第6話-②
「ここに居ると思ってたよ、お姉さん」
俺はゆっくりとお姉さんに声をかける。
だが、お姉さんは決して目を合わせようとしなかった。
「……なんで、ここに」
「聞こえてきたんだ、お姉さんの声が。初めてここで出会った時と、同じさ」
お姉さんは、しばらく口を噤んでいた。
「……あの時の人が私だって、よく気づいたね」
「いや、そりゃ……わかるでしょ?」
確かにあの日は顔をよく見られなかったけど、特徴からお姉さんだってことはわかっていた。
……とはいえ確信を得られたのは、お姉さんと接してからだけどな。
「んんっ?」
「……えっ?」
互いに首をかしげて、沈黙する。
まさか、お姉さんはバレてないと思ってたのか?
……まあ、それは今は置いといてだ。
俺はゆっくりと、お姉さんに向かって歩き始める。
「……お姉さん、俺は――」
仕切り直して、本題に入ろうとする。
「来ないでっ!!」
「!!」
だが、お姉さんの叫びに思わず俺は足を止める。
その声には、明確な拒絶が込められていた。
「さようならって、もう終わりだって、私言ったよね……?」
その声は低く響く。そんなふうに突き放されるのは、やっぱり辛い。
俺は一瞬、下唇を噛む。でも、ためらいなんて投げ捨てろ。
もう、決めてるのだから。
「ああ、言われたよ」
俺は構わずに、再び歩き始める。
「私のことはもう放っておいてよ!! 君は所詮遊びだったのだよ。私が死ぬまでの暇つぶしだったの!!」
「……それでも、いいよ」
お姉さんまでの距離はあとわずか。
「それ以上近づかないで!! 君にできることなんてなにもない! 私の気持ちだって変わらない……ようやく私は死ねるの! 楽になれるの!! それを邪魔するの!?」
邪魔……か。間違っちゃいねえな。
ならよ……。
「……じゃあ最後に、俺と話をしてくれないか?」
お姉さんの息づかいが聞こえてくる。
距離も、あと少し。
「なにも話すことなんてない!! 君のことなんて大嫌いだもん!!!」
目をぎゅっと瞑って、俺に叫ぶ。
そして、ようやくお姉さんの目の前にたどり着いた。
「来ないでって言ったのに……! 早くどっかいって!! 私の前からいなくなってよ!」
お姉さんは早口でまくし立てる。
目を逸らしたまま、腕を振り払って俺を近づかせないようにする。
俺はその手を優しく掴んだ。
「……っ! はっ、離して!!」
腕を動かして逃げようとするお姉さん。
ごめん。今だけは、俺のわがままを許してほしい。
「最初に謝っておく。ごめんなさい」
俺は頭を下げる。
「お姉さんのこと、黄崎先生から聞いちゃったんだ」
そのまま俺は、ゆっくりとお姉さんの前で膝をつく。
決して、お姉さんの敵じゃないって示すように。
「……ははっ、だからなんなのだね。私のことを知って、同情でもしたのかい? 可哀想だなとでも思ったのかい?」
お姉さんは、歪んだ笑みを浮かべる。口元は笑っているのに、目はまるで笑っていない。その視線は、見ているこっちが怖気づきそうなくらい鋭かった。
当たり前だ。人のことを勝手に聞いてしまったんだ。こんな顔をさせちまったのは、俺のせいだ。
本当に、ごめんなさい。
「……いや、そんな簡単に言葉にしていいものじゃない。俺なんかが、触れていいものじゃなかったさ」
そうだ。これは本心だ。
俺みたいなガキに、なにができるんだという。
「ははっ……よくわかってるじゃない。所詮、私のことなんてわかってたまるかなのだよ。なにもかも持ってる君なんかに……!」
俺は……なにも言えず、口を固く結んでしまう。
これは、お姉さんだけの痛みなんだ。
「君なら友達もたっくさんいるだろう。学校生活だって楽しいだろうし、未来を悩めるくらい可能性だっていっぱいある!!」
息を荒げながら、お姉さんは続ける。
「それはね、私にはないのだよ。なかったのだよ。楽しいはずだった青春も、友達も、なにもかも……この手に掴めなかったのだよ」
お姉さんの瞳から、月明かりの反射で煌めくものが落ちる。
それは一つ、二つと数を増していく。
そして、やっと俺に顔を向けてくれた。
