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 しばらくして軍議があり、喜平次と三郎も出席するように言われた。三郎は喜平次のひとつ隣の下座につくように指示されたようで、おとなしくそこに腰を下ろしていたが、しばらくして喜平次に耳打ちした。

「おれってほんとにここなの?」

 喜平次は唸った。今回の席次は謙信の指示らしいが、正直に言って、喜平次も三郎と同じことを考えていたからである。もとは北条のせがれとはいえ、正真正銘謙信の養子であり、年齢も喜平次よりひとつ上で、おまけに景虎の名を譲られている。せめて喜平次の座っている側、養子の中での上座に座るべきではないかと喜平次も思っていた。

「……やっぱ逆だよな」

 そう言って腰を浮かせようとしたら、なぜか三郎に止められた。

「待って。お前何考えてる?」

「おれと場所変えた方がいいかなと」

 そう言うと腕を掴まれた。わけがわからないので顔をしかめて三郎を見据えてしまい、「おいおい」と言われた。

「おれが言いたいのは、一応養子とはいえ、来たばっかりの他家のやつがこんな上座に座っていいかって話だよ。もっと末席じゃないの?」

 どうやら三郎は喜平次と逆のことを考えていたらしい。さすがにそれはないはずだ、と思った。

「でも、少なくとも、ここに座れとは言われただろ」

 そう諭すと、三郎は「うーん」と言って口を開けたり閉めたりしていたが、それきりおとなしくなった。まだ何か言いたいようにも見えたが、結局何も言わなかった。

 程なくして謙信がやってきて軍議がはじまった。下野での反乱の鎮圧が主な議題で、情報の伝達に不備があったことが中心の軍議になった。

 謙信はその下野でのことを苛烈に叱りつけた。どうにも腹に据えかねることがあったようで、最終的には例の青竹で関係する家臣を何度も打ち据えていた。隣に座っていた三郎の肩がわずかに跳ねたのがわかった。

 気持ちはわかる、と思った。喜平次も初めて戦に関わる場での謙信を見た時は少なからず驚いたものだ。すぐに、だから毘沙門天とか言われるのだ、と思って納得したこともよく覚えている。三郎も同じ気持ちなのだろう。

 その日の議題は喜平次とも三郎ともあまり関係がなかったので、ふたりともほとんど何もせずに終わりになった。謙信が退出して家臣たちも仕事に戻り、喜平次も戻るかと思ったところで三郎に肩を叩かれた。

「いつもこうなの」

 三郎は声を低くして尋ねてきた。喜平次はよくわからなくて尋ね返した。

「なにが」

 三郎は一瞬だけ何かと迷うそぶりを見せたが、すぐに返事をした。

「……お屋形さま」

 三郎にとっては初めての軍議なので、喜平次が予想したようにやはり多少は驚いたらしい。無理もないことだ。自分が三郎なら、謙信のことを詳しく教えてほしいと思うだろうな、と考えて、正直に答えることにした。

「まあ、戦に関するときなら、わりといつも」

 三郎は謙信が立ち去った方の廊下に目をやって呟いた。

「お前は恐ろしくないの」

 喜平次はまた少し考えて返事をした。

「ぶたれてるのはおれじゃないし……」

「そうだろうけど」

 三郎は眉をひそめた。

「なあ喜平次、おれたちがあの立場だったら、おれたちがめちゃくちゃぶたれるってことだよな? お前はなんで平然と座ってるんだよ」

「平然となんかしてない。おれだって怖い」

 平然としていた自覚はあまりなかったので、喜平次は一応返事をしたが、三郎は納得いかないと言いたげな様子でもう少し眉をひそめて睨みつけるような表情になった。

 ただ、三郎の言う通り、初めて見た時と比べれば少し慣れたかもしれず、そうなると平然というのも完全に間違っているとは言いきれない気もしてくる。見るたび新鮮に恐ろしくはあるので、なぜ以前よりましに感じるのかについて喜平次はあまり考えたことがなかったが、少し考えていると答えらしいものを掴んだ。そのまま喋ってしまうことにした。

「ぶたれたくなかったら、何をしたらいけないか、よく知っておかないとだめだろ。人が怒られているのをきちんと見ておけば、お屋形さまが何を考えているのか、少しはわかるから。それを平然と言うなら、そうなのかもしれない」

