!美味しそう!ありがとうございます!」
ちょうど今食べたかったものが網羅されている完璧なラインナップに、思わず感動の声が漏れる。
「いただきます!」
さっそくサンドイッチを手に取り、口に運ぶ。一口サイズに整えられたパンの間には、シャキシャキのレタスと濃厚な卵、そして旨味の詰まったハム。それらを完璧に調和させるマヨネーズとマスタードが、これ以上ない絶妙なバランスでサンドされていて……。
「お、美味しい……!」
腹ペコだった私は、夢中で食事を口に運び、気づいた時にはお皿の上は空になっていた。
「もう少し召し上がりますか?」
「食べたいのは山々なんですが、コルセットがキツくてこれ以上は……。あ、シルベール様、ちょっと緩めるの手伝っていただけませんか?」
「……は?……な、なにを言って……」
ドレスもコルセットも、1人での着脱は想定されていないデザインだ。ちょうどここは個室で人目も無ければ天敵のロッテンマイヤー先生の監視の目もない。まさに絶好のチャンスである。
私は立ち上がり、シルベール様にくるりと背を向けた。
「ここのリボンを解くと、中にホックがあるので、それを一段分……」
一生懸命レクチャーしていた私の言葉は、両肩に置かれた力強い手によって途中で遮られた。そのままぐいっと体を反転させられ、シルベール様と正面から向き合わされる。
見上げれば、彼の碧の瞳が揺れていた。
「……その言葉、他の男には言ってないだろうな……?」
「……え?はい。流石に公衆の面前でこんなことは言いませんよ」
「むしろ2人きりの時の方がダメだ。それは……その……、誘い文句だ」
「へ……?」
「……コルセットを緩めさせる状況を考えろ」
「……え、えーっと……。……はっ!!」
(確かに私、男性にとんでもないことお願いしたな!?)
空腹のあまり脳のブレーキが緩んでいた。冷静に考えてみれば、男性にドレスの紐を解いてくれと頼むなんて、前世の基準で考えてもアウトである。
依然として攻略度0の誠実なシルベール様だったからこそ冷静に注意してくれたが、他の男性だったら大変な勘違いをされるところだった。
「す、すみません……!決してそんなつもりはなく……!」
「わかっている。食事は舞踏会が終わったらたくさん用意するから、今はそのドレスを着たままで入る量にしておけ」
「はい……」
「それに、君はデビュタントを迎えた。気に入った相手へのアプローチは構わないが、その……聖女でなくなるような真似は避けてくれ……」
(そうだ、貞操を失えば聖属性も失うんだ。変なこと口走らないように気をつけないと……!)
「は、はい!もちろんです!」
私はシルベール様にビシッと敬礼を返し、聖女の力を守ることを固く誓った。
「そ、そろそろ会場に戻りますね……」
急激に気まずくなった私は、そそくさと仕切りの外へと脱出した。
――が、フロアに出た瞬間、一瞬にして大勢の人たちに囲まれてしまった。
「聖女様!こちらにいらっしゃいましたか!」
「聖女様、よろしければお飲み物を……」
「聖女様、初めまして私は……」
「聖女様、よろしければ私と一曲踊っていただけませんか?」
「えっ……?あ、えっと……」
あらゆる方向から、クリスタルのグラスや、エスコートを求める手が差し出される。
(こういう時は、一番身分の高い人から順番に応じるのがマナーって習ったけど。……この中で誰が一番身分高いの!?)
