24話:聖女が呼ぶ波紋
治療を終え、貴族隊の基地に戻るヴィリアリナを見送ったヴォルクの背中に声がかかった。
「ヴォルク」
「お呼びでしょうか、公爵閣下」
シルベール公爵は、深く頭を下げた息子を見て苦く笑った。
(……『父』とは、呼んでくれぬか。いや、今の私にそれを望む資格などないか)
かつて息子が呪いを受けたとき、自分は彼を守れなかった。凄惨な呪いからも、心ない世間の目からも。扱いを考えあぐね、沈黙を守っている間に、息子は家を出てしまったのだ。
無事に呪いが解けた今も、不甲斐ない過去が枷となり、息子と正面から向き合えずにいる。ヴォルクは呪いが解けて以来王都に住まい、本邸の敷居を一度も跨いでいない。そして公爵自身も、ある「別の理由」から、彼を本邸へ迎えられずにいた。
「今日は私の馬車に乗れ。送っていこう」
「……御意のままに」
ただ一言「一緒に帰ろう」と言いたいだけなのに、口を突いて出るのは事務的な命令ばかりだ。
*
同じ馬車に揺られながら、公爵は所在なげに窓の外を見つめていた。対角線上に座るヴォルクもまた、反対側の景色を眺めている。
家を出ていた間の暮らし、学園での生活――聞きたいことは山ほどある。だが、沈黙の壁を壊す言葉が見つからない。公爵は、先ほど作戦本部の空気を凍りつかせた「あの出来事」を話題に選んだ。
「……聖女殿とは、どういう関係だ?」
尋問するような響きになってしまったことを内心で悔やみつつ、ヴォルクへ視線を向ける。ヴォルクもまた、感情の読めない瞳をこちらに合わせた。
作戦室で「彼を死なせない」と言い切った銀髪の聖女。彼女が、なぜヴォルクを擁護するのか。その動機が公爵には計れなかった。
「聖女と怪我人。それだけです」
ヴォルクの答えは、あまりに素っ気なかった。無断で聖女の治療を受けたことを咎められているとでも思っているのだろうか。
「……彼女が、お前を死なせないと作戦本部で宣言したぞ」
「…………は?」
鉄面皮だった息子の眉が、微かに、だが確かに跳ねた。呪いを受けて以来、感情を削ぎ落としたかのように表情を失っていた息子が見せた、久々の動揺だった。
「聖女殿は、なぜそこまでしてお前を守ろうとする?」
「……存じ上げません」
「面識は、あるのだろう?」
「……監視役ですので」
また無表情に戻り、淡々と答えるヴォルク。監視役としての任務以上の交流はない、と言いたげだ。再び車内に、重苦しい沈黙が降りる。
それを破ったのは、意外にもヴォルクの方からだった。
「……先ほどの話は、本当なのですか。その……彼女が、私を……」
「ああ。死なせないと、確かに宣言した。指揮官たちの前でな」
「よりによって、教会派の重鎮たちの前で……」
ヴォルクは額に手を当て、深く、重い溜息をついた。
教会派にとって、聖女にも解けなかった呪いを自力で、あるいは未知の力で解いたヴォルクは、「信仰を脅かす不都合な存在」だ。そんな彼を公然と擁護したのだ。一歩間違えれば、彼女自身の聖女としての地位すら危うくしかねない。
やがて馬車が止まった。王都へ向かうヴォルクとは、ここで別れねばならない。
馬車から降りたヴォルクの背中に、公爵は必死で声を絞り出した。
「……次の休みは、帰ってくるといい。ジークと一緒にでも」
ヴォルクは、振り返らなかった。
期待すらしていない後ろ姿。向き合おうとしなかった歳月の長さが、指の間からこぼれ落ちた信用の代償として、重く公爵にのしかかった。
(向き合わねばならない。家族とも、自分自身とも)
脳裏に浮かぶのは、家族の姿と、迷いなくヴォルクを擁護した聖女の黄金の瞳。
(彼女を利用することになるかもしれん。だが、これしか方法がないのだ)
揺れる馬車の中で、公爵は国王へ宛てる手紙の内容を反芻した。
再び、家族が同じ屋根の下に集える日を迎えるために。冷え切った家を、もう一度灯すために。




