第4話-③
「ほら、飲みなさい」
白衣をまとう先生から、缶コーヒーを手渡される。
「あっ、ありがとうございます……」
俺と先生は、自販機がある休憩スペースに来ていた。
そこにあるテーブルを挟んで、向かい合う形で座っている。
今の時間帯はここには人がいないみたいで、二人っきりの空間だ。
改めて、先生の顔をまじまじと見る。
見れば見るほど、目鼻立ちや口元がそっくりだった。苗字も同じってことは……。
「あの……先生は……お姉さん、いえ、アリアさんの親父さん……ですか?」
先生の缶コーヒーを持つ手が、少し震えた。
「……ああ、私はアリアの父だ。ここで呼吸器内科を専門としている。まさか君が、アリアが言っていた子だとは」
どうやら間違いないみたいだ。ということは、この人がお姉さんの担当医でもあるのか?
……なら、尚更わからねえよ。
「どうして……ですか」
俺はうつむいたまま、封を開けてない缶コーヒーを強く握る。
「なにがだね」
「なんでアリアさんの手術をしないんですか!?」
思わず椅子から勢いよく立ち上がってしまう。
その際、椅子の倒れこむ音が休憩所に響いた。
「……君、声が大き――」
「どうしてなんだよ!?」
俺はテーブルを両手で叩いた。まるで癇癪を起こしたガキみたいに。
テーブルに置いてあった缶コーヒーは倒れて、床に転がり落ちた。
「お姉さんは手術しないなんて言ってるけど、それでいいんですか!? 自分の娘が死ぬと言っているんですよ!?」
「……落ち着きたまえ」
先生はただ静かに促す。俺から視線を逸らしたまま。
……なんでこっち見ねえんだよ。
「ふざけんじゃねえ! 親父で医者なのに、あんなこと言ってる娘をほっとくのかよ!!」
「……」
先生は口を結んだまま、なにも言わねえ。
「なんとか言えよ……黙ってちゃなにもわかんねえだろ!!」
「……君に話す理由はない。すまないがまだまだ仕事があるのだ。これから次の患者を……」
「目の前の娘一人ほっといて、なにが医者だ! なにが次の患者だ! 医者だったら無理にでもお姉さんを治せば良いだろうが!!」
「調子に乗るのもいい加減にしなさい!!」
俺はその声で我に返る。
気づけば、先生はテーブルの上で拳を強く握りしめていた。
「手術をしない選択をしたのはあの子だ。なら医者である私は、その選択に従うしかないのだ……!」
先生は立ち上がって、俺に背を向ける。
「アリアの知り合いと聞いているから、多少のことは大目に見よう。だが、アリアに関わるのは終わりだ。これは、君が首を突っ込んでいい話ではない!!」
首を突っ込んでいい話じゃねえ……か。
でも、納得できねえよ……。
「医者である前に、あの人の親父なんじゃねえのか……?」
「なんだと……」
「死にたいことを尊重してんじゃねえよ! 娘に死んでほしい親父が、どこにいんだよ!」
「……っ」
先生は背を向けたまま、肩を震わせていた。
すると、深呼吸の音が一つ聞こえる。
「……ここからは、私の独り言だ」
「……っ!」
それは、小さくかすれた声だった。
俺はその話に、耳を傾ける。
「私の妻、つまりアリアの母も同じ病気を患っていた」
「お姉さんの、お母さん……?」
予想していなかった話に、面を食らった。
お姉さんの口から、母親の話なんて聞いたことなんてなかったからだ。
そして先生は続ける。
「私の妻は元々、肺を患っていた。それがアリアの出産後に、悪化してしまったのだ」
「……」
「当時は治療法も確立されておらず、状況は困難を極めていた」
先生の声色がだんだんと暗く、固くなっていく。
白衣の袖から見える拳が、かすかに震えていた。
「そんな中、アリアは入院中の母に駆け寄っては「お母さんは絶対治るよ!」と声をかけ続けていた」
それはお姉さんの過去の話。こんな話、俺は聞いたことのないものだった。
「私も当時から医者をしており、妻を救うべく手を尽くした。妻にもう一度日常を取り戻させるため、娘の希望に応えるために全ての時間を費やした……だが」
ふと話が途切れる。
そして小さく、歯ぎしりの音が聞こえた。
「……だが、治療法が見つかった時には、もう遅かった」
先生はズボンの裾を握りしめる。
「冷たくなった妻を見た娘は、私を責めた。『どうしてダメだったの、なんでお母さんなの!!』と」
「お姉さん……」
「そうして月日が経ち、アリアも同じ病気を発症してしまった。研究では遺伝性であることが証明されていた。高校生のアリアには申し訳なかったが、入院生活は避けては通れなかった」
俺は見開いた目を、閉じることができなかった。
……お姉さんが言っていたのは、全部本当だったんだ。
俺が同じ状況になったとしたら、ゾッとする。
トオルたちとも出会えずただ一人でいるなんて、辛い。
それにお母さんを病気で亡くしてんのに、それなのにあんだけ笑っていたのか、お姉さんは……!!
