第48話 決着
圧が、歪む。
それはほんの僅かな変化だった。
だが、終司はその乱れを見逃さない。
呼吸は荒く、肺は焼けるように痛む。
それでも、思考は冷えていた。
目の前のクエト。
多層に展開された重力の檻と圧。
魔力の再構築に維持と制御。
全てを同時に回し続けている以上――
(限界は来る)
そして、それは今だ。
ズレ。
遅延。
精度の崩壊。
終司は踏み込む。
放たれた魔法をその身に受けながら。
削られながら。
それでも前へ。
「……これでも、まだ立ちますか」
クエトの声には、もう余裕はない。
「当たり前だ」
短く返す。
「お前が倒れるまでは、な」
苛立ちが走る。
その瞬間。
圧が、大きく揺れた。
「――っ!」
終司が駆ける。
最短。
最速。
一直線。
鞘から抜き放たれた刃が閃く。
「くっ……!」
クエトの反応が、僅かに遅れる。
確実に届く――
その瞬間。
クエトの身体が、不自然に流れた。
「……っ!」
紙一重。
刃は、空を切った。
それと同時に――
「――舐めるなぁッ!!」
魔力が暴発する。
制御を捨てた、強引な放出。
重力が、空間ごと叩き潰す。
「ちっ!」
終司は即座に後退。
回避に徹する。
対して、クエトの呼吸は荒い。
視線は揺れ、魔力の制御も精密さを失っている。
「……は、はは……」
乾いた笑い。
「ここまで、ですか……」
だが、その目はまだ死んでいない。
その瞬間だった。
空気が、変わる。
クエトの背後に――幾重もの魔法陣が展開された。
炎に風。
水に雷。
光に影。
見覚えのある術式。
見覚えのない構成。
それらが、同時に起動する。
「――ならばッ!!」
叫びに近い声。
「全てを叩き込みます!!」
爆ぜた。
炎が走る。
渦を巻く風が刃となる。
水が槍となり、雷が空間を裂く。
光が焼き、影が呑み込む。
視界と空間を埋め尽くす魔法の奔流。
だが――その全てが、どこか粗い。
噛み合っていない。
術式同士が干渉し合い、わずかにズレている。
「……っ!」
終司が動く。
避ける。
滑る。
潜る。
最小限で躱す。
そして、斬る。
だが――
(核は斬らない)
一瞬の判断。
深くは切り込まない。
魔法の根幹には触れない。
発動した現象だけを切り裂く。
薄皮を剥ぐように。
表層だけを削ぐ。
炎を散らし。
風の軌道を逸らし。
水の圧を崩し。
雷を逃がす。
だが、それでも数が多すぎた。
肩を焼く炎。
脚を裂く風刃。
水圧が叩きつけ、雷が走る。
血が飛ぶ。
肉が裂ける。
それでも――止まらない。
「どうしましたッ!!」
クエトが叫ぶ。
もはや理性ではない。
「斬れるのでしょう!? ならば斬ってみせろッ!!」
「……無駄だ」
終司は、低く言い切る。
踏み込む。
正面から。
魔法の嵐の中へ。
「なに……?」
「それはお前の力じゃない。借り物だ」
炎を裂き。
風を外し。
距離を詰める。
「扱いきれてない」
一歩。
「手数だけ増やしても意味はない」
水槍を躱し、雷を受け流しながら――
さらに踏み込む。
「魔法使いを舐めるな」
その言葉と同時に。
魔法の流れが、大きく乱れた。
干渉。
衝突。
相殺。
術式同士が、互いを喰い潰す。
「……っ、そんな……!」
クエトの目が見開かれる。
自分の魔法が、自分を裏切る。
処理が、追いつかない。
「終わりだ」
間合いの完全支配。
刃が振り上げられる。
今度こそ――
その瞬間。
クエトの身体が、滑った。
回避と執念。
それがこの紙一重の瞬間を生む。
「――この私を見下すなぁッ!!」
魔力が爆発する。
完全な暴走。
ただの出力。
空間ごと押し潰す圧。
「ちっ!」
終司は後退。
回避に徹する。
だが――
クエトは、もう限界だった。
呼吸は崩れ。
焦点も定まらない。
それでも。
「……まだだ……!」
天井へと手を向ける。
最後の悪あがき。
「これで終わるものか……ッ!!」
歪な魔力が収束する。
「――貫けッ!!黒の断罪!」
轟音。
天井が撃ち抜かれる。
月光が差し込む。
脱出路。
クエトは、迷わず跳んだ。
上へ。
光の先へ。
「逃がすか――!」
終司が踏み込む。
だが、崩落の一瞬。
その隙を、取り切れない。
クエトの姿が、光へと消える。
――その瞬間。
終司の視線が、わずかに上を捉えた。
そして。
追うのを、やめる。
「……流石だ」
小さく、呟く。
直後。
上からそれは"落ちてきた"。
轟音。
衝撃。
地面が砕ける。
クエトの身体が、眼前で叩きつけられている。
「――がはっ!」
呼吸が潰れる音。
完全な墜落。
土煙の中、一人の影が静かに降り立つ。
薄桃色の長い髪に揺れる外套。
そして無駄のない、立ち姿。
脚を振り抜いた体勢のまま――静止する。
圧倒的なまでの物理の一撃。
「終司さん、お待たせいたしました」
凛とした声。
「学生会長、エリューシア・フラウレスです」
一歩。
倒れ伏すクエトへと歩み寄る。
「クエト司祭――あなたを拘束します」
淡々と。
逃げ場など最初からなかったかのように。
彼女はそう告げた。




