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第5話-②


「いた……おーい! タイヨウ!!」


 雨音の向こう側で、声が聞こえる。

 俺は顔を上げ、声がする方へ目を向けた。


「……トオル」


「……全く、何事だ。せっかくの勝負服まで台無しではないか。ほら、傘」


 ばしゃばしゃと足音を立て、近づいてきたのはトオルだ。

 手には二本の傘を持ち、そのうちの一本を俺に差し出した。


「もう……こんなにずぶ濡れじゃ変わんねえよ」


「バカを言え、そんなんじゃ風邪を引く。大人しく受け取れ。それにお前、着替えに夢中で学校に制服すら忘れていただろう?」


 そういうと、トオルは紙袋を見せつける。

 ああ、そういや告白に気を取られて、荷物すら置きっぱなしにしてたっけな。


「……悪いな」


 荷物を受け取ろうと腕を上げようとする。

 けれど、思うように力が入らない。


「なにがあったかわからんが、ひとまず雨をしのげるところへ行くぞ。じっとしていてもどうしようもないからな」


 トオルはそう言いながら、俺の腕を引っ張る。

 それと一緒に、俺も立ちあがろうとしたが――


 ばしゃっ。


「おっ、おいタイヨウ!?」


「……ははっ」


 足にすら力が入らず、姿勢を保てないまま地面に倒れ込んでしまった。


「……なにがあったんだ、タイヨウ。話なら僕が聞いてやる」


「……」


 俺はなにも言えず、立ち上がれもしなかった。


 ……いや、立ち上がるのが怖いんだ。

 俺に突き付けられた現実はとても辛くて、苦しくて、目も合わせられない。

 それならずっとこうしていればいい。

 なにも見ないで、聞かないで、答えないままでいれば、現実に向き合わなくて済む。

 そうすれば、勝手に時間は過ぎていくんだ。


 そうすれば、この思いもいずれ消えていく。お姉さんとの思い出だって、すぐに――


『こんな私を思って、このお花をくれて。本当に……ありがとう』


 すぐに……。


『へへーんなのだね! あとでご褒美におやつ買ってもらうのだよ、忘れないでね!!』


 こんな、思い出……。


『……タイヨウ君、ありがとう。君にはたくさん貰いすぎちゃってるね』


 消えて……欲しくねえ……よ。


 地面の泥を掴むように、拳を握りしめる。

 雨で冷え切った体は、思うように動かない。

 それでも必死に力を入れた。


 お姉さんとの思い出を離さないように、消えてしまわないように、自分の体を抱きしめる。

 強く、強く。そして一言、声を絞り出した。


「お姉さんが……遠くにいっちまうんだ」


「……あの人が?」


 今度は足に力を入れる。ガタガタ震える足を叱りつけるみたいに、拳を打ちつけた。


「手術すれば治る病気なのに……生きる希望がないって、生きる意味がないってよ。だから、死んで楽になるんだって……」


「……」


「だから言ったんだ……生きなきゃダメだって……生きてりゃ希望だって見えてくるって」


 言葉を繋ぎながら、なんとか立ち上がる。

 あれだけ真っ白だったスーツは、もう泥に塗れて真っ黒だ。


「でもっ……お姉さんは俺のことを、まだまだ子供だって、俺が眩しすぎるって……さようならって言われちまったんだ……」


「……タイヨウ」


 泥まみれの両手で顔を覆う。

 さっき砂利混じりの地面を握りしめたせいか、手のひらには血がにじんでいた。


「なぁ、俺はどうすりゃ良かったんだよ。あの人は、話を聞いちゃくれなかった……なにを言えば良かったんだよ」


 心臓の鼓動も、呼吸も速くなる。

 もう、自分でもどうしたら良いのかわからない。


「……今は落ち着こうタイヨウ。まずはここから――」


「落ち着けるわけないだろ!!!」


 奴が差し伸べた傘を、振り払うように弾く。

 手にしていた荷物も、つられるように地面に放り出された。


「俺はただ! 惚れた女に気持ちを伝えたかっただけなのに!! お姉さんがあんなもん抱えてたなんて気づかなかった!! 笑えるよな。お姉さんのこと、なにも知らなかったんだからな!!」