「だから……もう終わりにさせて欲しいのだよ。こんな世界を生き続けても、私にはなにもないのだから。……だから楽になりたいのだよ、タイヨウ君」
見下ろされる瞳に、光はない。
目元は真っ赤で、顔もぐしゃぐしゃになっちまってる。
……せっかくの綺麗な顔が、台無しじゃねえか。
「お願いだから……邪魔をしないで……」
その表情は、俺の心をぎゅっと締め付けてくるようだった。
俺はたまらず、掴んでいたお姉さんの腕を優しく離す。
お姉さんは、流れる涙を手で拭っていた。
その声はずっと震えていて、今にも途切れてしまいそうだった。
「ねえ……お姉さん」
俺は、ゆっくりと声をかける。
「もし……俺が過ごした青春とか、友達とか、そういうもの全部なかったらって思うと、すごくゾッとするよ」
「……」
返事はない。でもいい。今こうして、お姉さんと話ができるだけで。
「高校に通えなかったらトオルにも会えなかったし、進路のことだって悩めなかった。どれだけ人生の中で貴重な時間か、お姉さんの話を聞いて初めて気づいたよ」
「……そんな、今更わかったようなこと言われたって……」
「ああ、これはお姉さんの痛みだ。簡単にわかるなんて言わない。そんなこと言える権利なんてない。でもね……」
俺は、お姉さんを優しく見つめる。
「それでも、やっぱお姉さんはすげえって思ったよ」
「どういう……こと?」
お姉さんは目を細めながら、か細い声でつぶやく。
「理不尽な目に遭っても、お姉さんは一人で戦ってたんだ。歯を食いしばって、あんな状況で自分なりの答えを出せてさ。俺には……そんな強さは持ってねえから」
お姉さんは、しばらく目を丸くしていた。
そして、思い切り眉を寄せてこう言った。
「強くなんか……ないもん」
「そんなことないよ。だって――」
「私は! 私には誰も居なかったんだ! 母を助けられなかった父なんて大嫌いだ!! だからっ、一人で考えなきゃダメだったんだ!! ただそれだけなのっ!!」
お姉さんは声を張り上げる。
「それなのに、君は優しすぎるから……それに甘えそうになっちゃったんだ。君を巻き込みたくないのに……こんな、未来のない私に関わっちゃだめなんだよ……だからっ……!」
下唇を噛み、お姉さんの言葉が止まる。
この人は……本当に強い人だ。
初めて出会った屋上の時も、一人で必死に戦ってたんだ。
だから俺は――この人に惹かれたんだろう。
「じゃあ……どうして俺と友達になってくれたんだ?」
「っ……」
一瞬、歯軋りの音が聞こえる。
お姉さんは言葉が詰まったようだった。
「だっ、だから何度も言っているのだよ! ただの暇つぶしだって……」
お姉さんはまた顔を逸らす。
まるで、目の前の現実から目を背けるように。
「俺には……お姉さんが心から友達を欲しがってたように思えたんだ」
「……っ」
そう。あの時、お姉さんがぽつりとこぼした言葉。
『私にも、そんな友達が欲しかったのだよ』
あれを暇つぶしや、冗談だとは言わせない。
あれはお姉さんの本心だった。それを嘘だなんて、絶対に言わせない。
「俺、嬉しかったんだよ。お姉さんと友達になれてさ。おかげで入院生活は、めちゃくちゃ楽しかったんだ。ありがとう。本当にありがとう」
俺はお姉さんに深く頭を下げる。
心からありがとうと伝えた。
すると――
「……かった」
小さい声が、途切れ途切れに聞こえる。
「私だって……嬉しかった……」
顔を上げると、お姉さんの瞳が涙で溢れていた。
「どんなことにも真っ直ぐで……あったかくて、優しくて。一緒に居ると、とってもぽかぽかしたの。お日様みたいで、とっても良い子なんだなって……でもね」
「でも……?」
「私、こんなだから……友達の作り方なんかわからなかった。もし嫌だなんて言われたら、私は耐えられない。とってもね、怖かったの……」
お姉さんの手が震える。俺はその手を、優しく包んだ。
「……それなのに、勇気を出してくれたんですね。本当にありがとうお姉さん」
俺はお姉さんに微笑んだ。
こんなに嬉しいことがあるか。こんなに思ってもらえて。
「私の……方こそ、いつも言えなくてごめんなさい……」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、しゃっくり混じりにお姉さんは口を開く。
