2
ソフィアは今、王都にはいない。
子爵領にもいない。
海の見える地方の田舎街の小さな学校で、子供に文字と計算を教える先生をしている。
館を出た後、研究所を退職する手続きの為に連絡をとったセバスチャンに、ここ数年から始まっている王家の政策で、地方の子供にも教育機会を与えるという王家の地方教師派遣施策の派遣先一つを紹介してもらったのだ。
「ソフィア様どうぞお元気で。レイ様から、手紙を預かっております。本来であればお見送りにきたかったとの事ですが、ご存知の通り立法化で多忙を極めておられまして」
誰にも言わずに一人で王都を去る日、馬車の停留所まで見送りにきてくれたセバスチャンはソフィアにそう言って封筒を手渡してくれた。
「そんな・・王太子様にお見送りなど、勿体ない事です。セバスチャンさん、色々と本当にお世話になりました。王太子殿下にはどうぞお元気でとお伝え下さい」
「・・本当にブライス様には一言もおっしゃらずに、それでいいのでしょうか」
「・・セバスチャンさん。私の身を哀れんでくださるのであれば、どうか、どうかブライス様には何も知らせずに、私をここから去らせて下さいませんか」
ソフィアはそう言うと、おもわずセバスチャンの前でぼろぼろと涙をこぼした。
全てを察したセバスチャンは、そっとソフィアの肩に触れて言った。
「・・お可哀想に。あの方はなんと罪深い方なのでしょう」
「・・・本当に恐れ多い事です。私のようなものが、あんな輝かしい方に恋をしてしまうなんて」
宝石のように美しい、だれよりも聡く、気高く優しい男。
嵐の後のような酷い部屋、一緒に料理をした時の誇らし気な笑顔。真剣な顔をして研究に向かう姿。ソフィアをからかって遊んで笑う、あのいたずらっぽい顔。
体を丸めて眠る、子供のように無防備な寝顔。
ブライスと一緒に過ごした日々の思い出がキラキラと輝いて、ソフィアの胸一杯にあふれて、涙が止まらなくなる。
(あんなに素敵な方ですもの。きっとあの方を理解して、心から愛してくださる高貴な貴婦人がブライス様にはこれから現れるわ)
輝かしいブライスの未来に、ソフィアの存在は邪魔にしかならない。
セバスチャンの見送りを背に王都を後にして、一人になった海行きの乗合馬車の中でレイからの手紙を開いてみた。
レイからの手紙には、今見送りにいけない事への謝罪と共に、レイの念願であった法案の立法の為のソフィアの協力への深い感謝と、犠牲への謝罪がつづられていた。
貴族の中の貴族ともいえる王太子のレイは、ソフィアがブライスを守る為に支払った代償が一体何であったのか、よく理解しているのだ。
そしてせめてもの償いとして、弟のトビーの貴族学校の入学金と授業料が奨学金という形で免除となった事、マーレ子爵領に王家の調査団を派遣して、洪水の際の被害を再調査し手厚い災害保障を約束すると、手紙の最後にそう結ばれていた。
封筒の中には、小切手が同封されていた。
子爵領名義では無く、ソフィア個人の名義のそれは、女性が一人で一生慎ましく生きていくには十分な金額が綴られてあった。
ソフィアの体から、ずるずると張り詰めていた力がぬけてゆく。
安堵なのか、失望なのか、悲しみなのか分からない涙が次々に頬にながれていく。
(もうこれで、私は子爵領に送金する必要がなくなったのね)
抱えていた重い責任から解放された後、もう、ソフィアには何もない。責任も、義務も。夢も、希望も。
ただあるのは不名誉をかかえた己の身と、バラバラにちぎれた心だけだ。




