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第79話 苦戦

 最悪の相手だった。


 終司は砕けた壁際へ着地しながら、目の前の黒衣の男を睨む。


 魔力反応が存在しない。


 つまり、魔法使いではない。


 それだけならまだいい。


 問題は、その肉体性能だった。


 床を踏み砕き。


 空気を裂き。


 純粋な膂力だけで終司を吹き飛ばしてきた。


 明らかに常軌を逸している。


「どうしたのです?」


 拘束椅子の上で、クエトが穏やかに笑った。


「余裕がなさそうですね?」


「黙ってろ」


 終司は短く返す。


 その瞬間。


 黒衣の男が再び消えた。


「――っ!」


 終司は咄嗟に身体を沈める。


 直後。


 頭上を拳が通過した。


 轟音。


 空振っただけで背後の壁が陥没する。


 終司は低い姿勢のまま男の懐へ潜り込み、掌底を叩き込んだ。


 鈍い衝撃が掌に響く。


「……良い動きだ」


 男は一歩も退かなかった。


 むしろ、その仮面の奥から愉快そうな声が漏れる。


「悪くない」


 次の瞬間。


 膝蹴り。


 終司は反射的に腕で受けるが、衝撃だけで身体が浮く。


 そのまま追撃に回し蹴り。


 終司は咄嗟に床を蹴って距離を取る。


 床へ着地した瞬間、足元が嫌な音を立てた。


 踏み込みだけで石床に亀裂が走っている。


「化け物か……」


「なるほど、あなたを追い詰めるには単純な肉体戦闘が有効でしたか」


 クエトが楽しそうに言う。


 終司は舌打ちした。


 冗談ではない。


 魔法なら斬れる。


 術式干渉も出来る。


 そこに戦闘の比重を置く魔法使い相手には、それだけで優位が取れる。


 だが、この相手はただ殴ってくるだけだ。


 しかも、その一撃一撃が重機みたいに重い。


「魔女狩り……と言ったな。まさかとは思うが」


 終司が低く呟く。


 クエトは微笑んだ。


「ええ。あなたの想像通りですよ」


「説明しろ」


「文字通り、魔法使いを狩る者たちです」


 さらりと言う。


「反魔法派を集めた戦闘集団です。魔法使いを殺すことだけに特化した異端の戦闘術を扱う」


 その説明の最中にも。


 黒衣の男は静かに終司を見据えていた。


 隙がない。


 いや。


 そもそも技術体系が違う。


 魔法戦闘ではなく、純粋な殺人術。


「魔女狩りを引き起こしたテロリスト集団か。だが、あいつらは事件の終幕で全員自害したはずだ。何故それが今更出てくる?」


「さあ?」


 クエトは肩をすくめる。


「ですが、教祖様の件と無関係とは思えませんね」


 その時だった。


 黒衣の男が床を蹴る。


 爆発じみた踏み込み。


 一瞬で間合いを詰めてくる。


「ちっ――」


 終司は咄嗟に身体を捻る。


 拳が頬を掠め、皮膚が裂ける。


 そのまま肘打ちが飛ぶ。


 終司は腕で受け流しながら後退する。


 だが、男は止まらない。


 追撃。


 追撃。


 追撃。


 まるで獣そのものだった。


 一切迷わず、急所だけを狙ってくる。


「――ッ!」


 終司は蹴りを受け流し、その勢いを利用して距離を取る。


 直後、男がいた場所の床が砕け散った。


 もし回避が遅れていたら、脚ごと持っていかれていた。


「どうした」


 仮面の奥から低い声が響く。


「その刀は抜かないのか?」


「……言ってくれる」


 終司は呼吸を整える。


 相手は強い。


 間違いなく。


 だが、勝てないわけじゃない。


 終司は男の動きを観察する。


 無駄がないが、直線的だ。


 魔法使い相手を前提にし過ぎている。


 術式発動前に潰す。


 回避させる前に叩き殺す。


 だからこそ速い。


 だからこそ重い。


「……逆に言えば」


 終司が小さく呟いた、その瞬間。


 男が再び突っ込んできた。


 終司は真正面から踏み込む。


 男の拳。


 終司は最小限の動きで回避。


 紙一重。


 拳圧が頬を裂く。


 だが、その内側へ潜り込む。


「はぁ――ッ!」


 終司の肘が男の脇腹へ突き刺さった。


 鈍い感触。


 僅かに男の身体が揺れる。


 終司はそのまま追撃。


 顎へ掌底を叩き込み、そのまま膝蹴りへ繋げる。


 だが、男は強引に腕を振り抜いた。


 終司は咄嗟に後退する。


 轟音。


 空振りした腕だけで空気が爆ぜる。


「……ちっ、浅いか」


 終司は舌打ちする。


 効いていないわけではない。


 ただこの男の耐久力が異常なだけだ。


「流石ですねぇ」


 クエトが感心したように呟く。


「彼相手に近接戦を成立させますか」


「他にやりようがないからな」


 終司は目を細める。


 刀を抜き、魔法を使えばいい話ではある。


 だが、この地下施設でそれは危険過ぎる。


 下手をすれば施設ごと崩れる。


 そして何より。


 相手は明らかに、それを狙っている。


 術式発動の隙。


 そこを潰すためだけに動いている。


「……面倒だな」


「ええ」


 クエトは笑った。


「貴方と同じ魔法使い殺し……魔法によるアドバンテージが無いとすれば、勝敗を左右するのは互いの戦闘技術」


 その瞬間。


 黒衣の男が腰から短剣を抜いた。


 終司の表情が変わる。


「そちらが抜かぬなら、こちらが抜かせて貰おう」


 男が初めて明確な殺意を乗せて言った。


「貴様はここで排除する」


 直後。


 男の姿が消える。


 終司は反射的に身体を逸らした。


 銀閃。


 短剣が頬を裂く。


 そのまま首を狙った二撃目。


 終司は腕で弾き、蹴りを叩き込む。


 男は後方へ飛び退いた。


 終司の腕から血が落ちる。


 浅い。


 だが、確実に斬られていた。


「……っ」


 終司は目を細める。


 速さが増している。


 短剣の斬撃まで混ざると厄介だ。


 すると、クエトが静かに口を開いた。


「終司さん」


「何だ」


「後ろですよ」


 反射的に振り向く。


 終司は咄嗟に身体を沈めた。


 頭上を刃が通過する。


 いつの間にか、男が背後へ回っていた。


「――ちッ!」


 終司は床を転がるように距離を取る。


 遅れれば確実に死んでいた。


 男は静かに短剣を構える。


「ほう、避けたか。見事だ」


「それはどうも」


 終司は立ち上がる。


 だが、その瞬間だった。


 施設全体が、小さく揺れた。


 終司と男の動きが止まる。


 クエトだけが笑っていた。


「……どうやら」


 祭司は静かに目を細める。


「来たようですよ?」


「何がだ」


 終司が睨む。


 クエトは答えない。


 ただ、楽しそうに笑うだけだった。

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