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見えない彼女と、見えてない俺  作者: ニィギンヤ


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3/4

存在しているのに、存在していないもの

まず結論から言おう。


⸻


 俺はこの日、


⸻


 人生で最も理解不能な30分を過ごした。


⸻


 場所は公園。


⸻


 時間は放課後。


⸻


 状況は最悪。


⸻


 なぜなら。


⸻


 目の前で、綾瀬が。


⸻


 何もない空間と会話しているからだ。


⸻


「……今日は元気」


⸻


 綾瀬が言う。


⸻


 誰に?


⸻


 聞くな。


⸻


 聞いたら負けだ。


⸻


 さっき聞いたばかりだが。


⸻


 負けたばかりだが。


⸻


 学習はしない。


⸻


 人間だから。


⸻


「……いや、あのさ」


⸻


 俺は言う。


⸻


 勇気を振り絞って。


⸻


「マジで何が見えてるんだ?」


⸻


 核心。


⸻


 直球。


⸻


 これ以上ないくらいのストレート。


⸻


 もはや変化球を投げる余裕はない。


⸻


 綾瀬は少しだけ考えて。


⸻


「……いるでしょ」


⸻


 言った。


⸻


 簡潔に。


⸻


 あまりにも簡潔に。


⸻


 問題は。


⸻


 俺には一切見えていないことである。


⸻


「いや、いないけど」


⸻


 事実を述べる。


⸻


「いる」


⸻


 断言された。


⸻


 強い。


⸻


 無駄に強い。


⸻


 こういう時の綾瀬は、本当に強い。


⸻


 主に精神的に。


⸻


 その時だった。


⸻


 足元で、何かが動いた。


⸻


 気がした。


⸻


 いや、動いた。


⸻


 絶対に動いた。


⸻


 見えないけど。


⸻


 動いた。


⸻


 これはもう哲学である。


⸻


 “見えないのに動いたと感じるものは存在するのか?”


⸻


 という問題だ。


⸻


 今はどうでもいい。


⸻


 非常にどうでもいい。


⸻


 重要なのは。


⸻


 俺の足元で何かがうごめいている気がするという事実である。


⸻


「……あの」


⸻


 俺は言う。


⸻


 少しだけ後ずさりながら。


⸻


「今、何か来てない?」


⸻


「うん」


⸻


 即答。


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 迷いがない。


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 恐怖である。


⸻


「来てるって何が!?」


⸻


 思わず声が大きくなる。


⸻


 仕方ない。


⸻


 普通はそうなる。


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 ならない方がおかしい。


⸻


 綾瀬は、俺を見る。


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 ほんの少しだけ、首を傾げて。


⸻


「……触る?」


⸻


 提案された。


⸻


 何を?


⸻


 分かっている。


⸻


 分かっているが。


⸻


 分かりたくない。


⸻


「いやいやいや無理無理無理」


⸻


 即座に拒否する。


⸻


 人間として正しい判断だ。


⸻


 たぶん。


⸻


 しかし。


⸻


 その瞬間。


⸻


 何かが、足に触れた。


⸻


「うわっ!?」


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 跳ねる。


⸻


 完全に跳ねた。


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 反射的に。


⸻


 もう理性とかそういうレベルではない。


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 純粋な恐怖である。


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「……大げさ」


⸻


 綾瀬が言う。


⸻


 冷静に。


⸻


 冷静すぎる。


⸻


 こっちは人生最大級のピンチなのに。


⸻


「だって今触れたぞ!?」


⸻


「触るよ」


⸻


 当然のように言う。


⸻


 この会話、成立しているのか?