聖女の看板が持つ集客力は凄まじく、重なり合う貴族たちの顔を識別することもできずにまごまごしていると、私の後ろから静かに出てきたシルベール様が、一瞬で助け舟を出してくれた。
「皆様、どうかご順番に。――キザン国オルトルッツ王太子殿下。我が主のエスコートに名乗りを上げてくださり光栄に存じます」
すっと周囲を見渡したシルベール様が、瞬時に一番最初に答えるべき大物を引き当てた。
お相手は、三曲目をご一緒した友好国の王子だ。
この場の誰よりも身分の高い彼を前に、周囲の貴族たちがすっと左右に割れて道を作る。
オルトルッツ王太子殿下は私の前に歩み寄ると、先ほどと同じように絵になる所作で、美しく右手を差し出した。
「聖女ヴィリアリナ様。――今度は私の意思で、貴女の手を取る栄誉を、私に」
「はい、喜んで」
私は顔に淑女の微笑みを貼り直し、彼の手を取りパーティーホールへと歩き出した。
――視界の端に見えるあの人だかり全員と踊る羽目になったら、一体何曲になるのだろうか。その恐怖の計算だけは、あえて放棄することにした。
*
一曲が終わり、シルベール様の元へ戻ろうとした私の手を、オルトルッツ王太子殿下がそっと握りしめた。驚いて振り返ると、彼は蠱惑的な紫の瞳を細めて微笑んでいる。
「どうかもう一曲、お相手する栄誉を私にくださいませんか?」
(二曲連続まではマナー的に問題ないはず。それに、この国とは仲良くしたいってロッテンマイヤー先生も仰ってたなぁ)
一瞬の逡巡の後、私は再び淑女の微笑みを貼り直した。
「はい、喜んで」
二曲目の後は無事に解放され、シルベール様の元へ戻ると、次に身分の高い令息――海を挟んで向かいの大陸にある公爵家の令息だという青年が待っていた。
彼は、現在聖女不在となっている自分の国に、どうにか私を呼び寄せたいようだった。
「美しい聖女様、貴女のその魔力は、まるで夜空に輝く一番星。貴女のような方に我らの国の導き星になっていただけたら、どんなに幸福か」
「まあ、お上手ですね、ありがとうございます」
次々と並べ立てられる熱烈な美辞麗句を、おほほと笑って受け流していく。
大陸側では国同士が隣接しているため、魔物だけでなく人間同士の戦争も多い。それゆえに『美の基準=魔力量の多さ』だとロッテンマイヤー先生から習った。瞳の色が基準であるこの国より、数値化しやすくて分かりやすいのはありがたい。
そして、その基準があるからこそ、彼はリリアよりも魔力量の多い私に目をつけたのだろう。
彼は自分の強大さを誇示するように、隠すことなく周囲に濃密な魔力を纏わせていた。
(この魔力量、同年代にしてはなかなか……。私の魔力量よりは多いけど、シルベール様には遠く及ばないから、レベルは60前後といったところかな?)
そんなことを考えながら、彼との二曲目も終盤に差し掛かった頃、彼はどこか苦笑混じりの表情を浮かべながら、私の耳元で囁いた。
「それにしても、貴女の騎士は、貴女のことが余程大切と見える。……さっきから、貴女の手を取る男たちをずっと恐ろしい目で見つめているよ。三曲目のお誘いもしたかったけれど、命が惜しいので今日は彼の元へお返しするとしよう。また明日も踊ってくれると嬉しいな」
(え、シルベール様が……?)
思わぬ指摘にパッとフロアの端を振り返ると、いつも通りの仏頂面をしたシルベール様と目が合った。すると彼は、ふいっと目線を足元に落とした。
(仏頂面はいつものこととして……もしかして、防御壁の常時展開で疲れてる……!?)
私はこの舞踏会が始まってからずっと、ダンス中は彼の密かなサポートを受けている。そして、その目に見えない防御壁によって、何人もの貴公子たちの足の甲が救われているのも事実だ。
(動き続ける足に、相手に気づかれないようにステルスの防御壁を貼り続けるのは大変だよね……。早くサポートなしでも踊れるようにならないと……!)
私は、顔には優雅な淑女の微笑みを貼り付けているが、心の中は申し訳なさでさめざめと涙を流していた。
大陸の公爵令息との二曲目が終わり、シルベール様の元へと送り届けられた私は、彼から「ユリウス殿下がお呼びです」と告げられ、ようやくダンスの連戦から一時休憩となった。
ユリウス様の待つサロンへと向かう道すがら、私はひっそりと、隣を歩くシルベール様に決意を表明した。
「一刻も早く、自分の力だけで踊れるように頑張りますので……。すみません、大変だと思いますが、もうしばらくの間だけ防御壁をお願いします……!」
「……?このくらい、何の問題もない。それに、ダンスはこの短期間で随分上達している。……焦る必要はない」
「……ありがとうございます。私、頑張ります……!」
(本当は、顰めっ面になるくらい防御壁の維持が大変なのに、なんて優しい……!すみません、早く独り立ちできるようになりますので……!)
一日でも早く、この補助輪付きの状態からシルベール様を解放してあげなくては。私は心の中で、固く拳を握り締めるのだった。




