39話:聖女の多忙な1日
「ひぁっ!?くすぐったい……!」
「動かないでくださいませ。すぐに慣れますわ」
「待って……!そこは……!」
「いいえ!観念なさいませ!」
バッと剥ぎ取られたタオルの下は、文字通り生まれたままの姿。
「きゃあぁっ!?」
年相応の女の子のような悲鳴をあげてしまった自分に驚きつつも、大事なところを必死に隠す。
王宮の離れでの生活1日目。私は早くもカルチャーショックを受けていた。
王宮に着くなり、あれよあれよという間に風呂場へ放り込まれた私は今、屈強(?)な侍女たちに囲まれて身体の隅々まで清められているのだ。
「じ、自分でできますっ!」
人に洗われるなんて、おそらく乳幼児の頃以来だ。幼い時から令嬢として傅かれてきたならまだしも、私の中身は庶民的な日本人。他人に身体の末端まで執拗に磨き上げられるのは、抵抗感がある。
しかし相手もプロ。私の抵抗も虚しく、頭のてっぺんから爪先、そして言えないようなあんなところまで、徹底的にピカピカに磨き上げられてしまった。
(ぱ、パンツすら自分で履かせてもらえなかった……)
何か人間として大切なものまで洗い流されてしまった気がする。
あっという間に就寝準備を整えられ、気づいた時には天蓋付きのふかふかしたベッドの上だった。
「おやすみなさいませ、聖女様」
そう言って音もなく去っていく侍女たちを見送った私は、枕に顔を沈めて悶絶した。
「これが……毎日……?」
プライバシーなんてない生活の始まりの予感に、震えながら目を閉じた。
*
「おはようございます、聖女様。朝のお勤めの時間です」
「……へ?」
目を開けると、至近距離にロッテンマイヤー先生の顔があった。
「ぎゃっ!?」
(そうだ、王宮だった……!)
寝ぼけ眼で座っている間に、魔法のような手際で身支度が完了する。学園の授業開始時間は9時。いつもならギリギリ8時半に起きている私が、今日起こされたのは早朝6時だった。
大聖堂での祈りを捧げ、先生に監視されながらの優雅な拷問を終えた私は、迎えに来ていたシルベール様に連れられて学園へ向かう。そして学園が終われば再び王宮へ戻り、建国祭の準備だ。
今日のメインレッスンは、鬼門のダンスだった。
すでにへとへとではあるが、自ら志願して増やしてもらった枠を無駄にするわけにはいかない。
「よろしくお願いします!!」
気合いを入れてレッスンに挑む。
「ワンツースリー、ワンツースリー。そうです!その調子ですよ!」
講師の先生に励まされながら、必死にステップを踏む。ちなみに先生には、私のヒールで踏まれても骨折しないよう、爪先に鉄板の入った特注の靴を履いてもらっている。
これによって緊張が少しマシになった私のダンスの腕前は、足を踏む頻度が10歩に1歩から、20歩に1歩になる目覚ましい進化を遂げていた。
「今日はここまで!成長されましたね……!」
鉄板のおかげで命拾いをした先生が、感動した様子で私を見送ってくれた。
休憩を挟む間もなく、次は座学だ。
「ジルコディック侯爵家は豊富な鉱山を有し、国内屈指の装飾品加工職人集団を抱えています。現在の当主様のお名前は?」
「ええと……クローディア・ジルコディック侯爵、でしょうか?」
「正解です。では、夫人とお子様の構成は?」
「……第一夫人ラーナリナ様との間に、お子様が3名。第一子は現在留学中で……」
私の脳内メモリは今、国内の主要貴族と、国賓として招かれる重要人物の情報でパンク寸前だ。
この国で育ったならまだしも、2年前にこの世界に飛ばされ、その後はずっと『試練の間』でレベリングに明け暮れていた私にとって、この「貴族名鑑丸暗記」は歴史年表の暗記よりも難易度が高い。
「ゆくゆくは伯爵家、子爵家も覚えていただかなくてはなりませんわ」
涼しい顔で言い放つロッテンマイヤー先生。彼女の頭にはこの膨大なデータベースが完璧に入っているらしい。リリアも当然のようにこれをクリアしているというのだから、貴族様の世界は大変だ。
(ステータス画面でカンニングできればいいのに!)
