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第65話 学術祭

 端末の着信音で目が覚めた。


 まだ眠気の残る頭のまま、終司は枕元へ手を伸ばす。


 時刻は朝の七時過ぎ。


 窓の外からは、すでに学院が動き始めている気配が聞こえていた。


「……誰だ?」


 画面を確認する。


 表示されていた名前を見て、少しだけ眉を上げた。


 旭。


 終司は通話ボタンを押す。


「もしもし」


『おはようございます、終司先輩ー』


 朝から元気だった。


「朝早くから元気だな……おはよう」


『学術祭初日ですしねー』


「そうだな」


 終司は小さく息を吐く。


 まだ頭が起ききっていない。


 対して旭は完全に覚醒しているらしい。


『あ、ちゃんと起きてました?』


「今起きたところだ」


『よかったですー。モーニングコール成功ですね』


「わざわざそのために電話してきたのか?」


『半分くらいは』


「残り半分は?」


 少し間が空く。


 そして旭は、ほんの少しだけ声の調子を落とした。


『先輩にお礼をしようと思って』


 終司は黙る。


『今日は私が案内係をさせて貰いますー』


 一瞬でいつもの調子に戻った。


『リトリ先輩は医務室ですし、エリューシア先輩も朝から忙しいみたいですし』


「そうだろうな」


『となると、終司先輩を案内できるのは私しかいないわけです』


「そ、そうなのか」


『ということで、一時間後くらいに病室集合でお願いしますー』


「病室?」


『お姉ちゃんも連れていこうかなと』


「いや、流石に無理だろ」


『大丈夫ですよー。リトリ先輩からも許可は出てます』


 妙に自信満々だった。


 終司は苦笑する。


「リトリが良いって判断したのか……分かった」


『ふふ、良かったです』


 電話の向こうで本当に喜んでいるのが分かった。


『それじゃ、私は一回寮に戻って準備してからいきますー』


「ああ」


『それでは、また後ほどー』


 通話が切れる。


 部屋に静寂が戻った。


「……お礼に案内、か」


 思わず呟く。


 だが、不思議と悪い気はしなかった。


 ◇


 身支度を整えた終司は医療棟へ向かった。


 外へ出ると、昨日以上に学院全体が騒がしい。


 学術祭初日。


 準備期間とは違う熱気がそこにはあった。


 屋台の設営。


 飾り付けの最終確認。


 忙しそうに走り回る生徒たち。


 終司はそんな光景を横目に見ながら医療棟へ入った。


 病室の前で軽くノックする。


「失礼します」


「どうぞ」


 聞こえてきたのは夕緋の声だった。


 扉を開く。


 そこには窓際のベッドに腰掛けた夕緋の姿があった。


「おはようございます」


 穏やかな笑み。


 昨日よりも顔色はずっと良い。


「おはよう」


 終司は部屋を見回した。


「旭は?」


「まだ戻ってきてませんね」


 夕緋が答える。


「朝から慌ただしくしていましたから」


「想像できるな」


 終司は苦笑した。


「リトリさんも少し席を外しています」


「なるほど」


 終司は近くの椅子へ腰を下ろした。


 窓から差し込む朝日が病室を明るく照らしている。


 穏やかな時間だった。


「体調は?」


「かなり良いですね」


 夕緋は自分の手を見る。


「昨日まで感じていた違和感も、ほとんどなくなりました」


「それはなにより」


「リトリさんにも診てもらいましたが、体内の魔力の流れも安定しているそうです」


 終司は頷く。


 やはり予想通りだった。


 クエトが捕まったことで、彼女の身に起きた異常が完全に治っている。


「結局、全部あいつの能力が体調不良の原因か」


「そのようですね」


 夕緋は静かに頷いた。


「私自身、魔力がどこかへ吸い出されている感覚だけは覚えています」


「覚えてるのか」


「曖昧ですけれど」


 夕緋は少し考えるように目を閉じる。


「まるで、自分の一部が少しずつ削られていくような感覚でした」


 その言葉に、終司の表情が僅かに険しくなる。


 想像以上に悪質だ。


 魔力だけではない。


 記憶や人格にまで影響を及ぼす。


「本当に、厄介な能力だな」


「ええ」


 夕緋も同意した。


 しばらく沈黙が流れる。


 だが、不思議と気まずさはなかった。


 むしろ落ち着く。


「そういえば」


 夕緋が口を開いた。


「昨日、旭ちゃんから色々聞きました」


「色々?」


「終司さんが私を探すために頑張ってくれたこととか」


「それは、仕事だからな」


「ふふ」


 夕緋は小さく笑った。


「でも、あの子があれだけ人を信頼している姿を見るのは珍しいんです」


「そうなのか?」


「はい」


 意外そうな終司に、夕緋は頷く。


「人付き合いは苦手ではないですけど、誰かを頼ることはしない子ですから」


「なるほど」


 少し意外だった。


 あの性格だ。


 誰とでも仲良くなるタイプに見える。


「だから今回のことは、本当に感謝しています」


 夕緋はまっすぐ終司を見る。


「いや、お礼を言うのは俺の方かもしれない」


「え?」


「旭が依頼を持ってこなければ、俺はここに入ることはできなかったから」


 そして。


 エリューシアとも再会していなかった。


 その言葉は口には出さなかったが。


 夕緋は何となく察したのか、小さく微笑む。


「そうですか」


 窓の外から歓声が聞こえた。


 どうやらどこかの出し物が始まったらしい。


「学術祭、楽しみですね」


 夕緋が言う。


「病み上がりなのに元気だな」


「せっかくのお祭りですから」


 本当にもう大丈夫そうだ。


 終司も少し安心する。


 すると。


 廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。


 聞き覚えのある足音だった。


 妙に勢いがある。


「……来たな」


「来ましたね」


 二人同時に呟く。


 そして次の瞬間。


 勢いよく病室の扉が開いた。


「お待たせしましたー」


 満面の笑みの旭だった。


 その様子を見て、夕緋も楽しそうに微笑んでいる。


 病室の空気は明るい。


 終司はそんな二人を見ながら、小さく息を吐く。


 ――学術祭初日。


 どうやら今日も、退屈する暇はなさそうだ。

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