第2話-③
「はぁ……はぁ……やっぱここか」
広がる土の匂い。肩で息をしながらたどり着いたのは、屋上庭園だった。
ここは朝から昼間まで解放されていて、誰でも使える場所だ。
俺とお姉さんの考えが正しければここに――
「まっ……待ってほしいのだよ……ひぃ……」
後ろから今にもへたりこみそうな声が聞こえてくる。
「なん……君、怪我してるのに……よく動けるのだね……ぅぅ」
お姉さんは、ふらふらしながら階段を上ってきた。
そういやいつの間にか、お姉さんを追い越していたんだった。
「わっ、悪いお姉さん……大丈夫か?」
「だいじょうぶなわけ……ないのだよ……のどがひゅーひゅーいって……こりゃご褒美たくさんもらわないと……」
お姉さんの髪はくしゃくしゃになっていた。そして胸元を押さえて、呼吸を整えている。
無茶に付き合わせて申し訳ないと思ったけど、隠す気がない欲望に笑いそうになってしまう。
余裕ありそうじゃねえか。とツッコむのはやめておこう。
それより、今はあのガキだ。俺も息を整えながら辺りを見回す。
心臓がドクドクいって体が熱い。
俺が額の汗を拭った、とその時――
「ぐすっ……」
小さくすすり泣く声を、俺は聞き逃さなかった。
「見つけたっ……!!」
視線の先には、屋上庭園にある木で作られた屋根付きのベンチ。
その屋根の上で、あの子供が泣いていた。
「なんであんな高い所に……」
「はぁ……おおかたヒーローごっこかなにかで、あそこに上っちゃったのだろうね。ふぅ……」
お姉さんは息を切らしながら、ベンチのほうを指さす。
ぷるぷると震える指が示していたのは、ベンチにかけられていた梯子だ。
おそらく、手入れ用としてかけられている梯子を登ってしまったのだろう。
それとあの屋根……苔もたくさんついていて、かなり古そうだ。
しかも、屋根を支えてる骨組みの部分が妙に黒ずんでる。……嫌な予感がした。
高さは俺の身長以上もあるし、落ちたら怪我じゃすまねえ。
俺はスマホを取り出し、すぐさまトオルに子供を見つけたことをメッセージした。
「お姉さん……」
「うん。行くのだよ」
二人で顔を合わせてうなずく。
子供を刺激しないよう、俺とお姉さんはゆっくり近づき始めた。
……足を滑らせて落ちるなんてことを、させないように。
「坊や、もう大丈夫なのだよ」
お姉さんはゆっくりと優しく声をかける。
それに気づいた子供は、体を震わせていた。
「うっ……おねーさんっ、それにおにーちゃんも……」
「ああ、俺らが来たからもう大丈夫だ。じっとしてるんだぞ……」
俺も刺激しないよう、小さく声をかける。
「うん……っ」
よし、なんとか大人しくしてくれてる。
今のうちに近づかないと……。
ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつ進む。
よし、これなら――
「見つけた、あそこですっ!」
突然、扉の方から声が飛んだ。あの声はトオルか?
ってことは、そこには――
「こらっ! 降りなさいっバカ息子!!」
次に聞こえたのは、母親の怒鳴り声だった。
まずい……この状況であの子に声かけたらっ!!!