一瞬そんな悪知恵が働いたが、レベル50を超えた強者はステータスの隠蔽が可能らしく、この作戦は封じられた。というか、隠蔽なんてスキル、破魔の聖剣を取りに行く前に教えて欲しかった。私のステータス、ずっと丸出しだったじゃないか。
(それにしても、私の実家、社交界と交流なさすぎじゃない!?)
確かに辺境の貧乏子爵家ではあったが、一応は貴族。なのに、私の記憶にある限り、他家との交流も夜会に出た記憶もない。
(まあ、娘が毎日一人で『試練の間』に籠もっていても許されるような家だしな……)
おかげでレベリングだけは順調だったので、それはそれで良しとしよう。
ふと意識が外に向き、背筋がわずかに緩んだその瞬間。
パチッ!!
「――痛っ!」
背筋に鋭い静電気が走る。
「姿勢の乱れは?」
「……心の乱れ、です」
「よろしい。続きを」
指先から火花を散らした先生に促され、私は辞書のように分厚い貴族名鑑に再び視線を落とした。
*
私のダンスの腕前が、「50歩に1歩、足を踏む程度」まで向上した頃。
「本日はリハーサルを兼ねて、ユリウス殿下にお相手をお願いしております」
ダンス講師の先生が余計な(失礼、大変素晴らしい)提案をして来た。
「いやいや!まだ高確率で足を砕いてしまうかもしれないので、ダメです!殿下は国の宝ですよ!?」
必死にユリウス様の足の指を守ろうとした私だったが。
「私とのダンスは嫌かい?」
「ゆ、ユリウス様!?」
断るよりも早く、レッスン室の扉が開いた。
ユリウス様は優雅な足取りで私に近づくと、その右手を差し出した。
「ご令嬢。――貴女の手を取る栄誉を、私に」
その微笑みは、まさに物語から抜け出してきた王子様そのものだ。
(こうなっては断れない……!)
私は覚悟を決めてその手を取った。その目は、王子に選ばれたプリンセスのそれではなく、死地へ向かう戦士のようであった。
*
「……回復魔法??」
「念のため。念のためです」
私は開始位置につくと同時に、ユリウス様に全力の回復魔法をかけた。万が一、私のヒールが彼の足の指の骨を粉砕しても、気づかれないうちに瞬時に治癒するための、聖女の能力の無駄遣いである。
(ワンツースリー、ワンツースリー……。一歩下がって、ターン。絶対に、踏まない……!)
全神経を足元に集中させる。
顔を上げれば、老若男女を惑わす彫刻のような美貌が微笑みを湛えているのだが、足元のミリ単位の攻防に夢中な私は、一瞥する余裕すらない。
1曲約3分。
死闘の末、一度も殿下の足を踏まずに踊りきった私は、感激に顔を上げた。
「ユリウス様……!やりました……!!無傷です!」
講師の先生も、世紀の瞬間を目撃したかのように拍手を贈っている。
優雅さとは程遠い出来栄えだが、なんとかスタートラインに立つことはできた。
無事にレッスンを終えた後、ユリウス様が小さな包みを差し出した。
「最近頑張ってると聞いたからね、これは私からのちょっとしたプレゼントだ」
中を覗くと、そこには甘い香りを放つクッキーが詰められていた。
「わぁっ!美味しそう!ありがとうございます!!」
絶対に美味しいことが約束されたその香ばしさに、私の精神力は少し回復する。
髪飾りを贈った時よりも心底嬉しそうなその笑顔に、嬉しくも少し複雑な気持ちになったユリウスだったが、そのまま足早に次の講義へと向かう彼女の後ろ姿を見送った。




