第51話 顛末
重厚な扉が、静かに閉まる。
学院長室。
整然と並ぶ書架と、落ち着いた光に満たされた空間。
その中央、机の向こう側で一人の男がゆったりと椅子に身を預けていた。
「――戻ったようだな」
低く、よく通る声。
アヴレインは、視線だけを二人へ向ける。
「まずは……ご苦労だった」
「いえ」
終司は短く返す。
形式的な労いに、特別な感慨はない。
「無理はするな」
学院長が、淡々と言う。
「見たところ、怪我をしているようだが」
「大したことはありませんよ」
「そういう問題ではない」
ぴたりと返される。
エリューシアが一歩前に出た。
「処置は済んでいますが、なるべく早めに休ませるようにとリトリさんが」
「そうか、既にリトリくんが……」
学院長が頷く。
「……話は手短に済ませよう」
指を軽く組む。
視線が、僅かに鋭くなった。
「クエト祭司を捕縛して、その後はどうなっている?」
「現在は完全に拘束状態です」
エリューシアが即答する。
「暴走などの異常は?」
「今のところはありません。ただし、能力の性質上、長期的な監視は必要かと」
「よろしい」
学院長は小さく息を吐いた。
「……あれは厄介な存在だ」
机の上を指で軽く叩く。
「だが同時に、使いようによっては切り札にもなる」
終司が視線を上げる。
「レナルス教に対するカウンター、ですね?」
「そうだ」
即答。
「今回の件をどう扱うかで、向こうの出方は大きく変わる」
一拍。
「ゆえに、学術祭が終わるまでは沈黙を貫く」
断言。
「余計な刺激は避ける。祭りが終わった後、改めて交渉の場を設けるつもりだ」
「……クエトを捕らえて終わり、とは行かなさそうですね」
「根が深い話だ。最初から簡単に済むとは思っていない」
学院長は肩をすくめる。
「だが、現状こちらに主導権がある以上、やりようはいくらでもある」
静かな自信。
それを聞いて、終司はそれ以上何も言わなかった。
興味がないわけではない。
だが――深入りする気もない。
「それで」
終司が口を開く。
「俺はここまで、ということで構いませんか?」
「……というと?」
「夕緋さんが目を覚ますのを確認したら、俺は学院を出ます」
あっさりと言い切る。
エリューシアの視線が、わずかに動いた。
学院長は――少しだけ、口元を緩める。
「なるほど。実に君らしい判断だ」
「旭からの依頼が完了すれば、俺が長居する理由もありませんから」
「そうか?」
軽く問い返す。
終司は答えない。
代わりに、学院長が続ける。
「今回の件、君の働きは大きい」
指を組み直す。
「学院からも謝礼を用意したいのだが……」
「俺は依頼人からしか報酬は受け取りませんよ」
「だからこそ、別の形で提案しよう」
一拍。
ほんの僅かに、声の調子が変わる。
「当初の予定では学術祭が終わるまで、の約束だった。それまで学院に残ってみてはどうだ?」
「……は?」
終司の眉がわずかに動く。
「好きに過ごして貰って構わない。今回の件の報酬代わりだと思ってもいい」
「俺が、ですか?」
「君以外に誰がいる」
当然のように返される。
「それに」
学院長の視線が、ほんの一瞬だけ柔らかくなる。
「クエト祭司が目覚めたら、聞きたいこともあるのではないかな?」
「……」
終司は、少しだけ考える。
長居する理由はない。
だが、すぐに去る理由も――今は、ない。
軽く息を吐く。
「クエトを、俺と接触させて大丈夫なんですか?」
「引き渡す前なら問題ないだろう」
学院長が言う。
「それと、学術祭はその名の通り祭りだ。楽しんでいくといい」
あまりにも軽い調子。
だが――押し付けがましさはない。
終司は、視線を逸らす。
少しだけ、考えて。
そして――
「……そういう、ことでしたら」
ぽつりと、そう返した。
それを聞いた学院長は、満足そうに頷く。
「決まりだな」
エリューシアは何も言わない。
ただ、わずかに視線を伏せただけだった。
「では、話は以上だ」
学院長が手を下ろす。
「呼びつけて悪かった。まずはゆっくり休みたまえ」
「分かりました」
終司は踵を返す。
扉へ向かう。
その途中――
ほんの一瞬だけ、足を止めた。
「……学院長」
「何かな?」
「今回の件」
少しだけ、間を置く。
「……少し、綺麗過ぎる気がしますよ」
室内の空気が、ほんの僅かに変わる。
学院長は――
すぐには答えなかった。
数秒の沈黙。
そして。
「警戒は続けよう」
それだけを返す。
肯定でも否定でもない。
だが、十分だった。
「……お願いします」
短く呟き。
終司は、今度こそ扉を開けた。
外の空気が流れ込む。
そのまま、歩き出す。
わずかな違和感を、胸の奥に残したまま。




