第4話-②
「……さて、少しは落ち着いたのだね?」
お姉さんはベッドに腰をかけて、腕を組んでいる。
俺はどうしたらいいかもわからず、距離を取って立っていた。
この病室に残ったのは、今はもう俺とお姉さんだけだった。
さっきの医師は、お姉さんになにかを耳打ちされると、そのまま部屋を出ていった。
そうして二人きりになったのに、俺はなにも言葉が出てこなかった。
「それになんだいそのオシャレなスーツに花束は〜? もしかして本当にお姉さんに愛の告白しに来たのだな〜?? 年上キラーめ♪」
「……」
「でもお姉さんものすっごいワガママだし、こんなのを好きになっちゃうのは趣味が悪い――」
「ほっ……本当なのかよ」
「んっ?」
やっと出てきた言葉。お姉さんはそれに目を丸くする。
「さっきの医師との話……本当なのかよ!!」
「……それは」
「お姉さん言ってたよな!? 手術すればちょちょいのちょいだって! それがなんで手術しないってことになるんだよ!! それに転院して最期を迎えるってのも訳わかんねえよ!! それって――」
「誰にも迷惑をかけずに、死ぬのを待つってことなのだよ」
「死っ……」
お姉さんの口から飛び出す言葉は、まるで刃物のように俺に突きつけられた。
でもよ、お姉さんの言ってることはわけがわからねえよ。
なんで、そんなあっさりと結論を口に出せるんだよ……!
「まっ、待ってくれよ。だからなんでそうなるんだ? 手術すれば良いだけなんだろ! なんで死ぬなんて悲しいこと、言っちまうんだよ!!」
俺の叫びが病室に響く。呼吸は乱れ、肩で息をする。
心臓の鼓動は、ずっと早いままだ。
俺は下を向いたまま、お姉さんを見ることすらできなかった。
「……君は、本当にまっすぐだね」
お姉さんは、ゆっくり口を開く。
「でもね、まだまだ子供なのだよ」
「……っ!!」
その言葉を聞き、俺はお姉さんに顔を向ける。
子供って、だからなんなんだよ。
そんなこと、今は関係ないだろ。
「死んだら好きなお菓子も! ジュースも美味い飯だって食えない!! なにより俺との約束は!? デートしてくれるんじゃなかったのかよ!!」
「……」
お姉さんは目を伏せ、唇を噛み締めている。
なんで、なにも言ってくれないんだよ……!!
「黙ってたらなんも――」
「お姉さんはね、もう疲れちゃったのだよ」
その声は、暗くて濁りのある声だった。
「疲……れた……?」
「そうなのだよ。もうこの病院なんて目を瞑っても歩けるくらい、長ーく入院してるの。タイヨウ君と同じ歳ぐらいからね」
「……なに、言って……またいつもみたいな冗談だろ……?」
冗談に決まっている。だってそうやっていつも俺をからかってたもんな。
お姉さんの言うことが本当なら、高校生ぐらいからってことになるじゃないか。
んなバカなことあるか。早く冗談だって言って――
『お姉さんは、黄崎アリア。入院生活なんと5年以上の、大ベテランなお姉さんなのだよ』
――ふと、お姉さんと交わした会話が頭をよぎった。
初めて病室で、顔を合わせたあの時の会話。
あれは、そういうことだったのか……?
「せっかくの高校だって、入学しても行けずじまいで、楽しいことなんて全然なかった。友達なんて呼べる人も居なかった。私はね、独りだったのだよ」
「……でっ、でも今は俺が友達じゃねえか! それに手術して、治れば友達なんてたくさんできるはずだろ!?」
俺は拳を握りしめて叫ぶ。
そうさ。手術して、元気になりゃいくらだって友達も増やせるじゃねえか。
「“はず”、ね……そんな……ぅっ!!」
お姉さんはなにかを言いかけて、急に左手で口を覆った。
「げほっ……うぅ……ぁ……げほっ……」
するとうずくまり出して、苦しみ始める。
そしてどんどん咳が止まらなくなっていた。
「おっ、お姉さん!?」
耳に突き刺さってくる痛々しい咳の音。
気が付けば、お姉さんは両手で胸元を抑え込んでいた。
するとお姉さんの口から、赤いものが入り混じった痰が吐き出される。
それを見て、俺の背筋が冷たくなる。
……まさかこれって、血が……っ!
