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またそんなある日のことだ。
研究室でじっとブライスの隣で、研究室の魔術書を読んでいたはずのソフィアが、ジッとブライスの書類の一点を見つめたまま何も言わないでいたことがあった。
あまりに熱心にじっと見ているので、視線を感じたブライスが、ソフィアに声をかけた。
「・・ねえどうしたのソフィア。何かあった??」
ソフィアはブライスの仕事中は絶対に自分から口を開くことはない。
絶対にブライスの仕事の邪魔をしたくないというソフィアの気遣いだという事は、人に機微に疎いブライスでも理解する事ができた。
非常に言いにくそうに、ソフィアがおずおずと言った。
「・・ブライス様・・あの、間違いでしたらごめんなさい。でも多分この計算式はここに抜けがあるように見えます。反論者にここの抜け突かれると、議論の前提の部分が覆されるので・・ひょっとしたら変えたほうがいいのかもしれません」
遠慮がちにソフィアの指をさしている所をよく見ると、議論のたたき台として作っていた複雑な魔法の計算式の一つに小さな抜けがあったのだ。
どうやらいつも、ただブライスの隣で研究室の蔵書を読んでじっとしているか、部屋の整理整頓をしているかと思っていたソフィアなのだが、ブライスの手元の書類作業もじっと見ていたらしいのだ。
「本当だ・・こんな小さな式、よく気がついたね・・」
ソフィアが指摘した間違いそのものは小さな間違いだが、ソフィアの言う通り、ここを前提とすると後に議論の穴となる。
(驚いたな、この子。僕が考えていた何倍も優秀な子だ)
多くの研究員を抱える魔法研究所の研究員の中でも、ブライスのこれほど高レベルな論文の、これほど小さなミスを未然に検知できる事ができる研究員など、ぱっと考えてみても片手で足りるほどだ。
内心舌を巻いてしまったブライスは、
「ソフィア、見つけてくれて助かる。ありがとう、君さえよければこちらの論文も問題ないか見てくれ」
「え、私でいいんですか? 嬉しいです・・是非!! はい!」
暇を持て余していたらしいソフィアは大喜びでイソイソと山と積まれたブライスの論文に手をつけはじめた。
(信じられない。こんな不便な状況だというのに、人生で一番作業が捗るだなんて・・・)
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その日の夜。
大分片付いたブライスの部屋の最高級のベッドの上に、2人はいつものように横たわった。
窓の外に月が綺麗に見える。
これもソフィアのなみだぐましい努力によって、すこしずつ窓の前につんでいた書類の山と本の山が片付けられたからに他ならない。
まだまだ、泥棒にでも入られたかのような酷い部屋の状態だが、少なくとも最初の頃のように嵐と地震がいっぺんにやってきた上に暴れ馬に大暴れされたような凄まじい荒れっぷりではなくなった。
「今日は本当にいい月ですね。こんな月を眺めながらフカフカの素敵なベッドで眠れるなんて贅沢です」
確かに綺麗に片付いたベッドは、国内の最高級品だし、整理整頓は嫌いだが、不潔はもっと嫌いなブライスの浄化魔法によって、一般的にゴミとされるようなホコリや汚れからはこの寝室は自由だ。
ソフィアのリクエストによってブライスにピカピカに浄化された窓から見える月を眺めながら、2人は静かで心地の良い夜を楽しむ。
ご機嫌で心地のよいベッドでウトウトとするソフィアに、ブライスは静かに話しかけた。
「ソフィア。今日は助かったよ。ありがとう。僕は未だに君ほどの優秀な人材が、ただ研究所の事務補佐の雑用をしていたなんて信じられないよ」
「うふふ、お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます。私本当に成績には自信があったし、宮廷魔術師になる事が夢だったんです。勉強した事が無駄にならずにブライス様の御役にたててよかったです」
「君は宮廷魔術師になるのが夢だったの? 」
「ええ。そうです。ブライス様と同じの宮廷魔術師になりたかったんです。もう諦めましたけどね・・・笑わないで下さいね。実は、学生の頃、私魔術で、ブライス様のお名前の賞も受賞していたんですよ」
ソフィアはブライスの方を見ると、くすくすといたずらっぽく笑った。
その言葉に、ブライスは一人の人物に思い当たった。
「聞いたことがある。マーレには若い魔術の才媛がいて、僕の名前を冠した賞を受賞した。あの学校からあの魔法式を出した子は・・そうか、まさかあれは君だったとは。卒業後は王都に上がってくると思って楽しみに待っていたのに、結局現れなかったんだ」
そう呟いたブライスに、先ほどまで笑顔だったソフィアは笑いながらぽろり、と一つ涙をこぼした。
「うわ、ど、どうしたの???」
急なソフィアの涙に焦りにあせったブライスは急いで自分の寝間着の袖でソフィアの涙を拭いた。
ソフィアは笑顔を取り戻すと、静かに言った。
「・・嬉しいです、ブライス様。その言葉で十分です。 私子供の頃にブライス様の構築した魔術式をみて、是非私もこんな魔術式がかけるような宮廷魔術師になりたいと思って勉強をがんばったんです。
上の学校に進学する夢は諦めたのでが、せめて魔術に関わる場所に身を置きたいと思ってブライス様の研究所の事務補佐の仕事についたんです。宮廷魔術師になるという夢はかなわななかったけれど、これでもう、私は十分です。もう魔術に未練はありません。あとはブライス様の夢である、魔法法案の立法の成立が私の夢です」
満足そうにため息をついたソフィアに、ブライスは戸惑って言った。
「ソフィア・・でも今からでも遅くない。この呪いが解けたら、君が宮廷魔術学校に行けるように推薦するよ、奨学金だってある。君は素晴らしい才能を持った魔術師だ。このまま事務補佐として埋もれるには惜しい」
もっと話しを続けようとしたブライスに、ソフィアは笑って寝返りをうって背中を見せた。
そして背中越しにソフィアは元気に言った。
「宮廷魔術師の夢はもういいんです、ブライス様。そんな事よりもう早く寝ましょう! 明日の夜は牛すじの赤ワイン煮込みにしますよ! ブライス様の空間魔法で圧力をかけてくださったら、きっと美味しい煮込みになります」
「・・・う、うん。僕にまかせて」
(たとえ学費が無料になった所で、私はあと6年、実家にお金を送らなければいけないんだもの。夢を見ている場合ではないわ)
ブライスに背中を見せたソフィアが、背中の向こうで声を殺して泣いていた事にブライスは気がつく事はなかった。




