第26話 食堂
食堂に足を踏み入れたのは、夕方にはまだ少し早い時間帯だった。
昼の喧騒はすでに引き、かといって夕食にはまだ間がある。
席はところどころ埋まっている程度で、空間にはどこか間延びした静けさがあった。
厨房から漂う香ばしい匂いだけが、やけに現実感を強くする。
「……うーん、普通ですね」
旭がぽつりと呟いた。
「ラルスさんが居るにしては、いたって何も変わらないというか」
「その本人はどこだ?」
終司は短く返す。
「ラルスさんは、あちらです」
エリューシアが視線で示す。
奥の席。
そこに――
「……あれか」
終司は小さく呟いた。
テーブルに積み上がる皿。
肉料理ばかりだ。
そして、その中心でラルスは――ただひたすらに食べていた。
無言で。
がつがつと。
先ほどまでの熱の残滓など、微塵も感じさせない。
ただ食事に集中しているだけの姿がそこにある。
「……うわー、めっちゃ食べてますね」
旭が若干引いた声を出す。
その時。
「よぉ、終司!」
ラルスが顔を上げた。
口の端にまだ肉がついている。
「なんだお前も飯かよ。こっち来いよ、席空いてるぞ」
箸で席を指す。
あまりにも自然な誘いだった。
終司は一瞬だけ間を置き、そのまま歩み寄る。
「……俺たちは別に、飯を食べに来たわけじゃないんだが」
「あ」
旭が手を叩いた。
「そういえば私たち、お昼ご飯食べてませんでしたね」
沈黙。
「……は?」
終司が振り返る。
「いや、ほら……色々ありましたし」
「……まあ、確かに」
言われてみれば、その通りだった。
「エリューシア先輩は?」
「……そういえば、まだですね」
さらっと返す。
「別に私は平気ですよ」
「いやいやいや」
旭が思わず突っ込む。
「それでこの後も動けるんですか?」
「問題ないかと」
「ありますよ!」
「てめぇら、食堂に何しに来たんだよ……」
ラルスが口を挟んだ。
「腹減ってんなら食え。さっさとそこのカウンターで注文してこい」
当然のように言う。
終司は小さく息を吐いた。
「……食べるか。どうせ長くなる」
「ですよね! しっかり食べないと力も出ませんし」
「そうだ、食え食え。食わねぇと胸デカくなんねぇぞ?」
「……サイテーですね。ラルス先輩」
旭がジトっと睨む。
「もういいです。終司先輩の分は私が選んで来てあげますねー。行きましょ、エリューシア先輩!」
「お二人がそう言うのでしたら」
二人は席を立ち、カウンターへ向かっていく。
残されたのは、終司とラルス。
皿の山。
食器が触れ合う乾いた音だけが、一定の間隔で響く。
「……お前、よく食うな」
「さっき動いたからなぁ」
即答だった。
数秒の沈黙。
やがて。
「で?」
ラルスが口を開く。
箸は止まらない。
だが、その視線だけが鋭く向けられていた。
「俺に何を聞きに来たんだ?」
直球だった。
終司はわずかに目を細める。
「……話が早くて助かる」
「はっ、やっぱりな」
ラルスは鼻で笑う。
「飯食いに来た顔でも、喧嘩しに来た顔でもねぇ」
一拍。
「――探りに来た顔だ」
言い切る。
終司は何も返さない。
否定もしない。
「最近、この学院で妙なことが起きてる」
淡々と告げる。
「行方不明者に体調不良者……夕緋さんもその一人だ」
「……ふーん」
興味はなさそうな返事だった。
だが、耳は完全にこちらへ向いている。
「聖堂で、財前とアスティリアの二人を見つけた。生きてはいたが――魔法を失っていた」
一瞬。
ラルスの手が止まる。
ほんの僅かに。
だが確かに。
「……くだらねぇな」
吐き捨てる。
再び食い始める。
「消えただの、弱っただの……興味ねぇ」
「そうだろうな」
終司もあっさり返す。
「お前の興味はどうでもいい。何か気付いていることはないか?」
「気付く?」
ラルスが眉を動かす。
「違和感とかだ」
終司は視線を外さない。
数秒。
ラルスは黙ったまま食う。
そして。
「……まぁ、あるっちゃあるな」
ぽつりと漏らす。
空気がわずかに変わる。
「なんだ?」
「最近よ……」
箸が止まる。
「気持ちわりぃんだよなぁ」
「気持ち悪い?」
「おう」
短く頷く。
「どうにも戦う気にもならねぇやつが増えてる」
「闘争の匂い、か?」
「そうだな」
肩をすくめる。
「前はそこら辺のやつでも殴りかかりゃ、それなりに返ってきたんだが」
一拍。
「今は違う」
視線がわずかに落ちる。
「なんつーか、スカスカなんだよなぁ」
言い切る。
「中身が抜けてるみてぇなやつばっかだ。殴ってもつまんねぇ」
ラルスは吐き捨てた。
「……滾らねぇんだよなぁ」
終司は短く息を吐く。
「……そうか」
それで十分だった。
「ま、もうどうでもいいけどな」
ラルスはあっさりと元に戻る。
「面白ぇやつが減るのはつまんねぇが」
ちらりと終司を見る。
「お前と、あの能面女がいりゃ今はいい」
にやりと笑う。
「消えんなよ?」
軽い口調と雰囲気のまま、再び食事へと意識を戻す――が。
「……で?」
不意に、顔を上げた。
先ほどまでの軽さは消えている。
「お前が本当に聞きてぇのは、そこじゃねぇだろ」
鋭い眼光が突き刺さる。
「回りくどいのは嫌いでな」
一拍。
「本題を言えよ?」
その瞬間。
「お待たせしましたー!」
明るい声が割り込んだ。
旭がトレーを抱えて戻ってくる。
エリューシアもその後ろに続いた。
だが。
漂っている空気は、先ほどまでとは明らかに違っていた。
食事の匂いが、やけに遠く感じる。
食器の音も、いつの間にか止まっていた。
終司は、視線を逸らさないまま口を開く。
「――お前に、俺のことを教えたのは誰だ?」
静かな問い。
だが、核心を射抜く一言だった。




