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三郎が、酒どう、と言うので、喜平次の屋敷に招待した。
ふたりが出会ったばかりの頃にはまだ若葉の季節であった越後で、夏が過ぎ秋が過ぎ、今日はとうとう初雪が降った。三郎が喜平次の屋敷に来る少し前に、今年初めての雪が降ったのである。そろそろだろうとは言われていたが、今日この時に降り出したのは三郎の間の悪さもあるかもしれなかった。そのうち越後全体が雪に閉ざされるだろう。
このころには謙信がいなくても、ふたりで飲むようになっていた。
酒を用意させてから、喜平次はふと尋ねた。外では相変わらず雪がちらついていた。
「姉さま、元気?」
「会ってないのか?」
「いや、会ってなくはないけど。急に冷えただろ、あの人寒いのが嫌いだから」
「そうなの?」
喜平次の姉が三郎に嫁いでから初めての冬だった。喜平次が頷くと、三郎は自分の屋敷のある方に少しだけ首を回していた。横顔の額がいつものようにきれいだった。
「知らなかった。気にかけておく」
三郎はそう言ってからちょっと肩をすくめて笑った。
「むこうもむこうで、お前を心配していたよ。お前ら姉弟、案外似てるよな」
喜平次は唸った。姉は喜平次よりもずっと社交的だ。
「姉さまはよくしゃべるけど、おれはあんまり……」
「その、都合が悪くなると最後まで言わないの、わりと似てるよ」
そう言われればそうかもしれない。言い返しようがなかった喜平次が黙りこむと三郎は笑って、最近面白かった姉の話をしてくれた。喜平次は頷いてそれを聞いていた。
やっぱりいいやつだ、と思った。
三郎の話は面白い。喜平次などは、こういうふうに機転を効かせて人を面白がらせることが苦手だし、お屋形さまからのちょっとした……今後の上杉の動きを試しに質問するような……問いにも、ぱっと答えられる三郎と違って、深く考えてからゆっくり答えることしかできない。熟考してから出た答えが、三郎のものと同じだったりすることもしばしばで、そうなるとかなり気まずかった。
三郎は、頭だけでなく顔も良くて、頼りになり、弁も立って話まで面白い。いっそ喜平次は横にいて、三郎にいろいろなことを任せることができたら、どんなにか生きやすいだろう。
唯一三郎に足りなそうに見えるものがあるとすれば運くらいのものだが、じつは喜平次は運にだけは自信があった。豪運といってもよい。例えば喜平次の父がかつて舟の上で不審な溺死を遂げたとき、本当は喜平次も一緒にその舟に乗っているはずだった。厠に行きたくて断ったら、父だけ死んだのだ。喜平次の人生には時々こういうことが起こる。
あまり秀でたものを持たないと思っている自分が、唯一自慢できることだった。そういう自分がそばにいれば、ちょっと間が悪いという唯一の欠点すらも、三郎はうまく乗り越えるのではないか、と思っていた。
喜平次は最近こういうことを考える。
三郎が本当の兄ならよかったのに、と。
もしそうだったら喜平次は、三郎を支えていけばいい。喜平次と三郎のどちらかを跡取りに選ぶのに、他家の事情も絡んでこない。弟の喜平次が兄についてゆくと一言言えば家中はまとまるだろう。喜平次は、なぜ自分のような平凡な者が謙信の跡取り候補などをしているのかと考えて、心細い思いをせずに済む。
何より、三郎はいいやつなのだ。そして喜平次はそういう、いいやつである義兄について行きたかった。
けれども喜平次にはわかっていた。
自分たちは実の兄弟ではない。そして、そういう場合、戦乱ばかりがあるこの世では、いいやつから身を滅ぼすのが常だった。間の悪い三郎のことだ。三郎なら大丈夫、とはかなり言いにくかった。
そしてそれが自分のせいになるのではないかと喜平次は思っていた。運だけは喜平次の方が強いとなると、何かの拍子にふと喜平次だけが勝ち残る、というのは十分に考えられた。
だとしたら、と思う。三郎の実の弟でない方がまだましなのかもしれなかった。運のいい喜平次がそのように産まれたのだから、何かがよくできているのだろう。悪運と言っていいのかもしれないが。
三郎が話をするのを、そういうことを考えながら聞いていたので、一方的に聞くだけになった。三郎は話がひと段落したところでふと尋ねてきた。
「お前、おれがしゃべるのだけ聞いてておもしろい? 大丈夫?」
「うん」
これは本心だったが、ただ返事をしただけでは伝わらないだろうと考えて言葉を重ねることにした。
「おれ、三郎が喋ってるの聞くの好きだよ」
そうでなければ、屋敷に来れば良いなどと、わざわざ誘ったりはしない。三郎は「ならいいけど」と言って盃を傾けた。
喜平次は少し考えて、今まで考えていたことを言ってしまうことにした。三郎がどう思うか知りたかった。
「おれ……三郎の義弟なのと、実の弟なのと、どっちがよかったのかな。三郎はどう思う?」
返ってきたのは意外な答えだった。
「どっちもだめだろー」
どちらか選んで答えるものとばかり思っていたので、喜平次は驚いて三郎をまじまじと見てしまった。三郎はどうでもいいことのようにけらけら笑って続けた。