「待っててくれ! 今すぐ人を……!!」
俺は病室の扉を勢いよく開け放って、看護師を呼ぼうとした。
だけど……。
「はぁ……はぁっ……ぅっ」
お姉さんは俺のスーツの袖を握って、首を横に振っていた。
「わた……ぁ……ベッドの……ち……ひ……」
言葉が繋がらず、苦しそうな呼吸をしながら俺になにかを訴えていた。
そしてお姉さんは、震える腕を伸ばしてある場所を指す。
「お姉さんのベッドのほう……?」
詳しくはわからねえ。でも、そこを指さすってことはなにかあるんだな!?
俺はお姉さんのベッド付近を、手当たり次第に調べ始めた。
でもベッドにはなにもねえ。備え付けの冷蔵庫にはジュースの山。じゃあ、あとはなにが……!!
「ひっ……き、だ……っぁ……!!」
その言葉の後、お姉さんが膝から崩れ落ちた。
「お姉さんっ!!」
胸元を、さっきよりも強く抑えている。
いつもの血色は消えて、顔は雪みたいに白くなり始めていた。
くそっ!! お姉さんはなにが言いてえんだ!?
そして俺は、テレビ台にある引き出しを開いた。
「……!!」
そこには、くの字の形をしたプラスチックがあった。
ラベルにはカタカナで書かれているものと、おそらく使い方のような文があった。
……もしかして、これって薬か? いや、考えてる時間はねえ……!
「お姉さん!! これ探してたのか!?」
俺はすぐさまお姉さんに駆け寄って、持ってきたそれを見せる。
するとお姉さんは息を切らしながら、それを受け取った。
「ぁ……っ……」
だけど手の震えが止まらず、床に落としてしまう。
そして、体をふらつかせて倒れ込もうとしていた。
「おい……!! しっかりしてくれ!!」
俺はすぐさまお姉さんの肩を抱きかかえた。
そしてお姉さんが落としてしまったものを、急いで拾い上げる。
もう一度ラベルをよく見ると、口から吸引して使う薬のようだった。
俺はその手順に則って、吸引口をお姉さんの口に近づける。
「ほらお姉さん薬だ! 俺が持ってるから安心してくれ!!」
「はぁ……ぁ……」
目が虚ろになりながら、お姉さんは無言で吸引薬の先端を咥える。
俺はお姉さんの呼吸に合わせるように、薬の上のボタンを押した。
「っぅ……はぁ……はぁ……」
咳はなんとかおさまっていったが、呼吸はまだ浅くて、肩で息をしていた。
俺は持っていた薬をひとまずお姉さんのベッドに置く。
「おっ、お姉さん……? よかった……なんとか止まって……」
「……わか……った、でしょ」
「えっ……?」
途切れた声に耳を傾ける。
そしてお姉さんは大きく深呼吸をして、ゆっくり口を開いた。
「これ……が、今の私なの……こんな薬を……使わないと、いけないくらいになってるの……」
お姉さんは、俺のスーツの胸元を弱弱しく握る。
「だからね………希望なんてね、抱くものじゃ……ない。縋るものじゃない……のだよ……」
「……っ!!」
小さい声が震える。俺はその言葉をすぐには否定出来なかった。
たった今、俺が実感したこと。今、俺の腕の中に苦しむお姉さんが居ること。
俺は、現実を直視せざるをえなかった。
……でも、だからこそ、言ってやらなきゃいけないんじゃねえか!