⸻


 不安になってくる。


⸻


 かなり。


⸻


 その時。


⸻


 綾瀬がしゃがむ。


⸻


 そして。


⸻


 何もないはずの空間に向かって。


⸻


 手を伸ばす。


⸻


 撫でる。


⸻


 ゆっくりと。


⸻


 優しく。


⸻


 その動きは。


⸻


 明らかに。


⸻


 “何かを撫でている動き”だった。


⸻


「……いい子」


⸻


 小さく言う。


⸻


 柔らかい声で。


⸻


 さっきまでの無機質さはどこにもない。


⸻


 まるで別人だ。


⸻


 いや。


⸻


 これが本来の姿なのかもしれない。


⸻


 そう思った瞬間。


⸻


 また、足元で何かが動く。


⸻


 さっきより近い。


⸻


 というか。


⸻


 完全にまとわりついている気がする。


⸻


「ちょっと待てこれ絶対何かいるって!!」


⸻


 もはや叫びである。


⸻


 冷静さは捨てた。


⸻


 綾瀬は、少しだけ考えて。


⸻


 それから。


⸻


 とんでもないことを言った。


⸻


「……見えないの、かわいそう」


⸻


 同情された。


⸻


 この状況で。


⸻


 なぜか。


⸻


 俺が被害者ではなく“不憫な人”扱いされている。


⸻


 納得いかない。


⸻


 全く納得いかない。


⸻


 だが。


⸻


 ここで一つ、冷静に考えてみよう。


⸻


 綾瀬は。


⸻


 何かを見ている。


⸻


 触れている。


⸻


 会話している。


⸻


 そして。


⸻


 それは。


⸻


 少なくとも攻撃的ではない。


⸻


 なぜなら。


⸻


 俺はまだ無事だからだ。


⸻


 精神的には無事じゃないが。


⸻


 肉体的には無事である。


⸻


 ここ重要。


⸻


「……危なくないのか?」


⸻


 恐る恐る聞く。


⸻


「全然」


⸻


 即答。


⸻


 信頼が厚い。


⸻


 何に対してなのかは不明だが。


⸻


 その時だった。


⸻


 公園の入り口の方から、


⸻


 犬の鳴き声が聞こえた。


⸻


「ワン!」


⸻


 普通の犬だ。


⸻


 見える。


⸻


 はっきりと。


⸻


 非常に安心する。


⸻


 “見える存在”というだけで、ここまで心が安らぐとは思わなかった。


⸻


 犬はこっちを見ている。


⸻


 いや。


⸻


 正確には。


⸻


 俺の足元を見ている。


⸻


 そして。


⸻


 次の瞬間。


⸻


 犬が、尻尾を振りながら近づいてきた。


⸻


 一直線に。


⸻


 俺ではなく。


⸻


 “俺の足元の何か”に向かって。


⸻


 止まる。


⸻


 そして。


⸻


 何もない空間に向かって。


⸻


 じゃれ始めた。


⸻


 完全に。


⸻


 楽しそうに。


⸻


 見えない何かと。


⸻


 遊んでいる。


⸻


「……は?」


⸻


 理解が追いつかない。


⸻


 いや。


⸻


 理解したくない。


⸻


 でも。


⸻


 事実は一つだ。


⸻


 “見えている存在”が、“見えていない何か”と遊んでいる。


⸻


 これはもう。


⸻


 言い逃れできない。


⸻


 確定である。


⸻


 何かがいる。


⸻


 確実に。


⸻


 俺には見えないだけで。


⸻


 その時。


⸻


 綾瀬が、ふっと笑った。


⸻


 小さく。


⸻


 本当に小さく。


⸻


 でも。


⸻


 はっきりと分かるくらいに。


⸻


 柔らかく。


⸻


 優しく。


⸻


「……仲良くできそう」


⸻


 誰に向かって言っているのかは。


⸻


 もう、聞かない。


⸻


 聞かないが。


⸻


 分かってしまう。


⸻


 これは。


⸻


 完全に巻き込まれている。


⸻


 しかも。


⸻


 かなり面倒な方向に。


⸻


 そして何より。


⸻


 この時の俺は、まだ知らない。


⸻


 この“見えていない何か”の正体が、


⸻


 とんでもなく現実的で、かつ情けない理由で見えていないだけだということに。

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