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第64話 定期検診

 学院長室を出たあと。


 終司 はしばらく人気の少ない廊下を歩いていた。


 窓の外では、後夜祭の余韻がまだ続いている。


 遠くから聞こえる笑い声。


 片付けを始める生徒たちの姿。


 祭りの熱気は完全には冷めきっていなかった。


 だが、それとは対照的に終司の頭の中は妙に静かだった。


 アヴレイン の言葉。


 魔女狩り事件。


 考えることは山ほどある。


 だが、不思議と迷いはなかった。


「……元々やることは一つだったしな」


 ぽつりと呟く。


 地下での戦闘。


 夕緋の救出。


 後夜祭。


 学院長との会話。


 どれも濃密な時間だった。


 さすがに疲労も溜まっている。


 寮へ戻り、自室の前まで辿り着いたところで――


「あ、やっと帰ってきた」


 聞き慣れた声が飛んできた。


 扉の横の壁にもたれかかっていたのは、リトリ だった。


 白衣姿のまま、小さく手を振っている。


「リトリ、どうしたんだ?」


「診察に決まってるでしょ」


 当然のように返される。


「あれだけ無茶した後だからね。ちゃんとしておかないと」


 終司は苦笑した。


「ほんと、どこまでも医者だよな」


「そうだよ。どこまでも患者の終司くん?」


 リトリはにこりと笑う。


 だが、その目はしっかりと怪我の具合を観察していた。


「とりあえず入って。ちゃんと処置するから」


「……了解」


 終司は扉を開け、部屋の中へ入る。


 リトリも慣れた様子で後に続いた。


 ◇


「はい、上脱いでね?」


「なんでそんな嬉しそうなんだ」


「大丈夫。変なことは……多分しないから安心して?」


「余計に怪しくなるんだが……」


 そんな軽口を叩きながら、終司は上着を脱ぐ。


 地下で受けた傷は応急処置こそしているものの、改めて見るとそれなりのものだ。


 肩口の裂傷。


 焼け跡。


 脇腹の打撲。


 リトリはその様子を見て、深々とため息を吐いた。


「痛むでしょ?」


「動けてるから問題ない」


「問題あるから来たんだけど?」


 ぴしゃりと言い返される。


 終司は肩をすくめた。


 リトリは医療用具を広げながら、静かに口を開く。


「勘違いされがちなんだけどね」


 消毒液を染み込ませた布を傷口へ当てる。


「魔法って、別に万能じゃないんだよ」


「……まあ、そうだな」


「身体能力を強化したり、自然治癒を促進したりはできる。でも、怪我を一瞬で治すみたいなのは無理でしょ?」


 終司は小さく頷く。


 この世界に治癒魔法は存在しない。


 あるのは、回復を補助する技術だけ。


 だからこそ、医者という存在には大きな価値がある。


「結局、傷を治すのは人間の身体そのものだからね」


 リトリは丁寧に包帯を巻きながら言う。


「私たちは、その手助けをしてるだけ」


「十分すごいと思うが」


「ふふ、ありがと」


 少し嬉しそうに笑う。


「まあ、それでも限界はあるから。無茶されると困るんだけどね?」


「耳が痛い」


「本当にね」


 呆れたように言いながらも、処置の手は驚くほど丁寧だった。


 痛みが少しずつ引いていく。


「はい、次は背中」


「まだあるのか……」


「ありますー」


 リトリは容赦なく続けた。


「地下で大立ち回りしてたんでしょ?」


「まるで見ていたみたいな言い方だな」


「ラルスくんが言ってたよ。あいつに全部持っていかれたって」


「なるほど」


 あいつ余計なことを。


 そんなことを考えていると、リトリがくすっと笑う。


「でもね」


「ん?」


「終司くんが、生きて帰ってきてくれて良かった」


 手を止めず、ぽつりと。


 軽い調子ではあったが、その声には確かな本音が混じっていた。


「……心配かけたな」


「うん、かなり」


 即答だった。


 終司は少しだけ視線を逸らす。


 リトリはそんな彼を見て、小さく笑った。


「でも、全部上手くいって良かったよ。流石は名探偵さん」


「素直に褒められておく」


 ようやく胸を張ってそう言える。


 リトリは包帯を結び終え、一息ついた。


「よし。これで大体いいかな」


「助かった」


「ちゃんと身体を休めてね」


「善処する」


「それ、絶対守らない人の返事なんだよなぁ」


 終司は苦笑した。


 しばらく静かな時間が流れる。


 外からは、まだ後夜祭の片付けをする生徒たちの声が微かに聞こえていた。


 すると、リトリがぽつりと口を開く。


「本当はね」


「ん?」


「明日の学術祭、一緒に回りたかった」


 終司は目を瞬かせる。


 リトリは椅子に座ったまま、少しだけ頬を膨らませた。


「せっかく学院に残ってくれたし、案内とかしたかったんだけど……ごめんね?」


「保険医と四耀の掛け持ちは大変そうだな」


「そうなの」


 リトリは机に頬杖をつく。


「学術祭って、毎年絶対怪我人出るから」


「まあ、魔法学院だしな……」


「去年なんて、模擬戦で何十人も医務室送りだったんだから」


「怖すぎるだろ」


「だから私は何があった時にすぐ動けるように控えてるんだよ」


 リトリは肩をすくめる。


「デートしたかったんだけどなぁ」


「デートって……」


「もちろん、愛人としてね?」


 さらっと言う。


「あ、お祭りデートよりもベットの方が良かった?」


「あのなぁ……」


「照れてる?」


「照れてない」


「ほんとかなぁ」


 にやにやしている。


 終司はため息を吐いた。


「……そのうちな。いつものお礼もあるし」


 何気なく返した言葉だった。


 だが、リトリはぱちりと瞬きをしてから、ふっと笑う。


「……うん。約束ね」


 その笑顔は、どこか満足そうだった。


 それから少しだけ雑談を交わし。


 学術祭の出し物の話や、旭が異様に張り切っていた話、ラルスが絶対安静を無視して脱走しようとしていた話などを聞きながら、時間はゆっくり過ぎていく。


 やがて、リトリは立ち上がった。


「それじゃ、私は戻るね」


「こんな時間まで、悪かった」


「気にしなくていいよ。好きでやってることだしね」


 扉の前まで行き、ふと振り返る。


「終司くん」


「なんだ?」


「ちゃんと寝てね?」


 子供に言い聞かせるような口調だった。


 終司は少しだけ笑う。


「努力するよ」


「努力じゃなくて実行してね?」


「……善処する」


「もう、そればっかり」


 リトリは呆れたように笑った。


「おやすみ、終司くん」


「ああ。おやすみ」


 静かに扉が閉まる。


 部屋に一人きりになると、ようやく張っていた気が抜けた。


 ベッドへ腰を下ろす。


 身体は重い。


 終司は天井を見上げる。


「……これからも忙しくなりそうだな」


 小さく呟く。


 けれど、不思議と嫌ではなかった。


 長い一日の終わり。


 静かな眠気が、少しずつ意識を沈めていく。


 明日から始まる学術祭。


 今は、束の間の平穏だけが静かにそこにあった。

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