「……違う! 希望があるから頑張ったりできるんだろ!? 今は苦しくても、生きてりゃ良いことだってこの先きっと!!」
俺はお姉さんの肩を抱きながら、なんとか言葉をぶつける。
どうにか、お姉さんを元気付けないと……!
「君に……わかるはずないだろう!!」
「……っ!?」
お姉さんは俺の腕を振りほどいて、よろめきながら立ち上がる。
依然として肩で息をしながらではあったが、今まで聞いたことのない強くて重たい叫びをあげて、俺を強く睨みつけた。
お姉さんのその顔は、もういつもの愛嬌のある顔ではない。
眉を吊り上げ、見開かれた瞳はどこまでも深くて、俺を飲み込んでしまいそうだった。
綺麗だと感じていた緑色の輝きは、そこにはもうない。
張り詰めた気配に、俺は圧倒されてしまう。
するとお姉さんは、低い足音を立てて俺に近づいてくる。
「君が今……謳歌している青春の時間を、私はずっとベッドの上で過ごしてきた!! 毎日毎日、薬と病院食と医者の話ばかりで……気が狂いそうだったの!」
気が付けば、俺の目の前までお姉さんは近づいていた。
足が勝手に後ずさりをしていて、止まらない。
初めて、お姉さんを怖いと思ってしまった。
「今は治せる病気だから希望を持つんだと、さんざん言われたの!! ……でもね」
いつの間にか、俺の背中は病室の出口に追いやられていた。さっき飛び出そうとして、扉は開かれたままだった。
お姉さんは立ち止まって、患者衣の胸元辺りを握りしめる。
「この病気を治して、その先になにが待ってるの? 失ったものはなにも戻ってこない。どう生きたら良いかなんて……わからないんだよ」
「……っ」
しばらくの静寂。そして。
「だったらね、死んじゃった方が楽になれるのだよ……」
白い肌に、曇ってしまった瞳。
ぎこちない笑顔が、俺に向けられる。
その言葉は、とても俺が受け止め切れるものではなかった。
簡単に答えていいことではない。頭が空っぽな俺でも、それくらいわかる。
まだ俺の手にはさっきの感覚が残っている。お姉さんの現実を突きつけられたあの感覚が。
あんな……苦しい思いをしている人に、俺はなにを言ってやれるんだ……。
……でも……でもよ。
今にも泣きそうな顔をしてるお姉さんがいるのに、じっとはしてられないだろ。
「……そんなの、ダメだ」
「タイヨウ……君?」
今、俺が伝えられることを伝えろ。
「死んだ方が楽なんて、間違ってる……今ここを踏ん張って生き抜いたら、絶対に希望は見えてくるんだよ!!」
「……」
「そうだ……この花。トオルから教えてもらったんだ。『希望』なんだってな、花言葉ってやつが」
俺は持ち込んでいた花束を机から持ってきて、お姉さんに差し出した。
さっき床に落としちまってるから、少しだけ花びらが散っている。
でもだからどうした。希望はそんな簡単に散ったりしねえだろ。
少しで良いんだ。ほんの少しの希望だけで!! 今のお姉さんを元気付ける為には……!!