「君が私を思ってお花をくれたこと。私の為にたくさんのことをしてくれたこと。お友達になってくれたこと。全部っ……全部嬉しかったの。でも……私……酷いこと、たくさん言っちゃって……もうさようならなんて……ごめん……ごめん、なさい……ぁぁ……!」
俺はお姉さんの手を離す。
両手で顔を覆ったお姉さんは、そのまま俯いて涙が止まらなくなる。
……色んなことがあって、たくさん悩んで葛藤してきたのだろう。
俺が想像するより遥かにたくさんのことを。
この答えだって、たった一人で悩んで、苦しんで出した答えだ。
それは、もう二度と否定しない。誰も否定なんてできないんだ。
だから俺は一つだけ、お姉さんに伝えたいことがある。
誰かの借り物の言葉ではなく、正しいだけの言葉でもなく。
俺が伝えたい、俺だけの言葉を。
「顔をあげて欲しいな、お姉さん」
俺は優しく言葉をかける。
泣きじゃくるお姉さんは、ゆっくり顔を上げてくれた。
腫れた目元、涙で濡れた頬。
俺は立ち上がり、そっと指でお姉さんの涙を拭った。
「タイヨウ……君?」
不思議そうな顔で俺を見つめる。
俺は、大きく深呼吸をした。
「俺はもう、お姉さんが出した答えを否定なんかしない。紛れもなく、お姉さんだけの答えだって、ちゃんと尊重したいと思ってる。でもね」
お姉さんの手をそっと取る。
「一つだけ、俺のわがままを聞いて欲しいんだ」
「タイヨウ君の……わがまま?」
「ああ。……俺はさ」
心臓が高鳴る。体もだんだん熱くなってきて、口の中も乾いてきた。
でも伝えるなら、今この瞬間なんだ。行け。
「俺は……生まれてこの方、こんなに誰かを好きになったことなんて一度もなかった」
そう、これは俺のわがまま。俺の、心からの言葉だ。
「でもね、入院した先で出会っちまったんだよ」
「……誰に?」
「初対面だってのに、俺のことをからかってくる変な人が居たんだ。けど、その人はたまにどこか寂しそうな顔をしていた。それがなんなのか俺にはわからなかった。でもよ、思っちまったんだ。俺はその人にはずっと笑っていて欲しいって」
「……」
「一緒に居て、わちゃわちゃしてるととっても楽しくて、毎日があっという間だった。後にも先にも、こんな気持ちになることなんてないと思ったよ」
お姉さんの手を、少しだけ強く握る。
「なぁ、お姉さん。俺は……あんたが好きだ」
「っ!!」
目を見開いて驚くお姉さん。でもごめん、最後まで聞いてほしい。
「俺は、お姉さんと色んな所に行って、色んな物を見て、たっくさん美味いものを食べて、笑い合いたいって思ったんだ。だから……」
そして俺は、お姉さんに顔を近づけた。
「俺は、お姉さんと一緒に明日も明後日も歩いていきたいし、一緒に幸せになりてえ。俺は……貴女のことがこの世界で一番、大好きだから」
ああ、だから。
「俺と一緒に、この未来の約束を果たさせてください」
思いは、全て伝えた。
後悔はない。これで全部だ。
「なっ……えっ……」
お姉さんは戸惑いを隠せず、オロオロしている。
「ばっ、バカなのだね君は……君すっごい恥ずかしいこと言ってるのだよ……?」
「恥ずかしくなんてない。これが、俺のお姉さんへの心からの思いだから」
「……なっ、なにを真顔でそんな……そんなこと」
恥じることはない。むしろ誇りに思っている。
お姉さんに出会えたことも、お姉さんに伝えられたことを。
「きっ、君みたいな子がこんな女はダメなのだよ……」
お姉さんは右手で、口を隠すようにしている。
目線も泳いでいて、俺を見てくれていない。
「どうしてダメなんですか?」
俺は一歩も引かない。引いてたまるか。
「当たり前なのだよ……こんな性格も悪くて、意地悪で……いいところなんて一つもなくて……だめ……だよ。そんな……私……」
お姉さんの瞳から堪えきれず涙が再び流れ始める。
「……いい、の? こんな、私で……」
今にも消えてしまいそうな声を、俺は聞き逃さなかった。
「こんなだよっ……絶対面倒くさいし、泣き虫だし……こんな……私を……」