 そう答えると三郎は唸ってそれきり黙り込んだ。やはりあまり納得がいっていないらしい。三郎が何を考えているのかよくわからなかった喜平次は、逆に質問してみることにした。

「武家はみんなこういう感じじゃないの。北条では違ったの?」

「……まあ、それはそうだな。親父どころか兄貴にぶたれたこともあるよ。けど……」

 三郎は言葉を探しながら答えた。

「北条の父も兄も、普段の言動から怒る姿は想像できるから、一瞬であそこまで怖くはならない。というか、普通はそうだろ。けど、お屋形さまは、なんか……」

 なんか何なのか、三郎は教えてくれなかった。代わりに怒ったような顔になって尋ねた。

「前に三人で飲んだ時と、今日のと、どっちが本物なんだよ」

 ああ、そういうこと、と思った。上杉に来たばかりの三郎は、まだ養父のことを掴みかねているのだ。謙信のもつ二面性はどちらもあまりにかけ離れていて、根っこのところで繋がっている、という形では理解しにくいのだろう。喜平次だって、他に越後を動かす方法がないから激昂して爆発するのだと理解できるようになるまで、半年か一年くらいはかかったはずだった。

 謙信の怒りは実に巧妙にコントロールされていて、ここで怒ったら効果覿面だろうというところで必ず爆発するように激怒できるところがあった。だから怒る方の謙信は演技なのではないか、と疑いたいらしい家臣も中にはいて、三郎ももしかしてそう考えているのでは、という気がしたが、喜平次はそれは違うと思っていた。謙信は本気で怒っている。些細なことを静かに褒めるときと同じように。

 だからこそ簡単には掴めないのだ。

 しかしそういうことを、喜平次は知り合ったばかりの三郎にうまく説明できる気がしなかった。三郎は黙り込んでしまった喜平次を見て、腹に据えかねた様子でやや語気を強めた。

「お前は何であれ見て平然としてんの」

「だから、平然となんかしてない」

「激怒するのを見ていればお屋形さまがわかるようになるって、誰かに言われたのか?」

「別に誰に言われたわけじゃないけど、三郎は来たばかりだから、まだわからないだけだよ。言葉ではうまく説明ができないけど……見てたらわかるようになった。もう少し上杉にいれば、三郎にもわかるようになるよ」

「深酒が唯一の悪癖なんじゃなかったの」

「だって、これは悪癖じゃないだろ」

 三郎は黙り込んだが、すぐにまた口を開いて話題を変えた。三郎の中では繋がっているらしかったが、喜平次にはどうして急に話題を変えたのかがよくわからなかった。

「なあ、お前さ、上杉の跡取りの自覚あんの? おれを上座に座らせようとしたりして。明らかにお前が跡取りだろ」

 あまりにも突然の話題の転換だったが、これには喜平次も答える用意があった。三郎相手でなくても、たまに出る話題である。喜平次はいつもこう答えていた。

「跡取りのことはおれにはわからないよ。お屋形さまが決めるんだから」

 何かを隠しているわけではなく、これは喜平次の本心だった。実際に喜平次は跡取りのことについてはあまりよくわかっていない。謙信が話題にしないからだ。だからここで、おれが跡取りである、と認めるのはどう考えてもまずく、言い返しておく必要があった。確かに喜平次は上座に座らされているし、謙信との付き合いも長いが、三郎はほかでもない「景虎」の名をもらっている。だからどうなるかは誰にもわからない。

 しかし三郎にも思うところがあるらしく、彼はさらに追い詰めるようにして尋ねた。

「じゃあもう一つ聞くけど。お前さあ、肝が据わってるのか、それとも鈍感なのか、どっちなの?」

 よく通る少しだけ高い声が喜平次の耳によく残った。三郎に睨みつけられても、喜平次はうまく答えられなかった。しばらく睨み合う格好になって、先に動いたのは三郎だった。

「もういい」

 三郎はそう吐き捨てていなくなった。何かが気に入らなかったようだが、何が気に入らなかったのか、喜平次にはわからなかった。つまり鈍感ということになるのだろう、としばらくしてから一人で結論を出した。

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