「諦めなきゃ、必ず希望はある!! だからお姉さん、手術受けようよ。あんたは、生きなきゃダメだ! 死ぬなんて言わないでくれ!!」
聞こえてくるのは換気扇の回る音と、俺の心臓の音。
お姉さんは黙ったままだった。
「生きなきゃ……ね」
「ああそうだよ! だから――」
「もう聞き飽きたよ、そんな言葉」
その言葉は、まるで首筋にナイフを突き立てられた感覚だった。
「……えっ?」
「君は……私には眩しすぎる」
するとお姉さんは、息づかいが聞こえそうなほど近くまで顔を寄せてきた。
「お姉……さん? んだよ……? そんな見つめちまって……」
だが、俺の問いかけに少しも反応してくれない。
すると、お姉さんの小さい手が、俺の肩に触れてきて。
「さようなら」
その言葉を告げるとお姉さんは、病室から俺を突き飛ばした。
「……はっ?」
手に持つ花束は床に散らばる。気づけば俺は、廊下の床に座り込んでいた。
なにが起きたのかわからず、足に力が入らない。
「なっ……えっ……?」
「ちょうど……お姉さんが死ぬまでのお暇つぶしをしてくれて、ありがとうね。タイヨウ君」
見下ろすお姉さんが、向けてきたのは笑顔。でもそれはハリボテのような、仮面のような顔だ。
「ほっ、本気で言ってんのかよお姉さん……!!」
「最初から本気だったのだよ。でも偶然君が入院してきてくれて、まるでおもちゃを手に入れたみたいで楽しかったのだよ」
「そんな……嘘だろ……」
「これが……現実なのだよ。私はさっさと次の病院に行って、ひと足さきに三途の川を渡ってくるのだよ」
お姉さんはにっこりと笑っている。……でも。
「じゃあ……なんで、泣いてるんだよ」
「……えっ」
ぽつぽつと、お姉さんの瞳から涙が零れていた。
「あっ、あれ……おかしいな。やっと私は楽になれるのに。嬉しい……のに」
お姉さんは震える手で、何度も何度も涙を拭う。
けど、流れるそれは止まらない。
俺はこの光景を知っている。
今まさに、あの日の屋上の“あの人”が目の前にいた。
……あの時からずっと、泣いてたんじゃねえか。
俺は拳を握りしめながら、立ち上がる。
「お姉さん! 今からでも遅くないんだろ!? だったらっ!」
「うるさい!」
その一言に、何も言い返せなかった。
初めてお姉さんから、拒絶を感じたからだ。
「っ……お姉……さん……」
「はぁ……はぁ……もう、なにも話すことはない。君との関係もこれで終わりなのだよ」
お姉さんは背を向け、病室の奥へ行ってしまう。
大きな叫び声を出したからか、再び息が乱れたように見える。
もう……構うなってことかよ。
「あと、最後に一つだけ」
そう言って、お姉さんは足を止める。
「友達でいてくれて……ありがとう」
その言葉と同時に、扉は閉じられた。
俺は、床に散らばった花を見る。
「……っ! クソっ!!」
立ち上がって、走り出す。せっかくの花も踏みつぶしながら。
お姉さんにはなにも届かない。聞いてもらえないんだ。
頭がぐちゃぐちゃして、ただ病院から逃げるように前も見ず走った。
もう、なんもわかんねえよ。ちくしょう……ちくしょう!!!
「おい君!! 前を見なさ――」
急に、誰かが俺の目の前に現れた。
どんっ、という音と共に俺は後ろに倒れる。
相手の方も、なにやらばさばさと音を立ててそのまま倒れてしまっていた。
俺は立ち上がって、慌てて手を差し伸べる。
「わっ、悪い……前を見てなくて……」
白衣を身にまとったその男の足元には、書類が地面に散らばっていた。
おそらくカルテってやつだろうか。
って、とんでもない勢いでぶつかっちまったのか……俺。
「ぐっ、病院内で走るとはなにごとか……!」
白衣の男は静かに顔を上げる。その顔には見覚えがあった。
それは先ほどまで、お姉さんの病室にいた医師だった。
そして白衣の胸ポケットに付けられた、名札が目に入る。
そこには呼吸器内科と書かれており、その医師の名前は――
「黄崎……先生……?」
「……君は、先ほどの……」
そんな偶然があるのか。俺は自分を疑う。
その苗字は、お姉さんと同じものだ。
でもぼんやりと、お姉さんの面影を感じる。
その先生は、目鼻立ちや雰囲気が“お姉さん”にそっくりだった。
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