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第37話 記憶巡り

 医務室の静けさが、少しだけ戻り始めていた。


 荒れていた呼吸も落ち着き、二人はベッドの上で肩を上下させながらも、ようやく言葉を交わせる状態になっている。


「……あの」


 旭が、おそるおそる口を開く。


「アスティリア先輩……大丈夫ですか?」


「……っ」


 呼ばれた側が、わずかに眉を寄せる。


「……その呼び方、やめて」


 小さく、けれどはっきりとした拒否。


「え?」


「アスティリアは家名。そっちは、あんまり好きじゃないの」


 一拍。


「ラスティでいいから」


「あ、す、すみません……!」


 旭が慌てて頭を下げる。


「じゃあ……ラスティ先輩」


「……うん、それでお願い」


 短く頷く。


 そのやり取りを確認してから、リトリが口を開く。


「財前くん、ラスティちゃん。二人とも少しだけいいかな?」


 柔らかい声。


「今の状態、もう少し詳しく知りたいの」


「……はい」


「……っす」


 まだ戸惑いはあるが、先ほどのような拒絶はない。


「ありがとう」


 リトリは小さく微笑む。


「さっき、最後に覚えてるのは家とか街って言ってたよね?」


「はい……」


「それより後のことは、何も思い出せない?」


 問いは穏やかだが、芯がある。


「何も、って言われると……」


 財前が少しだけ視線を泳がせる。


「なんか……変な感じがするっす」


「変?」


「夢みたいな……いや、夢でもないというか……」


 言葉を探すように、眉を寄せる。


 その横で、ラスティも小さく頷いた。


「……分かる。輪郭がぼやけてる感じ」


「うん、その感覚でいいよ」


 リトリは否定しない。


「全部思い出そうとしなくていいから、引っかかるものだけ教えて」


「……でも」


 旭が口を挟む。


「記憶って……全部なくなるはずじゃ……」


 視線が終司へ向く。


「そのはずだ」


 終司は静かに答える。


「ただし、完全に均一に消えるわけじゃない」


 一歩、近づく。


「魔力と結びつきが薄い記憶や、強い感情が絡んでいるものはノイズみたいに残ることがある」


「ノイズ……」


「記憶の断片、かな」


 短く言い換える。


「映画のワンシーンをツギハギで覚えてるような感覚に近い」


「……じゃあ」


 旭の目がわずかに見開く。


「それを集めれば……」


「何かしらの手掛かりになるかもしれない」


 終司は頷く。


「完全な記憶にはならないが」


「それで十分だよ」


 リトリが続ける。


「今欲しいのは事実じゃなくて、違和感だから」


 再び、二人へ視線を戻す。


「どんな小さなことでもいい。場所でも、音でも、匂いでも」


 静かに、促す。


 少しの沈黙。


 そして――


「……暗い場所」


 財前がぽつりと呟く。


「地下……みたいな……」


「私も……」


 ラスティが続く。


「閉じた空間……空気が重い感じ……」


「同じ記憶、か」


 終司が小さく言う。


 一拍置いて、エリューシアへ視線を向ける。


「この二人、一緒に行動することが多かったのか?」


「いえ」


 即答だった。


「特急序列同士は、基本的に距離を取ります。加えて……」


 一瞬だけ間を置く。


「財前くんは、夕緋さんへの執着が強すぎて女性からは距離を置かれていました」


「言い方が優しいな。実際は?」


「引かれていましたね」


 淡々。


「財前くんの夕緋ちゃん推しは有名だもんね……」


 リトリが苦笑する。


「……あの」


 旭が端末を取り出す。


「財前先輩、これを見てください」


 画面に映る夕緋。


「――え」


 財前の目が見開かれる。


「なにこの子、めっちゃ可愛くないっすか!?」


 一瞬、空気が緩む。


 だが――


「……でも」


 表情が変わる。


 眉を寄せ、額に手を当てる。


「なんか……変だ……」


「変?」


「初めて見たはずなのに……」


 一拍。


「妙に引っかかる……」


 視線が離れない。


「……どっかで……」


 その瞬間。


「――っ」


 身体が強張る。


 呼吸が止まる。


「おい」


 終司が低く声をかける。


「大丈夫か?」


「……いや……今……」


 苦しそうに言葉を絞り出す。


「一瞬、何か浮かんだ気が……」


 場の空気が一気に張り詰める。


「……地下……」


 断片的な言葉。


「何もない……部屋……」


 そして。


「……この子が……いた」


 画面を指す。


「一緒に居た気がするっす……!」


 沈黙。


 だが、それはもう確信に近い沈黙だった。


「……続けられる?」


 リトリが静かに問う。


「……っす」


 財前は頷くが、それ以上は出てこない。


「大丈夫、それで十分」


 リトリがすぐに止める。


 その時――


「……私も」


 ラスティが口を開く。


「似たようなものを見てるかも」


 一拍。


「暗い場所……その中で……」


 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「光、みたいなのがあった気がする」


「光?」


 旭が反応する。


「壁、みたいに広がってて……」


 両手で空間をなぞる。


「こう……包む感じの……」


「……光の壁ってことかな?」


 リトリが補う。


「……そんな感じ」


 小さく頷く。


「それが……この写真の人の前に出てきて……」


 視線が夕緋へ向く。


「……守って、くれてた?」


 一瞬の間。


「私たちを」


 静かに言い切る。


 そして――


「……それ」


 旭の声が震える。


 一歩、踏み出す。


「間違いないです」


 視線は、真っ直ぐ。


「お姉ちゃんです」


 はっきりと。


「それ、お姉ちゃんの魔法です」


 空気が変わる。


「……光の壁……結界魔法」


 終司が小さく呟く。


「この学院でそれを扱えるのは――」


「夕緋さんだけです」


 エリューシアが断言する。


「……じゃあ」


 旭の声がわずかに震える。


「やっぱり……」


「ああ」


 終司は迷いなく頷く。


「二人は夕緋さんと一緒に居たんだ」


 一拍。


「……守ってたってことは」


 リトリが言う。


「何かが襲ってきたのか、それとも別の理由か……」


「なんにしても、普通の状況じゃないね」


「……でも」


 旭が小さく言う。


 視線は夕緋のまま。


「お姉ちゃんが無事……の可能性は高いですよね?」


 その問いに。


「ああ、間違いない」


 終司ははっきりと答えた。


 静かに、確信を込めて。


「次に探すべき場所は、この学院のどこかにあるその地下区画だ」


 一つずつ、繋がっていく。


 次にやるべきことは、全員の中で見え始めていた。

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