「そんなお姉さんだから、俺は惚れちまったんだ。男に二言はねえ」
俺はもう一度、お姉さんの手を強く握る。
「絶対に幸せにする」
お天道様にだって誓える。
俺は、お姉さんを力強く見つめた。
「そっ、か……」
その声に柔らかさが出た気がした。
「……いい……の……?」
そして、お姉さんの瞳が。
「私……君と、生きても……いいの……?」
輝きを取り戻した。
「ああ……俺と一緒に、生きていきましょう」
とびっきりの笑顔で、俺は答える。
俺は、力の限りお姉さんの手を握った。
「……うっ、ぁああっ……ああああああっ!!!!」
お姉さんはベンチから立ち上がり、俺に抱きつく。
言葉にならない声を出して、顔を真っ赤にしていた。
俺は、背中を優しく撫でてやった。
「そんな抱きしめなくたって、俺はここに居るよ。俺はずっと貴女と居るって、約束したんですから」
「ぅうっ……!!やっ、約束守んなかったら、お仕置きなのだからね……許さないんだから……」
「任せてください。約束だ」
「あぁぁ……タイヨウ君っ!!!!!」
互いに強く抱きしめ合う。お姉さんの体温がしっかり伝わる。
生きるんだと体が言っているかのように、とても温かかった。
まだ耳元では、お姉さんが泣きじゃくっていた。
俺は、そんなお姉さんの頭に優しく触れる。
これで、ようやく俺の心はお姉さんに届いた。届けられたんだ。
「ぐす……っ、タイヨウ君……」
お姉さんは、俺に顔を向ける。
目元や鼻を真っ赤にしていたけど、いつものお姉さんの顔が見れた。
……やっぱり、俺はこのお姉さんが好きだと、思い知らされた。
「なんですかっ、お姉さん?」
俺は少し浮ついた声で、お姉さんに返す。
「言われっぱなしじゃ……年上美人お姉さんの威厳がないのだから……私にも言わせてほしいっ」
「でた、年上美人お姉さん。ふふっ」
「もうっ……! バカにしないでほしいのだねっ!! ……えへへっ」
いつもの雰囲気の会話が戻ってきた。
とても心が温かくなって、安心する。
そしてお姉さんは鼻をすすり、涙を拭いた。
「タイヨウ君っ、私は――」
その時。
「ぃ……っ」
お姉さんの顔が強張る。
「っ! げほっっ!! ぐっっぁあっ!!!」
「!? お姉さんっ!?」
お姉さんは、喉が破れそうなほどの咳をし始める。
それは止まらずに、お姉さんはたちまちうずくまってしまう。
「お姉さん!! ……もしかして、またっ!?」
頭をよぎったのは、お姉さんにさようならを告げられた時の、苦しむお姉さんの姿。
もしそうなら、俺の問いかけに答えられるはずはない。
俺は何度も呼びかけ続けた。それに、前に使っていた吸引薬がないか確認した。……でもここにはねえ。
いつまでも止まらない咳に、俺の背筋が凍る。さっきまでの温かさが嘘みたいに、消えていく。
そして、お姉さんの足元には――
「血が……こんなに……!?」
ここで感じるはずのない鉄の臭いと、深く暗い紅の色。
それはお姉さんの口から吐き出されたものだった。
ついには――
「……ぁ」
お姉さんの体がぐらりと傾く。
糸が切れた人形みたいに、力なく床へ崩れ落ちた。
「おっ、おい!! お姉さん!! 返事してくれ!!! おいっ!!」
口元は血にまみれ、みるみるうちに顔が白くなる。
呼吸が浅くなっていって、目も開けちゃくれなくなって……。
……ふざけんなよ。こんな時じゃなくたっていいだろ。
心の中で憤る。が、でも今はそんなことしてる場合じゃねえ。
俺は、急いでお姉さんを優しく抱きかかえる。
「待ってろ……すぐになんとかするから……!!」
地面を蹴り上げ、屋上庭園を後にする。
動け、俺の体。俺の心臓が止まろうがどうなろうが、今はなんでも構わねえ。
お姉さんを、このまま失ってたまるかよ……!!!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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これからも作品を更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。