 雨音をかき消せそうなほど、声を張り上げる。

 自分への怒りをトオルにぶつけても、なんの意味もない。

 ただの八つ当たりだ。そんなの俺が一番分かってる。

 でも……止められない。


「俺はただの暇つぶしのおもちゃだってよ!! 自分が死ぬまでの暇つぶしなんて、初めて聞いたよ!! ちくしょう!!」


 思わず地面を蹴りつける。

 こんなことをしても、水しぶきと泥が跳ね上がるだけだった。


「タイヨウ……まずは状況を整理するべきだ。騒ぐだけではなにもわからないぞ。」


 それでも奴は、雨に打たれながら俺に手を差し伸べてきた。

 ……今はその優しさが鬱陶しく思えた。

 落ち着け? 騒ぐだけじゃなにもわからない? そんなもん、一番俺がわかってるんだよ。

 でも、今の俺にはそんな言葉を受け取れねえ。こっちだって限界なんだよ。

 なんで……わかってくれねえんだよ。


 依然として、雨は止まない。むしろ強くなるばかりだ。

 体はだんだん冷えてくるのに、頭は熱くなったままで、まともに考えられない。


「……もういい、トオル」


「なに……?」


 トオルの差し伸べられた手を無視するように、あわれな自分の手のひらを見る。

 泥と血にまみれて、醜いとさえ思う。

 こんな手じゃ、なにも掴めない。


「俺には……もうなにもできねえ。今のお姉さんには、なにも届かねえんだ……!!」


 俺は両手を大きく振り上げて、地面に打ち付けようとした。

 こんな、くその役にも立たない手なんて……壊れてしまえばいい!


「今のお前とアリアさんは、まるでそっくりだな」


 今まで静観していたトオルの口が開いた。


「……あぁ?」


 思わぬ台詞に、振り下ろそうとした腕が止まる。

 そして奴はいつもの通り、メガネを指で上げた。


「僕はいつも言っていたよな。少しは考えて行動しろと」


「……いつもの説教なら聞き飽きてるぜ」


 威圧するような目つきを、トオルに向ける。


「ほら、話を聞こうとすらしない」


「……なにが言いてえ」


「まともに人の言葉を受け取れなくなっているではないか。そんなんじゃ、アリアさんに思いを伝えるなんて無理な話だ」


 歯軋りが止まらない。下手したら歯が欠けてしまいそうだ。

 トオルがなにを言っているかわからない。

 ただ今は、感情に身を任せることしかできなかった。


「知ったようなこと、ほざいてんじゃねえ!!!」


 トオルの制服に、勢いよく掴みかかった。


「じゃあ俺はどうすりゃ良かったんだよ! どうしたらお姉さんを救えんだよ!? なにをしたらお姉さんの希望になれたってんだよ!! あぁ!?」


 胸ぐらを掴んだまま、制服が破けそうなほど揺さぶる。

 叫び過ぎて、喉が焼き切れそうだ。


「どうせ俺にはもうなにもできないんだよ……あの人にしてやれることなんて、最初からなに一つなかったんだ!!!」


 涙が込み上げてきた。

 それを拭うこともせず、ただ俺は叫び続ける。


「……こんなことなら、出会わなきゃ良かった。あの日の屋上で出会わなきゃ、こんな……こんな気持ちも知らずに済んだのによぉ……」


 制服を掴んでいた手から、力が抜ける。もう、掴んでいられなかった。


「ちくしょう……ちくしょうっ!!!! あぁああああああ!!!!」


 まるで獣のように、雄叫びをあげる。

 本能のままに、ただ叫ぶ。

 もういい、誰も構わないでくれ。

 こんな惨めで、情けなくて、なにもできない俺を……。


 俺を……独りにしてくれ……。


「……タイヨウ」


 雨音に紛れそうな静かな声が、俺を呼ぶ。


「もう……いい……トオル……」


 俺は目を閉じる。

 そうすれば、なにも見ずに済むからだ。

 現実も未来も全部、見たくない。

 もう……なにも……!