「あっ! おかあさん!! おかあ――」
ずるっ。
子供の声は途切れる。
一番起きてほしくない事が起きた。
母親に気を取られた子供が、屋根から足を踏み外した。
「きゃあああ!!」
「あぁ!!」
「坊や!!!」
全員叫びを上げる。――が。
「わあっ、と……」
子供はなんとか体勢を立て直し、なんとか屋根にしがみついた。
「あっぶなかったのだね……落ちるかと思ったのだよ」
「そう……っすね、今のうちに」
お姉さんもかなりの冷や汗をかいていた。早くあの子のところへ行かねえと――
べきっ。
「あっ――」
黒ずんだ木が、嫌な音を立てて割れる。子供の力のない声。
そして、俺の目の前に落ちる人影と木片が目に映った。
「!!」
全てがスローに見えた。
こんなタイミングで折れるなんて。
俺は――すぐさま飛び出した。
落下する子供との距離はギリギリか。
間に合え、間に合えと願いながら地面を蹴る。
そして受け止められるよう体の向きを変え、手を伸ばした。
どすっ。
「ああっ!?」
「タイヨウ!?」
「タイヨウ君っ!!」
重く鈍い音が空に響く。
「いっ……てえ!!!!!」
叫びを上げたのは、俺だ。
ズキズキと疼く腹の上に、なんとか子供を受け止められた。
「間に合った……か、タイヨウ……」
「……よかっ……た……」
扉の方で、トオルとお母さんの力の抜けた声と一緒に、ぺたりと座り込む音がした。
安心して、その場にへたり込んだんだろう。
で、当のガキはというと……
「さっすがおにーちゃんだ! ありがと!!」
俺の上で、きゃっきゃと笑顔でいやがる。
さっきまでの泣き顔はどこへやら。さすがガキの無邪気さって感じだ。
全く……こっちの気も知らねえで……。
今にものたうち回りそうなぐらい体が痛い。めっちゃ涙が出そうだ。
でも、子供の前ではカッコつけておこう。不安にさせたくねえから。
「うははっ! くすぐったーい!!」
俺は、子供の頭を撫でてやった。
……よかった。間に合って。本当によかった。
「……はぁ、ほんっとうに無茶しかしないのだね君は」
ため息混じりの呆れ声で、お姉さんが近づいてきた。
なにを言われっかなぁと思いながら、俺はお姉さんの方へ顔を向けた。
「まったく、初めてだよ……タイヨウ君みたいな人は」
風が吹き、金色の髪がさらさらとしてきらめく。
お姉さんは目を細めて、優しく微笑んでいる。
その瞳はキラキラ輝いていて、俺をまっすぐ見つめていた。
「……っ」
俺は唾を飲んだ。顔がめちゃくちゃ熱くなる。
この光景から、お姉さんから目を離せない。
体の痛みを忘れるくらい、綺麗だという感情があふれてきた。
――そして、俺の中で一つの疑問が確信になった。
***
屋上でのドタバタの後、俺はトオルや親子たちを見送った。
トオルからはいつも通りの「無茶はほどほどにしろ!」とのお説教をくらい、親子からはまあ深々と頭を下げられてしまった。
あまり気にされるとこっちがむず痒くなるな……と思いながら母親には「気にしないでくれ」と言った。
それとガキにはこう伝えた。
『あまり母ちゃん困らせんなよ、元気でな』
『うんっ! ありがとっ、おにいちゃん!!』
わかってるのかは怪しいが返ってきたのは、はなまるみたいな笑顔だった。
それだけで終わればよかったのだが……とりあえずなんとか自分の病室に戻ってきた。
一つの手荷物を持って。
「あっ、おかえりタイヨウ君。随分と浮かない顔なのだね?」
扉を開けると、お姉さんがまた俺のベッドに腰をかけている。
退屈そうに足をプラプラさせながら、トオルから貰ったお煎餅をばりばり食べていた。
人の気も知らないで、この人は……。
てか待て、それは俺のだろう。
「そりゃ……まぁ、あんだけ暴れ回って看護師さん達に怒られないわけないからね……」
「それはそうだろうね、んぐんぐ」
お姉さんはお煎餅をかじりながら、あっけらかんと言いやがる。
見送りの後、看護師さんたちに囲まれてめーーーーっちゃくちゃ怒られたのだ。
病院内を駆け回ったことや、子供を受け止めたことで怪我が悪化したこと。
そりゃもう……徹底的に。
「とって喰われるかと思いましたよ、ハハ……」
自分でもわかるくらい顔が引きつっていた。
「目が虚になっているのだよ……こわっ」
お姉さんのお煎餅を食べる手が、ピタっと止まる。
そんなにやばい顔してたのか?
