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第62話 過去と現在

 夜空へと、一筋の光が駆け上がる。


 次の瞬間。


 ――パァンッ!


 乾いた音とともに、赤い花が大きく咲いた。


 続いて青。


 金。


 緑。


 幾重もの光が夜空に広がり、学院の上に鮮やかな色彩を描いていく。


 少し遅れて、地上から歓声が上がった。


「おおー!」


「すごい!」


「今年も綺麗だ!」


 グラウンドから届く楽しげな声。


 キャンプファイヤーの炎と花火の光が重なり合い、夜の学院を幻想的に染め上げていく。


 終司は屋上の手すりにもたれ、空を見上げた。


「思った以上だな」


 率直な感想だった。


 ただの余興だと思っていた。


 だが、目の前に広がる光景は、そんな言葉では片づけられないほど美しい。


 赤い光が弾け、無数の星屑となって降り注ぐ。


 続いて打ち上がった花火は、青白い尾を引きながら空へ昇り、銀色の雨のように広がった。


 そのひとつひとつに、術者の個性が表れている。


「毎年、有志の生徒たちが準備しているんです」


 隣でエリューシアが静かに言った。


 花火の光が、その横顔を淡く照らしている。


「魔法で制御された花火です。色も、形も、演出もすべて生徒たちが考えています」


「なるほど」


 終司は頷く。


 言われてみれば、同じものがひとつとしてない。


 大輪の花のように広がるもの。


 流星のように尾を引くもの。


 幾何学模様のように整然と並ぶもの。


 それぞれが違う表情を持ち、空を彩っている。


「魔法には、様々な使い方があります」


 エリューシアの声は、花火の音に紛れそうなほど静かだった。


「人を傷つけるための魔法もあれば」


 金色の花火が弾ける。


「こんな風に、人を笑顔にするための魔法もある」


 地上から、また歓声が上がる。


 子どものようにはしゃぐ生徒たちの声。


 それを見つめるエリューシアの瞳は、どこまでも穏やかだった。


「私は……」


 彼女は一度、言葉を区切る。


「過去の記憶は何もないんです」


 終司は黙って聞いていた。


「家族のことも。友人のことも。自分が何者だったのかも」


 夜風が薄桃色の髪を揺らす。


「ですが、目覚めてからこの学院で学び、多くの人に支えられてここまで来ました」


 視線は、眼下のグラウンドへと向けられていた。


 笑い合う生徒たち。


 談笑する教師たち。


「だから私にとっては、この学院がすべてです」


 その言葉に、迷いはなかった。


「守りたい場所であり、大切な居場所です」


 静かな声。


 だが、その中には揺るぎない意志があった。


「魔法を学ぶ意味も、ここで知りました」


 赤い花火が夜空いっぱいに広がる。


「力を持つことではなく、その力をどう使うか」


 青い花火が、幾つもの輪となって弾ける。


「誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るために」


 金の光が、雨のように降り注ぐ。


「あるいは――誰かを笑顔にするために」


 その言葉と同時に、夜空に大輪の花が咲いた。


 これまでで最も大きく、最も鮮やかな花火。


 歓声が、一段と大きくなる。


 終司はその光景を見つめながら、静かに息を吐いた。


 昔、どこかの誰かも似たようなことを言っていた。


 力は誰かを守るためにあるのだと。


 魔法は、正しいことのために使うべきだと。


 記憶を失っても。


 過去を失っても。


 その根っこの部分は、何ひとつ変わっていない。


 目の前にいるエリューシア・フラウレスという少女の本質は、今も確かにそこにある。


「……前に」


 終司が口を開く。


「昔の自分について教えてほしいって言われたことがあったな」


 エリューシアはゆっくりと視線を向けた。


「はい」


「あの時、俺は断った」


「そうでしたね」


 責めるような口調ではない。


 ただ、事実を確認するような声。


「過去を知ることが、今の君のためになるのか分からなかったからだ」


 それは偽らざる本音だった。


 記憶を失った彼女に過去を押しつけることが、正しいとは思えなかった。


 だが。


 今、こうして隣に立つ彼女を見ていると――


 その考えは少しずつ変わり始めていた。


 学院を愛し。


 人々を守ろうとし。


 魔法の意味を、自分自身の言葉で語る少女。


 彼女は、過去に縛られた存在ではない。


 過去を失ってなお、自分の足でここまで歩いてきた。


 だからこそ。


 知る資格があるのかもしれない。


 自分が何者だったのかを。


 何を大切にしていたのかを。


「……もしかしたら」


 終司は少しだけ視線を逸らした。


「話してもいいかもしれないな」


 その言葉に、エリューシアの瞳がわずかに見開かれる。


 驚き。


 そして、静かな喜び。


「……本当ですか?」


「まだ決めたわけじゃない」


 終司は苦笑する。


「もっと君のことを、色々知ってからということで」


 エリューシアはしばらく黙っていた。


 そして、ほんの僅かに口元を緩める。


「ありがとうございます」


 それだけで十分だった。


 再び二人は夜空を見上げる。


 花火は次々と打ち上がり、学院の上に鮮やかな光の花を咲かせていく。


 過去を取り戻すことはできない。


 失われた記憶は、戻らない。


 それでも。


 目の前の彼女がそれを受け止めるだけの強さを持っていることを、終司は少しだけ認め始めていた。


 夜空に、最後の大輪が咲く。


 金色の光が降り注ぎ、まるで星々が砕けて散っていくようだった。


 その輝きを見つめながら。


 終司は胸の奥で、静かにひとつの決意を固めていた。

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