「先に謝っておくぞ、タイヨウ」


「……はっ?」


 意味が分からず、俺は眉を寄せた。

 そして――


「歯を食いしばれ……!」


 次の瞬間、頬に重い衝撃が走る。


「かはっ……!?」


 そのままバランスを崩し、水しぶきをあげながら後ろの方へ倒れ込む。

 ……なにが、起きたんだ。

 頭が真っ白になって、なんもわからねえ。

 俺はゆっくり目を開くと、トオルが右拳をさすっていた。


「ちっ……痛いなこれは」


 奴はそう言いながら、俺に近づく。


「……トオ……ル?」


 状況が飲み込めず、まばたきが止められねえ。

 そしてトオルは大きく息を吸い、俺を見下ろして叫んだ。


「惚れた女に、出会わないほうが良かったなんて口が裂けても言うな!!」


 それは、初めて聞くトオルの怒号だった。

 いつも冷静なあいつが、声を荒げるのを聞いたことがねえ。


 俺の前に立ち塞がり、目を見開いている。

 奴のこんな顔、初めて見た。


「そんな……そんなことが、お前の本心なのか!? どうなんだ!!」


 鋭い言葉が、俺の胸に突き刺さった。

 本心……か。

 俺はゆっくり右の手のひらへ、目を落とす。


 ……そうなんじゃねえかな。

 お姉さんに出会っちまったから、こんなに苦しくて、辛くて……。

 そうだよ。そうに決まって……。


「……んなわけ、ねえ」


 この気持ちを噛みしめるように、右手の指を一本ずつ握り込む。


「聞こえんぞ!! いつもの調子はどうした!!」


「そんなわけ、ねえだろうが!!!」


 鬱陶しい雨空に、俺の叫びが響き渡る。


 当たり前じゃないか。

 あの人に、あの人の笑顔に、優しい心に、出会わなきゃよかったなんて……あるわけないじゃないか。


「嘘なんてつけねえよ! 俺はあの人が大好きになっちまったんだ!! 頭ん中いっぱいになってどうしようもねえくらいに!!」


 歯を食いしばりながら、震える足に力を込めてなんとか起き上がる。

 降り注ぐ雨が馬鹿みたいに重い。まるで俺を縛り付ける鎖みてえだ。


 でも、ここで立ち上がらないといけねえ気がするんだ……!


「だから生きてほしいって、死んでほしくねえって言ったのに……! それじゃあの人には届かなかったじゃないか! ならもう……!!」


 立ってるだけで精一杯だ。声の震えも止まらねえ。

 こんな俺にどうしろって言うんだ、お前は。


「……それは、本当にお前の言葉なのか?」


 トオルは、俺から目を離さずとらえ続けていた。


 なに……言ってんだこいつは。俺の言葉に決まってるだろ。

 生きろって、死んでほしくねえって、生きてりゃ必ず希望が見えてくるって……そんな当たり前のこと……。


「馬鹿にするのも大概にしやがれ……! 俺は本当の――」


「正しいことを言ったからって、それでいいと思っているのか」


「なっ……」


 なんなんだよ。それのなにがいけねえんだよ。

 なにが言いてえんだよこいつは。


 気がつけば、震えるほど拳を握りしめていた。


「当たり前じゃないか。それしか……お姉さんに言えることなんてないだろ!」


 俺はたまらず駆け出してしまい、またトオルに掴みかかりそうになった。

すると奴は、ゆっくりと首を横に振る。


「ならさっきのお前は、どうして僕の言葉を聞き入れられなかった?」


 またわけのわからないことを。

 んなもん、決まってんだろ……!


