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第96話 十分

 持ち物検査は、ゆっくりと進んでいた。


 悲鳴も怒号もない。


 ただ重苦しい沈黙だけがアリーナを支配していた。


 終司は視線だけを動かす。


 見張りのその配置には偏りがあった。


 来賓席側には人数を割いているものの、生徒側は最低限の監視だけ。


 魔法が使えない以上、抵抗は出来ないと踏んでいるのだろう。


「今なら」


 終司が小さく呟く。


 エリューシアが視線だけを向けた。


「左奥」


 終司は視線を動かさないまま言う。


「二人が巡回へ入る。その瞬間だけ死角が出来る」


 リトリも静かに確認する。


「オッケー。合図貰えるかな?」


「ああ」


 終司は頷いた。


 その瞬間を待つ。


 巡回の男達が歩き始める。


 一歩。


 二歩。


 視線が逸れた。


「今だ」


 その一言だけだった。


 エリューシアとリトリは、一切の物音を立てず立ち上がる。


 終司は平然と前を向いたまま、その様子だけを耳で確認する。


 終司は小さく息を吐いた。


「終司さん」


 去り際に、柱の陰へ消えようとしたエリューシアが小さく振り返る。


「十分下さい」


 静かな声だった。


「十分で、必ず結界石の制御を取り戻します」


 迷いはない。


 その水色の瞳には、強い決意だけが宿っていた。


 終司は小さく頷く。


「頼んだ。こっちは任せてくれ」


「お願いします」


 それだけ言って、エリューシアは姿を消す。


 リトリも続いた。


 静寂が戻る。


 終司は数秒だけ二人が消えた方向を見つめ、それから夕緋へ向き直った。


「夕緋さん」


「はい」


 終司は腕時計を外した。


 革製のベルト。


 長年使い込んだ愛用品だ。


「これを」


 夕緋は首を傾げながら受け取る。


「……時計、ですか?」


「ああ」


 終司は静かに言った。


「今からちょうど十分後」


 夕緋は文字盤を見る。


「その瞬間に、俺の周囲へ結界を張ってくれ」


 夕緋は目を瞬かせた。


「ですが……」


 言葉を濁す。


 今は魔法が使えない。


 それは全員が知っている。


 終司は小さく笑った。


「十分後には使えるようになってる」


「断言するんですね」


「彼女は十分でなんとかするって言ったからな」


 それだけだった。


「だから十分後には戻ってる」


 夕緋は終司を見つめる。


「信じているんですね」


「ああ」


 終司は即答した。


「彼女の実力なら間違いなく成功するよ」


 その一言だけで十分だった。


 夕緋は少しだけ微笑む。


「……分かりました」


 時計を握る。


「十分後ですね」


「ああ」


「必ず」


 夕緋の表情から迷いが消える。


「その時は、私が終司さんを守ります」


「頼む」


 短く言葉を交わした、その時だった。


「次!」


 怒号が響く。


 列が一つ前へ進む。


 持ち物検査は止まらない。


 終司は何事もないように列へ並び直した。


 時間を稼ぐ。


 それだけが今の役目だった。


 十分。


 長いようで短い時間だ。


 終司は周囲を観察する。


 見張りは八人。


 入口に二人と出口に二人。


 中央通路に四人。


 来賓席側はさらに多い。


 それでも、生徒側への意識は薄い。


 問題は、十分間何も起こさないこと。


 だからこそ、終司は何もしない。


 ただ列へ並ぶ。


 普通の生徒として。


 何も考えていないように。


「先輩」


 旭が小さく囁く。


「時間、稼げますか?」


「稼ぐしかないな」


「もし、エリューシア先輩が間に合わなかったら?」


 終司は少しだけ考えた。


「その時はその時だ」


 旭は苦笑した。


「相変わらずですね」


「探偵は未来予知は出来ないからな」


「でも」


 旭は小さく笑う。


「先輩なら、不思議と何とかしちゃう気がします」


「買い被り過ぎだ」


「終司先輩とエリューシア先輩の二人なら、こんなのどうってことないんじゃないかなーって、そう思えるんですよ」


 二人のやり取りも、ごく自然に。


 決して周囲へ違和感を与えない程度に。


 そうしている間にも列は進んでいく。


 一人。


 また一人。


 床へ荷物が散らばる音だけが響く。


「次だ」


 黒衣の男が指を差した。


 終司は静かに立ち上がる。


 その隣では旭も息を呑んでいた。


 まだ十分は経っていない。


 腕時計は今、夕緋の手の中にある。


 あと何分残っているのか。


 終司には分からないが、それを知る必要はなかった。


 信じると決めたのだから。


 終司は平然とした表情のまま、一歩前へ踏み出す。


 分かっているのは一つだけ。


 十分後には、全てが動き出すということだ。

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