第89話 強敵
地下の通路を、二人は駆けていた。
地上が襲撃を受けている。
旭からの通信はそれだけを告げて途切れた。
無事だということだけは分かった。
だが、それだけだ。
今どうなっているのか。
誰が襲撃しているのか。
学院は持ち堪えているのか。
何一つ分からない。
今は一秒でも早く地上へ出る必要があった。
通路の先で二人の足が止まる。
そこに一人の男が立っていた。
黒衣に仮面。
全身を覆う漆黒。
風貌は他の襲撃者と変わらない。
だが、見間違えるはずがない。
「……お前は」
終司が呟く。
だが、その視線は終司を見ていなかった。
凍り付くような殺意。
憎悪に敵意。
それだけをエリューシアに向けている。
「終司さん」
「ああ」
終司は短く答える。
「どうやらこいつの狙いは、俺じゃなさそうだ」
男が初めて口を開く。
「その通りだ」
低い声。
感情を押し殺した声だった。
「俺の狙いは最初からお前だ」
仮面の奥の視線が突き刺さる。
「エリューシア・フラウレス」
その名を呼ぶ声音には、明確な憎しみが込められていた。
エリューシアが静かに問う。
「私、ですか?」
「ああ」
即答だった。
空気が一気に重くなる。
終司は一歩前へ出た。
「なら、聞かせてもらおうか」
男の視線が僅かに終司へ向く。
「何をだ?」
「魔女狩りについてだ」
終司は真っ直ぐ言った。
「お前たちは何なんだ」
男は黙る。
数秒の沈黙があった。
「今から十年前だ」
男は語り始めた。
「中央都市軍は演習を行った」
終司は黙って聞く。
「当時の軍は世界最高……いや、最強だった」
男の拳が僅かに握られる。
「魔法など必要ない。そんなものがなくても武力で全てをねじ伏せる。それだけの力があったのだ」
そして、男はエリューシアを見る。
「そこへ、お前が現れた」
憎悪を込めて。
「たかが、八歳の少女一人を相手に」
エリューシアの表情が僅かに強張る。
「中央都市軍は敗北したのだ」
静かな声だった。
だが、その一言に込められた感情は重かった。
「たった一人に」
終司は目を細める。
男は続ける。
「武器も訓練された兵士も……何も通じなかった」
その時の光景を思い出しているのだろう。
声が僅かに震えていた。
「その戦いを見た政府は判断した」
男が言う。
「これからの軍に必要なのは兵器や屈強な兵士ではなく、魔法使いなのだと」
終司は黙る。
その先は想像出来た。
「俺たちの部隊は解散された」
男が吐き捨てる。
「多くの人間が居場所を失った。職を失い、誇りも失った。当然、家族を養えなくなった者もいた」
憎悪に怒り。
後悔に悲壮。
様々な感情が滲む。
「その原因が」
男の視線がエリューシアへ向く。
「お前だ」
エリューシアは言葉を失う。
「私は……」
「覚えていないと言うつもりか」
男が吐き捨てる。
「都合の良い話だ」
終司が口を開く。
「それが、お前たち魔女狩りか」
「そうだ」
男は答えた。
「俺達は捨てられた。世界に……政府に。ならば、その原因を生み出した魔法使いを殺して何が悪い?」
その言葉に迷いは無かった。
終司は静かに言う。
「罪の無い人間までを殺してか?」
「魔法に携わる者全てが悪だ」
「そんなのはただの逆恨みに過ぎない」
男の空気が変わる。
殺意が増した。
「貴様に何が分かる」
「分かりたくもない。誰かを守るはずの手で、誰かを殺すことを選んだ下衆の考えなんて分かってたまるか」
終司の言葉に、男はゆっくりと構える。
「語るだけ時間の無駄だったな」
低い声。
「二人まとめて地獄へ行け」
同時。
エリューシアが魔法陣を展開する。
青白い光が生まれる。
だが――
発動しない。
「……え?」
初めて、エリューシアの表情が崩れた。
もう一度術式を構築する。
発動しない。
魔力も感覚もある。
なのに、それは発動しない。
終司の表情が変わる。
脳裏によみがえる。
七年前のフォーラム会場。
無力化され、虐殺されていった魔法使いたち。
「そういうことか……」
終司が呟く。
男が笑った。
「理解したか?」
終司は思い出す。
魔法使いが一方的に殺された理由。
なぜ、魔女狩りが成立したのか。
答えは単純だった。
魔法が使えない。
発動そのものを封じられる。
術式が構築出来ない。
魔力が働かない。
つまり、魔法使いはただの人間になる。
「終司さん、試してみましたがどの魔法も駄目です」
「……だろうな」
終司は短く言う。
「こいつらの能力だ。タネも仕掛けも分からないけどな」
男が一歩踏み出し、床が砕ける。
圧倒的な威圧感。
そして終司は理解する。
最悪だ、と。
魔法が使えない。
その状況でこの男との戦闘は死に直結する。
純粋な身体能力だけで、あのラルスと渡り合った怪物だ。
エリューシアも終司も戦力の半分以上を削がれているのに対して、この男は何も変わらない。
男は静かに言う。
「さて」
その視線はエリューシアへ向けられている。
「魔法の使えぬお前らに、この俺が倒せるか?」
憎悪に満ちた声だった。
終司は一歩前へ出る。
小刀を握り、小さく息を吐いた。
地上へ急がなければならない。
だが、その前に。
この怪物を突破しなければ先に進むことは出来ない。




