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第36話 記憶損失

 医務室の扉を開けた瞬間――


 中の空気は、張り詰めていた。


「離せっ!!」


「やめてください、暴れないで――!」


 ベッドの上で、二人の生徒が激しく抵抗している。


 拘束具こそつけられていないが、周囲の医療スタッフが必死に押さえつけている。


「ここはどこっすか!? なんで俺はこんなところに!」


「触らないで! やめてって言ってるでしょ!!」


 混乱。


 恐怖。


 状況が分からないことへの、純粋な拒絶。


「……っ」


 旭が息を呑む。


「こんな状態で……」


 思わず声が漏れる。


 一歩踏み出しかけた、その瞬間――


「――下がって」


 静かな声。


 リトリだった。


 その一言だけで、場の空気が変わる。


「ここからは、私がやるよ」


 ゆっくりと歩み出る。


 その中心へ。


「大丈夫」


 柔らかい声。


 だが、不思議と通る。


「何も怖くないよ」


 暴れていた財前の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。


「……誰っすか、あんた……!」


「医者だよ」


 リトリは微笑む。


「君たちの味方」


 距離を詰める。


 手を伸ばす。


 拒絶される寸前――


「――触るね」


 先に、言う。


 その一言が、わずかに間を生む。


 そして、額にそっと手を当てた。


「……っ」


 財前の身体が、びくりと震える。


 エリューシアが小さく視線を細める。


「……流石はリトリさん」


 低く、観察するような一言。


「大丈夫。無理に押さえつけたりしないから」


 静かな声。


「ちょっとだけ、落ち着こうか」


 魔力を使っているわけではない。


 ただ、呼吸と声のリズムを合わせている。


「……吸って」


 ゆっくり。


「吐いて」


 合わせるように。


 自然と。


 呼吸が、揃っていく。


 旭が小さく呟く。


「……すごい……」


 さっきまで暴れていたとは思えないほど、変わっていく。


「そう、そのまま」


 優しく導く。


 アスティリアの方にも視線を向ける。


「あなたも大丈夫」


 同じように、声をかける。


「ここにいる人たちは、誰も君たちを傷つけない」


 少しずつ。


 少しずつ。


 二人の動きが、落ち着いていく。


 やがて――


「……はぁ……はぁ……」


 荒かった呼吸が、整い始めた。


 リトリはそのまま、手を離さない。


「うん、いい感じ」


 小さく微笑む。


「もう大丈夫だよ」


 完全に力が抜けたのを確認してから、ゆっくりと手を離した。


「……リトリさん、ありがとうございます!」


 医療スタッフが小さく頭を下げる。


「いいよ。あとは私に任せて」


 振り返らずに言う。


 そのまま、椅子を引いて座る。


 視線を、二人へ。


「まず、確認させてね」


 声音が、少しだけ変わる。


「名前、言える?」


「……財前、光介っす」


「ラスティ・アスティリア……です」


「うん、おっけー」


 頷く。


「じゃあ次」


 一拍。


「今、何年か分かる?」


 二人の表情が、わずかに歪む。


「……は? 今日は……」


「何言ってるの? 今日は……」


 違和感。


 明確なズレ。


 エリューシアが一歩だけ前に出る。


「……時間認識にズレが出ていますね」


 静かに、状況を補足する。


「いいよ、焦らなくて」


 リトリはすぐにフォローする。


「じゃあ、最後に覚えてる出来事は?」


 沈黙。


 視線が揺れる。


「……俺は家に、いたはずっす」


 財前がぽつりと言う。


「私も……街で買い物をしていて……」


 アスティリアの声が震える。


「それ以降が、思い出せない……」


 静寂が落ちた。


 旭の表情が、強張る。


「そんな……」


 思わず、声が漏れる。


「……やっぱり」


 リトリが小さく呟く。


 振り返る。


 終司と視線が合う。


「終司くん、どう思う?」


 短い問い。


「間違いないだろうな」


 終司は淡々と答える。


「魔力損失に伴う、記憶の欠落」


 一歩、前に出る。


「第二世代の場合だと、魔法を扱えるようになってそれ以降の記憶が消える」


 視線を、二人へ向ける。


「つまり、君たちは」


 一拍。


「学院に来てからのことは、何も覚えていない」


「……は?」


 財前の顔が引きつる。


「そんな、わけ……」


「例外はないよ」


 終司ははっきりと言い切る。


 その声音には、妙な重みがあった。


 エリューシアが、わずかに視線を落とす。


「……そうですね」


 静かな肯定。


「魔力と記憶が結びついている以上、損失に伴う欠落は避けられないでしょう……」


 旭が、はっと顔を上げる。


 終司を見る。


「先輩……それって、治せるんですよね?」


 縋るような声音。


「無理だ」


 即答だった。


 空気が重くなる。


 旭の表情が、強く歪む。


「……そんな……」


 アスティリアの目に涙が滲む。


「じゃあ、私たち……」


「大丈夫」


 すぐに、リトリが声を重ねる。


 柔らかく、でも強く。


「失ったものは確かにある。でも、それで終わりじゃない」


 視線をまっすぐ向ける。


「今ここにいる君たちは、ちゃんと生きてる」


 一拍。


「それだけで、十分だよ」


 その言葉に。


 二人の表情が、わずかに緩む。


 完全じゃない。


 でも、崩れかけた心を支えるには足りていた。


 エリューシアが静かに口を開く。


「……確認ですが、魔力が再発現する可能性は?」


「ない」


 終司は即答する。


「これは、一つの法則のようなものなんだ。例外は、無い」


「……そうですか」


 淡々と受け止める。


 だが、その目は僅かに曇る。


「……あの」


 財前が、おそるおそる口を開く。


「俺たちに、何があったんすか?」


 その問いに――


 旭が、ぐっと唇を噛む。


 言いたい。


 でも、言えない。


 そんな感情が滲む。


 沈黙。


 そして。


「……それを、これから調べるんだ」


 終司が言った。


 静かに。


 だが、はっきりと。


「君たちが何を選んで、何を失ったのか」


 その言葉だけが、確かな芯として残った。

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