……まあ過ぎたことは過ぎたこと。
これでこの一件のことは終わりだ。
――あとは約束を果たさないと。
「そうだお姉さん、ほらこれ」
俺は手に持っていた、中身入りのレジ袋を手渡した。
「ほえ? あっ、もしかしてっ!」
お姉さんは早速、がさごそと袋から中身を取り出した。
「わぁ〜! プリンだ!! 本当におやつ買ってくれたんだ、やったぁ!!」
お姉さんはベッドから立ち上がって、子供みたいにぴょんぴょん跳ねる。
そのプリンは子供捜索の時にした約束のもので、さっき売店で買ってきたものだ。
お姉さんの長年の勘に助けられた礼、ってことである。
「ん〜っあまーい♪ ありがとねタイヨウ君!!」
お姉さんはスプーンをくわえて、目をぎゅっとしながら美味そうに食べる。
ってもう食ってんのかよ。さっきまでお煎餅も食ってたじゃねえか。
――まあいいや。
「……なあ、お姉さん」
「ん? なんだね、コレはあげないのだよ?」
そういってお姉さんは、プリンを持つ手を遠ざける。
「それは美味しく食ってくれ……ってそうじゃなくてさ」
ペースに飲まれる前にさっさと言い出そう。
「お姉さんさ、“友達”が欲しかったって言ってたよな」
「……」
お姉さんの大きく開けた口が閉じる。
一瞬だけ、唇を噛んだように見えた。
「はて……そんなこと言ったかね……?」
ゆっくりと、スプーンを持つ手が下がる。
お姉さんは知らんぷりな感じだった。
目も伏せて、俺を見てくれなくなる。
でも、確かにあの時聞こえたんだ。
『……私もそんな友達が欲しかったな』
お姉さんのたまに見せる、いつもと違う表情。
あれが助けを求めてる顔なのかは、正直わからねえ。
俺の思い込みかもしれねえ。けど、そう見えてしまう。
なにかできねえかなってずっと思ってた。
でも、余計なことかもしれねえし、踏み込んでほしくないところかもしれない。
だからって、放っておけるわけがねえ。
なら、俺が出来ることは――
「なら……これは、俺からのお願いってことでいいや」
「……タイヨウ君?」
俺はゆっくり口を開く。
「俺さ、入院ってすげー嫌だなって思ってたんだよ」
「……?」
お姉さんは不思議そうな顔をする。
「治るまでずーっとこんな部屋に閉じ込められて、退屈で嫌だなってさ」
「……うん」
「でもよ、なんかお姉さんといると退屈しないなって思ったんだ。むしろ、もっと一緒にいたいって思うくらい……」
「……」
口にすると、とても恥ずかしい。ええい、今更なんだ。伝えるなら今しかないんだよ。
「あの時、俺なんかの話を真面目に聞いてくれてありがとう。すげえ嬉しかった」
「そんな、お姉さんはただ……」
「だからよ、俺もお姉さんのことをもっと知りたいし、もっと仲良くなりてえんだ!」
「……もっと、仲良く……?」
「ああ。……だからさ」
「……」
急に変なこと言っちまったかなと不安になる。でも、もう後戻りはできん。
伝えるんだ。俺の思いを。
「だから、俺とダチになってくれないか。お姉さん」
お姉さんの前に、ゆっくりと手を差し伸べた。
「……っ」
お姉さんはうつむいたままだった。
やらかしたか……と思っていたが。
「……タイヨウ君って、いつも愛の告白みたいなことを言うのだね?」
「えっ?」
「そっかそっか、そーんなにお姉さんとお友達になりたいのだね〜?」
お姉さんはくるりと背を向ける。一緒になって、綺麗な髪も揺れた。
「ぐっ……! そうだよ! 文句あっか!?」
「……そっか」
すると俺の目の前に、ぴょいと飛んできて……。
「ふふっ、ほい」
お姉さんはプリンを一口すくったスプーンを、俺に差し出した。
「えっ、なに……?」
「お友達なら、おやつわけっこするものなのだよ?」
「なっ……!?」
お姉さんは、さも当たり前のような顔をした。……結局、お姉さんのペースに飲まれちまったな。
全くこの人は。
「ほれほれ〜、あーんしてあーんっ!」
「ぐっ……あっ……あー……んっ」
お姉さんの手に持つスプーンが、俺の口に運ばれる。
俺は、そのプリンをいただいた。
その時だ。
「ありがとうね、タイヨウ君。でもね、君も無茶ばかりしちゃダメなんだからね」
今にも消えそうなくらい細い声で、お姉さんはささやいた。
……無茶か。俺も、少しは考えた方がいいかもしれねえな。
――って待て。これお姉さんと同じスプーン使ってるよな?
ってことは……。
「これ、かかっ間接……」
我に帰った俺は、思わずあとずさった。
冷静に考えたら、これ間接キスになってるじゃねえか!
ふとお姉さんの唇を見てしまう。意識しちまったら急に心臓がバクバクいいやがる。
顔が熱くなり過ぎて、変な汗かいてきやがった……!
「あ〜れ〜? さっきまでちょーっとカッコよかったのに、間接キスの一つでドキドキしてるのだね〜??」
「ばっ……そそそそそんなこと…っ!」
「ウブすぎるのだね〜♪ ホレホレ、もう一口あーんなのだよ〜!!」
「やっ、やめろ! くるなぁ!!!」
プリンを持ったお姉さんと、そのまま追いかけっこが始まってしまった。
でもまあ……お姉さんが楽しそうで、笑顔になってくれてよかった。
――それと、屋上で俺は確信した。
『まったく、初めてだよ……タイヨウ君みたいな人は』
さっきの屋上でのお姉さんと、夜に出会った“あの人”が完全に重なって見えた。
間違いない。お姉さんは、“あの人”だ。
……だけど、無理に問い詰めても仕方がねえ。
いつか聞ける時が来たら、その時に聞いてみよう。
どうしてあの夜、お姉さんは泣いてたんだ? って。
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