最終話-①
「長いリハビリ生活もよく耐えましたね。今日で晴れて退院です。今までお疲れ様でした」
見飽きた病室で、看護師さんがそう告げる。
私はベッドに腰をかけて、足をぱたぱたさせる。
せっかく綺麗に着こなした純白のワンピースを、汚さないようにとだけ気を付けていた。
「ですが、体調というのはいつ悪くなるかもわかりません。しばらくは――」
ああもう、じれったいのだね。
そんなお話は、今まででも聞き飽きてるのだよっ!
それに今日は大切な日なのだから、付き合っていられないのだね。
よしっ。足音を立てないように、そぉーっと抜け出すのだよ……。
「ですからアリアさん……って! ちゃんと話を聞いているのですか!!」
「あっ」
忍び足で病室を抜けようとする私を、看護師さんのギラっとした目が捉えた。
「ヤバっ、さっさと退散するのだよ!!」
私は今日のために用意したバッグを抱えて、病室の外へ駆け出した。
前とは比べ物にならないほど、体が軽い。呼吸も全然乱れないや。
嬉しくてつい笑みがこぼれる。
私はやっと自分の足で前に進めるんだ、って。
ナースステーションを通り過ぎて、階段を駆け下りる。
周りの看護師さんからは「走るな!」などと言われちゃうが、今日くらいは許してほしいのだよ。
それに通り過ぎるたび、他の患者さんからも「よかったね」「元気でなっ」なんて言われる。
……なんだか、とても心がくすぐったかった。
そして、ロビーから正面玄関へ続く道まで辿り着く。
そこへ――
「こらアリア!! 退院だからってはしゃぐな!!」
げっ。
「おっ、お父さん……」
まさかこんなとこでお父さんに会うとは。
今日はたしか夜勤明けだったはず……。
大人しく寝てればいいものを……うへぇ、やりづらいなぁ。
……よしっ、こうなったら。
「リハビリを終えたからとはいえ、あまり調子に乗りすぎるのも――んぐぁああっ!!」
私はお説教が始まる前に、持っていたバッグからおにぎりを取り出して、お父さんの口に突っ込む。
今日のためにたっくさん作ってあるのだから、一つくらいくれてやるのだよ。
「私は急いでいるのだよ! お話は後でしてあげるから、またねっお父さん! いってきます!!」
「もがー!!ばべー!!(こらー!!まてー!!)」
なに言ってるかわからないのだよ。それより早く向かわなければ。
今日は、大切な大切なデートの日だ。
人を待たせているのだから、こんなことをしてる暇はない。
たっ、たっ、と軽やかな足音を立てる。あともう少しで玄関を……!
「こらこら、走っちゃだめだぞっ」
「わぁっ!?」
私はなんとか地面に踏ん張って、ブレーキをかける。
デートのことで頭がいっぱいになっていて、目の前を見ていなかった。
その声をかけてきた人は……。
「あっ! 今日は守衛さんの方なのだね、おじさん!」
「ほっほっ、そうじゃよ。だから、わしの言うことは聞いておくれ?」
「はーいっ!」
私が入院したころから働いていたおじさんだった。
この人は、私に必ず挨拶をしてくれていた。けどあの時の私には、うっとおしくて、邪魔だとさえ思っていた。
それでも、おじさんはどんな時でも「ほっほっ」と笑顔が絶えない人だった。
……この人とも、今日でお別れか。
ちゃんと、挨拶しないとね。大事なんだもん。
「あのねおじさんっ! 私――」
するとおじさんは、首を横に振った。
そして目をゆっくり閉じて、温かく微笑むと……。
「大切な人と待ち合わせなんじゃろ? いってらっしゃい。アリアちゃん」
まるでこの人はなんでも知っているようだった。不思議な人だ。
……今さらだけど、私はたくさんの人に支えられていたんだなってやっとわかった気がする。
本当、今さらすぎるのだね。
「……うんっ! いってきます!!」
おじさんに大きく手を振って、私は慣れ親しんだ病院を後にした。
外に出ると、澄み切った大空が広がっている。太陽の光もちょうどよい暖かさで、目を閉じたら気持ちよく眠れそうだ。
私は、近くの駅まで駆け足で向かった。
すれ違う人たちの話し声。道路を走る車や、バイクの音。通り過ぎるパン屋さんから漂ってくるおいしそうな匂い。
その全てを感じるのが、とても嬉しかった。
そして、やっと駅にたどり着いて電車に乗り込む。
アナウンスと共に、扉が閉められる。私は呼吸を整えながら、動き出す電車の窓から外を眺めた。
髪の毛は乱れちゃってないかな。と窓に反射する自分を見て、両手で髪を整える。
あと数駅で……あの子に会える。心臓が高鳴ってしまい、やけにうるさく感じた。
顔もすごく熱っぽくなってる。多分、まっかっかになってるのだね。
いい歳してこんなにドキドキするのも、恥ずかしいのかもしれない。
けれど……そんな私を好きだと言ってくれた、この世でたった一人の、大切な人が居るんだ。
こんなに嬉しいことはない。
そんなことを考えていたら、あっという間に目的地の駅に着いてしまった。
恋する乙女か、私は。
扉が開かれると同時に、私は駆け出す。
階段を駆け上り、改札へ一直線。
そして駅の出口に着くと……。
「……おっ、待ってましたよ」
彼の優しい声が耳に入ると、私の心臓がトクンと大きく跳ね上がる。
その声が聞けただけで、とっても嬉しかった。
リハビリ期間中は、ちょうど彼も学校やらなにやらで色々忙しくなってしまった。
メッセージでの連絡は取り合っていたけど、こうして顔を合わせるのも久しぶりだ。
しかもなんだい。グレーのテーラードジャケットの下に、真っ白なシャツなんて着ちゃって。おズボンまで、きりっとした黒かぁ。
まるで背伸びした大人のおめかしじゃないか。……ちょっと、かっこいいかも。なんて絶対言わないのだよ。
さぁーてさて、ちょいとしかけていきますかぁ~。
「久々すぎて、私の顔忘れちゃってないのだね?」
少しおちょくるように、彼に問いかける。
いひひっ、このままいつもみたいにいじってやるのだね。
……そう思っていたのに。
「忘れるわけないじゃないですか」
すると彼は私の顔に近づいて、何事もないかのように私の頬を撫でる。
「ひゃぁっ!?」
その指の感触に、私は意識を持っていかれてしまった。
しかもいっちょ前に、爽やかに軽く抜けるような良い匂いの香水まで付けてる!?
あわわ、すっごいドキドキしてきて調子が狂うのだよ……!!
「大好きな人の可愛い顔、ですもの。ねっ?」
そういって彼は白い歯をきらっと見せてくる。
うう……いつの間にそんなプレイボーイになったのだねこの子は!?
「なっ、なんか手慣れてるのだねっ。もしかして……他の女の子でもひっかけてたんじゃないだろうね!?」
「ははっ、んなバカな。俺はあなた一筋ですよ。――お姉さんっ」
そう言って彼は……タイヨウ君は、優しく微笑みかけてくれた。
「うぐっ……!!」
――そう。今日は、あの日の約束のデートをしに来たのだった。
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