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ブライスの研究室は寝室の隣だ。
ここも、ほとんど魔術研究所のブライスの部屋と変わらないような酷い有様だが、寝室のように無秩序な散らかり方ではない事はなんとなくソフィアにも感じた。カオスなりにどうやら秩序があるらしいのだ。広い部屋の壁にはずらりと本棚が並べており、本棚におさまりきらなくなった本が、床一面にぶちまけられている。
床はほとんど見えないが、どうやら高級なカーペットが敷き詰められているらしく、歩いても足音一つたたない。
朝食は転移魔法で届いたパンや生の果物だ。
ブライスは研究室に入るやいなや、昨日と同じ見事な転移魔法を展開して、足の踏み場もない研究室のこれまた本であふれた机の上で、紙袋入りの朝食を召喚した。
ちなみにこの規模の転移魔法を展開するのに、一般的な魔術師であればおおよそ一日分の魔力が必要となる。
これほど見事に、そして気軽にひょいひょいと転移魔法を展開しているブライスの姿は、かつては魔術を志していたソフィアの目にとてもまぶしい。
ブライスの説明によると液体や、柔らかいものは上手に転移魔法では届かないという事で、ブライスに転移魔法で送られてくる食糧は大体大きめの固形物ばかりだ。
「朝食はその紙袋の中の物を好きに食べていて。 僕は仕事するから、その間悪いけど僕の隣に座っていてくれないか」
ソフィアに紙袋を渡して椅子に腰掛けると、いつもヘラヘラとしているブライスだというのに、一気に目の色がかわって、書類に神経を集中し、もう何も見えても聞こえていない様子。
ブライスは魔術研究所で研究中は、誰も研究室に入れず鍵をかけているので、ブライスの研究中の姿を見るのはソフィアにとってはこれがはじめてだ。
(やだ・・研究中のブライス様こんな感じなんだ。ほんっとうに格好いいわね・・いつもヘラヘラしている変人なのに、仕事の時はこんなに集中していたのね。ちょっとどころかめちゃくちゃ格好いいわ・・眼福・・・)
完全に集中しているブライスは、利き手の左手が、ソフィアの右手とひっついている事すらも忘れてしまったようだ。左手で手探りで書類を探したり、紙袋に手をいれて手が触れたらしいリンゴをまるままかぶりついていた。
(食事は片手で食べられるものならなんでもいいとおっしゃっていたけれど、集中したら片手で食べられるものでないといけない理由があっての事だったのね。やだ、正直本当に素敵・・)
ソフィアはブライスの研究の邪魔にならないようにブライスと密着しているそっと右手の力を抜いて、好きにさせていた。
ブライスの隣で満足するまでその真剣な横顔を見つめていたソフィアは、紙袋の中をのぞいてみた。
中身は昨日の夕食と同じ、一斤そのままのパン、ちょっとへしゃげたレタス一玉、塊のチーズと塊のハム。
それにオレンジとリンゴがまるごと。
2人分を頼んでいるので、ソフィアも自由に紙袋の中のものを食べてもよいと、そうブライスは言っていた。
ブライスはもうソフィアのことなど全く目にも入っていない様子で、真剣に目の前の数式と格闘している。
ソフィアはブライスの集中を邪魔しないように、そうっと机のペン立てにあったナイフを手繰り寄せ、白い紙をひらりと一枚抜き取ると、それを皿代わりにしてパンを薄くスライスした。
そして次にチーズの塊とハムを紙の上で切って、レタスをちぎってパンにはさんで、一口大に切って即席サンドイッチの出来上がり。
(ふう、これでパン丸かぶりするよりは少しは人間の食事らしいわ)
一口そっと口に運んでみる。
(うわ、おいひい・・・)
じゅわっと口の中にひろがる肉汁と、コクの強いチーズ、風味豊かなもっちりとしたパン。
昨日までソフィアが食していたものとは桁違いの質の高さに、思わず笑顔が溢れ、ちょっと涙がちょちょぎれる。
(さすが王宮の台所からだけあって、全部ものすごく美味しいわ・・! パンもふかふかだしハムなんてものすごい高級品じゃない、こんなに分厚く切っていいなんて、本当に最高だわ!!)
昨日からあまりなにも喉を通っていなかったソフィアは、夢中で即席で作ったサンドイッチでを食した。
子爵領に収入のほとんどを送金しているソフィアの食事はいつもタンパク質不足で、たまに手に入ったハムなど食べる時は、勿体無くてペラッペラで向こうが透けて見えるほどに切って大事に大事に何日にも分けて食べるのだ。
一人で即席サンドイッチの食事に満足していたら、ソフィアとつながっている方の手でブライスが何か手探りで探している。どうやら目の前の書類に集中しながらも、手で食べるものを探している様子だ。
少しイタズラ心が出たソフィアは、空を探すブライスの手に、先ほど作ったサンドイッチを握らせた。
ブライスはサンドイッチを一瞥する事もなく、ただモクモクと口に運んだ。
次の瞬間、一瞬動きが止まったブライスはまた急いで左の手でサンドイッチを探りだす。
面白くなってきたソフィアは次から次へとサンドイッチを作っては、ブライスに手渡した。
ようやく一斤全部でサンドイッチを作り終えてた頃、やっとブライスがこちらの方向を向いた。
ブライスはその美しい紺色の目をぱちくりとさせて、驚いた顔をしてソフィアを真っ直ぐみて言った。
「・・・先ほどから何だか口の中が嬉しいなと思っていたら、犯人は君だったのか」
(口の中が嬉しい、ですって)
ソフィアはブライスの不思議な物言いに笑いが込み上げてきた。
「ええ、私が犯人です。お気に入ってくださったようでよかったです」
ブライスはまじまじと手の中のサンドイッチを見つめて、真剣な口調で言った。
「ソフィア教えてくれ、君は一体なんの魔術を使ったんだ? なんだか突然急に口に入るものがものすごく旨くて、力がみなぎるようで手が止まらなくなった」
ソフィアは笑いを噛み殺して教えた。
「魔術なんて何も使っていないですよ、その材料を丁寧に切って重ねて、食べやすいようにしただけです。ブライス様は片手で食べられるものならなんでも良いとおっしゃっていましたけど、同じ材料なのでしたら、少しの手間と工夫で美味しく食べたってバチは当たらないです。沖に行って下さったのでしたら、明日も良かったら作りましょうか?」
なにせソフィアは貧乏だ。
でも貧乏でも食は数少ないソフィアの娯楽でもある。
少しでも楽しい食卓となるように、紙のように薄いハムをできるだけ口いっぱいで味わう為に、薄く切ったハムでレタスを巻いてみたり、揚げ物の嵩を増すために油の中で衣を泡立ててみたりと、工夫に工夫をして毎日の食を楽しんでいるのだ。
そんなソフィアにとって、こんな高級食材をただ腹を満たす為にかじるだなんて食に対する冒涜だ。
ブライスは本当に驚いた様子で、
「・・驚いた。君はちっとも僕の邪魔をしなかったのに、いつのまにか美味しい物を作って、あまつには食べやすくして出してくれた。これはまるで魔法みたいだ。 ・・あの、もしもその、君が手間でなければ・・明日もお願いしていいだろうか。他にも君が必要なものがあればなんでも取り寄せる」
と、少しはにかんだ口調で言った。
「ふふふ、はい、ありがとうございます。そうですね、この食材で十分ですが、マヨネーズと塩と胡椒があれば、今日のよりももう少し美味しくなると思いますよ」
ブライスは少年の様に破顔して言った。
「わかった。明日から朝が楽しみだよ。準備しておくよ」