「お前はわからんだろうが、おれには実の兄が何人もいるからわかる。兄弟なんてろくなもんじゃない」
そう言われてしまうと返す言葉がなかった。三郎の言う通り、喜平次に血縁の男の兄弟はもう誰もいないのだ。姉が二人いるきりだ。だからこそ三郎を本当の兄と思いたいのである。それを全く違う境遇にある三郎に、ろくなものじゃない、と言われてしまえば喜平次には何も言い返せなかった。
三郎は喜平次の考えを知ってか知らずか、少し話を逸らす形で続けた。
「まあでも、おれたちがほんものの兄弟だったら、お屋形さまは結構困ったんじゃねえかなあ」
「どうして?」
三郎は幼い弟に言い聞かせるような様子で説明を始めた。
「たとえば、今日、お屋形さまがお前と二人で飲んだとするだろ。おれは、喜平次はどこまでいっても実の甥で、血が繋がるからかわいいんだと思う。悔しいし寂しい日があっても、仕方がないと諦めがつく。逆に、おれが二人で飲んでいたら……」
「……おれは、養子に来た三郎と親睦を深めたくて、わざわざ二人で飲むのだと思う。おれも、仕方がないと諦めがつく……」
三郎はちょっと笑って頷いた。
「そういうこと。お前は、三郎はかわいそうなやつだ、向こうの海からこっちの海まで来て、知り合いが全然いないんだから、たまにはそんなやつにお屋形さまを貸してやろうと、自分を慰めればいい」
「しないよ、そんなこと」
「まあ、お前はいいやつだから、しないだろうけどさ」
三郎はまたけらけらと笑った。
「まあ、それはいいとして。だけどおれたちが本当の兄弟で、なのにお屋形さまは実父じゃなくて養父、ときたら、そういうわけにもいかないだろ。かなり複雑だぜ。おれたちが複雑な気持ちなのを眺めるお屋形さまも困るだろ」
三郎の笑いはからっとした明るい笑いで、含みは感じられなかった。考えることはいろいろにあるだろうに、この人はそれを喜平次に見せようとしない。いい人なのだ。
だからこそ実の兄であればと思う。
「まあでも、実際のところお屋形さまは、思いついた人を順に誘って飲んでるだけだよな」
言われてみれば確かにそうだ、と喜平次は思った。
「……だから、三郎だけの日と、おれだけの日と、三人の日と、養子は無視される日があって、密会みたいな重要な話はあまりされたことがない……」
「うん、おれもそう思う。でもやっぱそう思えるのは、おれたちが血がつながらないからじゃねえのかな。理由付けができるっていうのは案外便利だよ」
三郎の言うことは尤もだった。三郎はわずかに目を細めて、喜平次を眺めながら続けた。
「おれはときどき、お前がお屋形さまに見える時があるよ。これも血が繋がってたら最悪だぜ。だって兄のおれは似ていなくて、弟のお前だけ面影があるんだから」
喜平次はいつものようにおとなしく三郎の話を聞いていたが、そこまで聞いて驚いて声を上げてしまった。聞き捨てならないことだった。
「おれがお屋形さまに見える?」
喜平次は驚いて聞き返し、そのまま続けて否定した。
「それはおかしい」
三郎に初めて会った時のことを思い出した。どこか掴みどころがなく、酒が好きで、やさしい三郎を、謙信に似ていると思った時のことを。三郎は喜平次などよりずっと、お屋形さまと似た印象があると喜平次はあの時からずっと思っている。
「……おれは、三郎を、お屋形さまみたいだと思ったことがあるよ」
「なんだそれ。いつの話? どこがだよ」
喜平次は少し考えてからゆっくり返した。
「……初めて会った時、おれは三郎が何を考えているかわからなくて、でも酒が好きだって聞いて、それから、頭の良さそうな人だなって思った。それで、お屋形さまのことを考えて……」
これは喜平次の本心だったのだが、三郎はちょっとため息をついて、真顔で一蹴した。
「表面的なことだ」
「三郎だって、おれを見て思ったのは、そういう表面的なことだろ」
三郎はそれには返事をせずに、少し声を低くして言った。
「なあ、やっぱり、お前が跡取りなんじゃないのかな」
「だから、それはおれにはわからないよ。お屋形さまにしか」
喜平次は三郎に跡取りの話をされるたびに同じように返していて、いつも話はそこで終わりになるのだったが、今日の三郎は食い下がった。
「だって、似てるし」
「だから、何が」
「眉毛とか」
やっぱり表面的なことじゃないか、と思った。
けれども、なんとなく、三郎にうまい言い訳をされて切り抜けられたような気がしないでもなかった。喜平次の眉毛のことを三郎が持ち出したのはこの時が初めてだったが、この眉毛の話は、喜平次の母や姉からは時々指摘されることなのだ。根拠にするにはあまりに弱い。しかし、そういうことを言い返す前に三郎に先を越された。
「だから選べっていうならやっぱり、血がつながらない方がマシだ。……おれはお前の兄にはやっぱりなれないよ」
「どうして」
「お前とお屋形さまの眉毛が似てるから」
絶対に本心ではないだろうとわかる、突き放すような言葉だったが、きれいな額の三郎の、その表情はやさしかった。




