第46話 読み合い
世界が、軋んだ。
次の瞬間だった。
「――まずは動きを封じさせていただきましょうか。黒の抑圧」
クエトの声が、静かに落ちる。
同時に、空間そのものが歪曲する。
「っ――!」
終司の周囲、四方八方。
前後左右、そして上下。
逃げ場を完全に塞ぐ形で、見えない圧が一斉に押し寄せる。
空気ではない。
魔力そのものが、質量を持ったかのように収束し、押し潰す。
黒の抑圧。
回避不能の範囲攻撃。
「……なるほどな」
歯を食いしばりながら、終司は低く吐く。
足が沈む。
床が、軋む。
このままでは、そのまま圧殺される。
一瞬で理解する。
(同時展開……それも多層か)
ひとつ斬っても意味がない。
次の圧が、すぐに重なる。
斬る隙を与えない構成。
完全に対策を取られている。
「どうしました?」
クエトの声は、どこまでも穏やかだった。
「魔法を斬れば良いではないですか」
さらに圧が強まる。
骨が軋む。
呼吸が削られる。
「……っ」
終司は動かない。
否――
動けないのではない。
動かない。
(ここで暴れるのは悪手だな)
視線だけを動かす。
圧の流れ。
重なり方。
その発生源。
(これは、完全な一点集中じゃない)
わずかに揺らぎがある。
均一ではない。
終司の足元が、わずかに沈み込む。
「……そこか」
小さく、呟く。
「おや」
クエトの声に、ほんのわずかな興味が混じる。
次の瞬間。
終司が動いた。
圧に逆らうのではなく――
流れに沿って、滑り込むように。
身体を捻る。
踏み込みを変える。
そして。
「――ここだっ!」
最小動作。
腰の小刀を鞘から引き抜き、空間を裂く。
――バキッ。
見えない何かが、砕けた。
圧が、一瞬だけ崩れる。
「ほう」
クエトが、わずかに目を細める。
だが、すぐに次の圧が重なる。
今度はさらに密度が高い。
「一箇所崩した程度で、どうにかなると思いましたか?」
「思ってないさ」
即答。
終司は息を吐く。
わずかに肩で呼吸をしている。
(やはり、そう来るよな)
再構築。
しかもさっきより速い。
(こいつは……)
ただ魔法を撃っているのではない。
リアルタイムで配置を組み替えている。
それも、複数同時に。
「理解しましたか?」
クエトが一歩、前に出る。
「あなたの力は確かに強力でしょう。ですが――」
空間がさらに歪む。
「斬れなければ意味がない」
圧が、再び強まる。
今度は、逃げ場そのものを削るように。
床が割れ、壁が軋む。
「私がこの地下を選んだ理由、分かりますか?」
クエトの声が、静かに響く。
「行動範囲の制限……視界の固定。そして、逃走経路の遮断」
一つ一つ、言葉を重ねる。
「あなたのようなタイプには、非常に有効でしょう?」
「……わざわざどうも」
終司が、低く返す。
額に汗が滲む。
だが、目は死んでいない。
むしろ、研ぎ澄まされていく。
(この男、自分の手札を全て公開するタイプか)
内心で吐き捨てる。
(舐めているのか、それとも――)
一瞬だけ、思考がよぎる。
(余裕があるからか)
実際、あのラルスは一撃で落とされた。
結界魔法も使える。
原理は分からないが、魔法の簒奪もある。
(……正直、想定より上だ)
ほんのわずかに。
焦りが混じる。
終司は、ゆっくりと息を吐いた。
圧の中で。
ほんの僅かに、姿勢を変える。
肩にかかる圧を流して逃す。
(完全な圧殺じゃない……制御されてる)
殺し切るなら、もっと単純でいい。
だがこいつは違う。
(これは拘束が目的だ)
潰しきらない。
逃がさない。
削り続ける。
――その間に、何かを待っている。
(時間稼ぎか? それとも――)
思考が、さらに深く潜る。
同時に、クエトの魔力の流れを読む。
(……多いな)
本来、一人で扱う量じゃない。
(複数の術式を、同時に維持してる)
それも種類の違う魔法を。
圧縮系。
干渉系。
防御系。
(簒奪……か)
脳裏に、さっきの言葉がよぎる。
奪った魔法。
借り物。
リンク。
(それなら――)
ほんの一瞬。
圧の遅れが生まれる。
それはコンマ以下の遅れ。
だが、確かに存在するズレ。
(やはり、あるな。元の術者か、それとも術式そのものか)
どちらにせよ――
(発動の処理が一瞬遅れるポイントがある)
そこが、穴だ。
「……一ついいか」
終司が、低く言う。
「なんでしょう?」
「お前」
目を細める。
「ずっと同じリズムで魔法を組んでいるよな?」
一瞬。
クエトの動きが止まる。
刹那の沈黙。
だが、その反応で十分だった。
終司の口元が、ほんの僅かに歪む。
「あたかも自分の力のように装っているつもりだろうが」
圧が、さらに強まる中で。
あえて言葉を続ける。
「所詮は他人から奪った盗難品だ」
空気が、変わる。
クエトの目が、わずかに細くなる。
「……面白いことを言いますね」
終司は、一歩――
踏み出した。
圧を受けながら。
それでも、前へ。
足裏が砕けた床を滑る。
だが止まらない。
重圧の中心へ。
「魔法使いの戦いはな」
低く。
はっきりと。
「相手の手の内を見切った側が勝つ」
圧が、さらに収束する。
四方から押し潰す力が、骨に食い込む。
歯を食いしばったせいか、口の中に血の味が広がる。
それでも。
視線だけは逸らさない。
そして――
そのズレを、捉える。
「手の内を簡単に明かす魔法使いなんていうのはな……」
再び、空間が大きく歪んだ。
今度は、逃げ場ゼロ。
完全封殺の配置。
だが。
終司の目には、一本の線が見えている。
魔力が切り替わり、接続が入れ替わるその瞬間……そこだけが、わずかに遅れる。
足に力を込める。
圧を踏み抜くように。
身体を前へ。
「二流以下だ」
言い切った、その瞬間――
終司の姿は消えた。