「こんな状況で、落ち着けだの騒ぐなだの、無理に決まってんだろ! んな当たり前のことを言われたって――」


「それは、アリアさんも同じだったんじゃないのか?」


 その瞬間、一つ息を呑む。

 駆け出した足が、固まった。


「同……じ?」


 トオルは、ゆっくり空を見上げた。


「……今のアリアさんも、お前も、辛くて苦しい気持ちでいっぱいなんだ。それなのに正しいことや当たり前のことを言われたって、受け入れられるわけがないんだよ」


 雨音が急に消えたみたいだった。

 声だけが、俺の耳に入ってくる。


「……っ」


「今のお前なら、わかってくれるだろ?」


 奴の声が和らぐ。

 これを俺に気づかせるために、こいつは……。


「……そう、だったのか」


 俺は、殴られた頬を触る。軽く腫れあがっていて、少しだけ肩が跳ね上がる。

 ……この痛みが俺の目を覚ましてくれたんだと、ようやくわかった。


 そしてトオルは俺に諭すように、こう伝えた。


「だから本当に必要なのは、借り物の言葉じゃない。お前だけの本当の言葉なんだよ」


「本当の……言葉?」


 俺はその言葉ってやつは、すぐには理解できなかった。


「お前がアリアさんに『生きてほしい』や『死ぬなんてダメだ』って思ってるのは充分わかる。でもさ、本当に伝えたいことは、別にあるんだろう?」


「……」


 それは思いもよらないことだった。

 俺がお姉さんに伝えたい、本当のこと……。

 好きだと? 付き合ってほしいと? いや違う。それは……心の奥にある、一つの思いだ。


 ――でも、それを伝えてどうなる。


「……無理だ。そんな自分勝手な気持ちの言葉なんて……お姉さんに届くはずがねえ……」


 俺は心臓を押さえるようにに、胸元を握りしめる。

 すると奴は、やれやれといった感じで口を開く。


「お前は、僕にしてくれたアリアさんの話を忘れたのか?」


「お姉さんの……話?」


「そうさ。アリアさんの無茶ぶりで、怪我人なのに庭園を動き回ったやつさ」


 それは、初めてお姉さんと出会った日のことだった。

 ……たしか、こいつに話はしたんだったな。


「そういや……したことあったな。結局クローバーは見つかんなくて、散々だったけどな」


 昨日のことのように覚えている。

 ある意味、お姉さんとの最初の思い出みたいなもんだ。


「……タイヨウはその時のこと、忘れてしまったのか?」


「んなわけねえだろ。今だってこうして話を――」


 瞬間、頭をよぎった一つの記憶。


『“こいつ”を、受け取ってくれねえかな!!』


 ……ああ、そうだ。あの時、俺は……。


「俺は……お姉さんみたいに綺麗だと思って、花を持って行ったんだ」


「それで、アリアさんはクローバーじゃないからって怒ったか? がっかりしてたか?」


「……喜んで、くれた」


 笑顔を見せて、すげえ喜んでくれたんだ。

 俺はあの時、お姉さんをがっかりさせたくなくて、笑顔になってほしいって、ただそれだけの気持ちだったじゃないか。


「どうやら、わかったみたいだな。タイヨウ」


「トオル、俺……っ!」


 すると俺の顔の前に、奴は手のひらを構えた。


「ああ。お前がそうしたいと思ったなら、胸張ってやってみろ」


 そしてトオルは、俺の胸に拳を当てる。


「俺の知ってる赤井タイヨウは、そういう男だ」


「……っ」


 ゆっくりまぶたを閉じて、ない頭で考えてみる。


 俺が、心からお姉さんに伝えたい気持ち。

 お姉さんのあんな状況を前にしたら、それを言える訳がないと思った。

 あの人は生きるのを諦めていて、希望を見失って、遠くに行こうとしていて。


 だから生きろって、死ぬなって、当たり前のことしか言えなくて。

 今思えば、そんなことは看護師や、父親である黄崎先生にもたくさん言われてきただろう。

 それがむしろ、お姉さんをどんどん追い詰めていたのかもしれない。


 生きるのが辛い人に、生きろって言うのがどれだけ酷なことだったのか。

 しかも、それは俺の言葉ではない。

 上っ面だけの、耳触りが良い言葉でだ。

 お姉さんの気持ちを踏みにじって、分かろうともしなかったんだ。


 じゃあ、俺はなにを伝えたい? 俺の心はどうしたい?

 ――俺は。



『人間なんてね、いつか死んじゃうのだよ。だから、出来ることも、やりたいことも今のうちにやらないと絶対に後悔するから。タイヨウ君にはそうなってほしくないのだよ』


 お姉さんの言葉がよぎる。……そうだ。後悔したくないよな。

 俺も、お姉さんも。


 だから、俺の本当の気持ちは――


「珍しく考え込んだな、タイヨウ」


「……ああ、おかげでオーバーヒートしそうだ」


 トオルの呼びかけに、ゆっくり目を開ける。

 あれだけ見たくないと嘆いていた世界だったのに、今はもうなんともない。


「だろうな。でも今のタイヨウは、いい顔してるよ」


「やめろ気色悪い」


 奴がそう言うんなら、今の俺は大丈夫なのだろう。

 なら、そろそろ行かなきゃな。


「トオル、ありがとうな」


「お前の礼なんて、怖い怖い」


「んだと? ……ははっ」


「……その調子だタイヨウ。決着、付けてこい」


 トオルは、俺の忘れ物をまとめて差し出す。

 学校に忘れてた制服などの着替え一式も入っていた。


「……ああ、行ってくる」


 俺は荷物を受け取り、水しぶきをあげて走り出す。

 目指すは、お姉さんの居る病院。

 覚悟は決めた。だから伝えるんだ。

 俺の心からの気持ちを、言葉を。


 気がつくと、雨は少しずつ弱まり、やがて泣き止んだみたいにぴたりと止んだ。

 空を見上げると、うっすらと雲が切れ始めた。


 ……ずいぶんと縁起がいいじゃねえか。

 今はお天道様に感謝するぜ。


 待っててくれ、お姉さん。


 俺は、あんたと――



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面下の☆☆☆☆☆から応援していただけますと嬉しいです。


また、【ブックマーク】や【感想】、【イチオシレビュー】、【リアクション】なども、私にとって大きな励みになります。


これからも作品を更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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