「手術に向けた準備を早めに整えたつもりだった。今の医療であれば、あの時救えなかった妻の病気を治せるだけの手術法は……確率されているのだ。だがその時にはもう、アリアは生きる希望を捨ててしまっていた……これで、救えるというのに……!」
先生は、壁に拳を強く叩きつける。その手には強い震えが見えていた。
「何度、生きてほしいと説得したことか。でも……どこかで悟ってしまったのだろうか。死んだ母と同じ病気になってしまって、あの子の一番大切な学校生活の時間を奪われて、希望も生きる理由も見えなくなってしまったのだろうか」
「……そんな」
「もう……私にできることはない。希望は今のあの子にとって、辛くて苦しいものになっている。今の私には、あの子の意思を汲んでやることしか……できないのだ」
俺は……聞いてしまった。お姉さんの全てを。
それは俺なんかに受け止められるものじゃなかった。
お姉さんは、本当の意味で失っていたんだ。時間も、大切な母親も、なにもかも。
俺には……どうしようもないことだった……。
「……君も、自分の居場所へ帰りなさい。明日には、アリアは出発する」
「まっ、待ってくれよ……本当にもう……」
口の中が乾く。頭が回らず、まともに考えられない。
震えが止まらない腕を、先生に伸ばす。
伸ばしたところでどうにもならないのに。どうしようもないのに。
「最後に、君のような子がアリアのそばにいてくれたことを感謝する。君はまっすぐでとても優しい子だ。ありがとう……」
先生は俺の方を向き、深々と頭を下げる。
「……では、私はこれで……」
そして踵を返し、休憩所を去っていった。
「ぁ……」
足の力が抜けて、床に座り込む。
もう、どうにもならねえのか。本当に……。
もう、終わりなんだ。
***
気がついた時には、もう病院の外だった。
どうやって外に出たのか、まるで覚えていない。
足取りはおぼつかず、今にも転びそうだった。
うつむきながら歩いていると、地面に水滴の跡が次々に増えていく。
やがて、激しい音を立てながら強い雨が降り始めた。
今日のために用意したスーツも、あっという間にずぶ濡れだ。
そして、目の前の歩行者信号の赤に足を止める。
俺は……一体なにをしていたんだろう。
一目惚れしたお姉さんが、あんな辛くて苦しいってのに、なにもできない。
……いや、そんな考えが甘かった。
俺ができることなんて、最初からなかった。
なんとかしたいなんて、ただの傲慢だったんだ。
ただの高校生になにができる。ただのガキになにがしてやれる。
俺はお姉さんに、なにがしてやれるってんだよ。
「……ぁぁああああああっ!!!!」
喉を壊すように締め上げ、声を上げる。
なにもできない。なにもしてやれない。
ちっぽけで、無力で。
結局、俺はただのガキなんだ。
……ヒーローが居るんなら、助けてくれよ。
俺を。お姉さんを。
信号は青に変わっていた。けど、前になんか進めねえ。
ヒーローなんて居ないって、俺が一番わかってんだろ。
だから俺がやるって決めたことはやりたかった……なのに。
なんも、できやしねえ。
まぶたを閉じて、耳を塞ぐ。
瞳から溢れる雫は、雨と一緒になって地面へ落ちる。
降り続く雨は、どんどん強さを増していった。俺の叫びなんか、消えちまうくらいに。
ああ、情けない。
なんて情けなくて、惨めなんだろう。
今の俺は、この雨の中で立ち尽くすことしかできなかった。




