第61話 後夜祭の始まり
その後、終司はしばらく学院の中を歩いて回った。
学術祭の準備に追われる生徒たちは、どこへ行っても慌ただしい。
中庭では、魔法を使って大掛かりな装飾を組み上げる上級生たち。
講義棟の前では、看板を抱えて走り回る生徒たち。
昨日まで目にしていた、張り詰めた空気の学院とはまるで別世界だった。
終司は人の流れから少し離れ、学院の外れへと足を向ける。
向かった先は――昨夜、クエトが地下から天井をぶち抜いたあの場所だった。
あれほど派手に破壊されたのだ。
多少なりとも痕跡が残っているかと思っていた。
だが。
「……ないな」
目の前に広がっていたのは、何事もなかったかのように整えられた地面だった。
石畳は元通りに敷き直され、周囲にも崩落の跡は見当たらない。
よく見れば魔法による補修の痕跡は感じ取れるものの、知らなければ昨夜ここで戦闘があったとは誰も思わないだろう。
さらに周囲を探ってみる。
地下へ続く隠し通路や、わずかな裂け目でも残っていないかと目を凝らす。
しかし、見つかるのは完璧に封じられた構造だけだった。
エリューシアによる空間固定と、その後の学院側の修復。
どちらも徹底している。
「……無理か」
小さく呟く。
本音を言えば、もう少し地下を調べたかった。
クエトと戦ったあの場所。
そして、魔女狩り事件の舞台となった現場。
学院の過去と、自分の目的に繋がる何かが残されている可能性は十分にある。
だが、今の状態では簡単に踏み込めそうにはない。
「まあ、急ぐ必要もない……か」
完全に道が閉ざされたと決まったわけではない。
機会はいずれ訪れるだろう。
そう結論づけて、終司は踵を返した。
それからしばらく、学院の中を当てもなく歩いた。
購買部の前には、大量の食材と資材が積み上げられている。
中庭では、装飾の位置を巡って言い争う生徒たちの声が聞こえる。
その横では、失敗した飾り付けを見て皆で笑い合っていた。
どこへ行っても、人の気配と活気に満ちている。
「学生はこうでないとな」
思わずそんな言葉が漏れた。
鍛錬と実力主義の印象が強かったこの学院にも、こうして年相応の学生らしい一面がある。
少し意外で、どこか新鮮だった。
気づけば、時間はかなり過ぎていた。
空は茜色に染まり始め、校舎の影が長く伸びている。
「……もうそんな時間か」
終司は端末を確認する。
後夜祭の開始までは、もう間もない。
そこでふと、あることに気づいた。
「……そういえば」
待ち合わせ場所を聞いていない。
誘われたはいいものの、どこで合流するのかまでは確認していなかった。
「……どうするか」
そう呟いた瞬間。
端末が小さく震えた。
画面に表示された差出人は、エリューシア・フラウレス。
本文は簡潔だった。
『本校舎正面入口でお待ちしています』
終司はしばらく画面を見つめる。
「……どこかで見てるんじゃないだろうな」
周囲を見回す。
それらしい姿は見当たらない。
だが、あのエリューシアなら不思議ではない――そんな妙な納得があった。
終司は小さく息を吐き、本校舎へと歩き出した。
◇
本校舎正面。
夕日に染まる石造りの建物の前で、ひとりの少女が静かに立っていた。
薄桃色の長い髪。
整った制服。
周囲の喧騒とは対照的な、凛とした佇まい。
エリューシア・フラウレス。
彼女の姿を見つけた瞬間、周囲の生徒たちがちらちらと視線を向けているのが分かる。
だが、本人はまるで気にしていない。
「お待たせ」
終司が声をかけると、エリューシアは静かに振り向いた。
「いえ。私も今来たところですよ」
定番の台詞を、まるで事実のように言う。
終司は思わず苦笑した。
「……どこかで見てたのか?」
「えっと、何のことでしょうか?」
表情一つ変えずに返される。
「いや、なんでもない」
エリューシアは小さく頷き、空を見上げる。
「後夜祭のメインはグラウンドでのキャンプファイヤーです」
「なるほど」
「まずはそちらから行きましょう」
そう言って、自然な足取りで歩き始める。
終司もその隣に並んだ。
◇
グラウンドへ続く道には、すでに多くの生徒が集まっていた。
仮設の屋台が並び、焼き菓子や串焼き、温かい飲み物の香りが漂う。
笑い声と賑わいが辺りを満たし、学院全体がお祭りの熱気に包まれていた。
「おや、エリューちゃん!」
購買部の出店から、恰幅のいい女性が声を上げる。
「男の子連れてるなんて珍しいねぇ!」
「こんばんは」
エリューシアが丁寧に頭を下げる。
「ちゃんと来てくれて嬉しいよ」
おばちゃんはにこにこと笑い、焼きたての串を二本差し出した。
「ほら、サービス!」
「ありがとうございます」
エリューシアはごく自然に受け取り、その一本を終司に差し出した。
「どうぞ」
「……いいのか?」
「はい」
まるで最初からそうするつもりだったような口調だった。
終司が受け取ると、おばちゃんは満足そうに頷く。
「仲良く楽しんでおいで!」
その言葉に終司は少し気まずそうにし、エリューシアはまったく動じなかった。
さらに歩けば、別の生徒が飲み物を差し出し、教師が笑顔で声をかけ、後輩たちが手を振る。
「会長、お疲れ様です!」
「たまには休んでくださいね!」
エリューシアは一人ひとりに丁寧に応じていく。
決して愛想を振りまいているわけではない。
だが、その誠実な対応から彼女がどれだけ信頼されているのかが伝わってくる。
「……本当に慕われてるんだな」
終司が呟くと、エリューシアは少しだけ首を傾げた。
「皆さんが優しいだけですよ」
「そういうところだと思うけどな」
終司の言葉に、エリューシアは一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、ほんの僅かに微笑んだ。
それはすぐに消えたが、確かに柔らかな表情だった。
グラウンド中央では、大きな薪が組み上げられている。
火が灯されると、歓声が上がった。
揺れる炎を囲み、生徒たちは笑い、語り合い、思い思いの時間を過ごしている。
手を取り合って踊る者もいれば、少し離れて静かに見守る者もいる。
「踊らないのか?」
終司が尋ねると、エリューシアは首を横に振った。
「私は見る専門ですから」
「そうか」
「皆さんが楽しめているなら、それだけで十分です」
その言葉は、実に彼女らしかった。
二人は並んで、しばらくその光景を眺めた。
炎の揺らめき。
弾ける笑い声。
学院を包む幸福な熱気。
そのすべてが、穏やかな時間を作っていた。
やがてエリューシアが静かに口を開く。
「そろそろ、花火の時間ですね」
「花火?」
「場所を変えましょうか」
そう言って彼女が向かったのは、本校舎だった。
人混みを抜け、静かな廊下を進み、階段を上る。
やがて屋上の扉が開く。
夜風がふわりと吹き抜けた。
眼下には、キャンプファイヤーを囲む生徒たちの姿。
学院中の明かりが、星のように瞬いている。
「……いい場所だな」
「そうでしょう?」
エリューシアが隣に立つ。
そのタイミングを見計らったように――
夜空へ一筋の光が駆け上がった。




