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異世界大陸軍戦記-鷲と女王-  作者: 長靴熊毛帽子
第七章『斧打ちの国』戦争~鷲の飛翔~
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第百十六話 分岐路

 テルマルタル率いる軍勢がダーハドを追跡し始めた頃、山脈を越えたフランス軍は順調な快進撃を続けていた。各村や町を次々と占領地に置き、物資を調達して体勢を整えたフランス軍はレイニエ将軍の一個師団を連絡線の防御に残し、一路、ダーハド軍の退路を断つべく、予想される退路である大王橋へ向けて進軍の途上にあった。


 斧打ちの国には、草長の国のサオレ河のような大河が一本流れている。ヴァノド河と呼ばれるそれは、国土をちょうど二分するように流れており、フランス軍は北岸に、ダーハド王とテルマルタルの軍勢は南岸に位置している。


 斧打ちの国の首都は北岸側にあり、ダーハド軍が撤退するには必ずどこかで橋を渡る必要があった。橋を抑えてしまえば、ダーハド軍は文字通り袋のネズミとなる。そして、それは可能である。とボナパルトは計算している。


 しかし、フランス軍に問題がないわけではなかった。情報が足りないのである。山脈越えの難しい騎兵を除いて前進した結果、フランス軍には騎兵が不足していた。


 ボナパルトは数少ない騎兵部隊である自分の護衛隊を偵察部隊として送り出してはいたものの、五百余りの騎兵ではあまりに少なすぎた。無論、騎兵戦力の不足はボナパルトにとって織り込み済みであったが、計算外の事も生じていた。それは、斧打ちの国の各地に無数にある小領主たちの遊撃である。


 各地を治める小領主は十騎や二十騎といったごく少数の兵力しか持たない。それとて結集すれば数千になろうが、組織する者も結集する時間も与えられないので、軍勢としては全く脅威にならない。ところが、彼らはフランス軍の少数の偵察部隊を妨害することができた。これは、ボナパルトにとって予想外だった。


 草長の国で戦っていた頃もボナパルトは騎兵不足に喘いでいたが、かの国での戦いは基本的に大街道沿いで発生し、敵の位置を探るのは比較的容易だった。加えて、草長の国の諸侯はボナパルトに味方しないが、積極的に敵対することもしなかった。なんといっても、ボナパルトは国を治める正統な女王であるクルーミルを擁していた。斧打ちの国では完全な「敵」であり、諸侯の抵抗も草長の国の比ではなかった。


 情報密度の薄い書類に目を通したボナパルトは、それを机の上に放り投げると腕を組んで小さくあくびをした。


「まあ、仕方ないわ。ここまで妨害されるとは思わなかったけど。イタリアで戦った時も農民には妨害された。ましてこの国! 貴族が甲冑を着て私兵を抱えてる世界だもの、これぐらいはやるでしょうね」


「は、申し訳ありません」


 不正確な報告をしたことを恥じ入るように頭を下げるベルティエを退室させると、ボナパルトは茶を一口啜る。


 そこへ義理の息子のウジェーヌが入室してきた。息を切らせたようで、妙に落ち着きがない。


「閣下、女王の天幕に十数人の商人がやってきました。彼らは、その、ダーハド王が大敗したと言っているそうです」


 ボナパルトは眉の形を曲げると席を立った。


 ◆


 ボナパルトがクルーミルの天幕に出向いてみると、ちょうど彼女は商人たちと面会している最中だった。商人たちの表情は一様に怒りと屈辱と恐怖の三原色を混ぜ合わせて塗りつぶした黒い顔をしており、着ている服は切り裂かれていたり、焦げていた。中には顔に包帯を巻いているものもいる。赤黒く滲んだ血が戦場独特の腐臭を放っている。


「何事?」


 ボナパルトが商人をかき分けてクルーミルの隣に座ると、女王はボナパルトの手をとって応じた。


「彼らは『鉄門』から逃げて来たと言っています。自分たちはダーハドの軍勢に従軍していた商人であり、ダーハドが突然、商人たちに襲い掛かり多くを殺戮したと主張しているのです」


 半信半疑の目を商人に向けると、彼はボナパルトに向かって捲し立てた。


「雷鳴の主!王の友!どうぞ、この哀れな者の言葉に耳をお貸しください。我々は誠実な商人でありました。一度も秤を誤魔化さずに生きてきました。このような理不尽な仕打ちを受けねばならぬ理由は誓ってありませんでした。私は五台の大荷馬車を率いる行商人でした、三人の息子に手伝わせて……」


「それはいい。質問に答えろ。ダーハド軍はどこへ行った?」


「ダーハドめは、あなた様に背後を取られて動揺し、大急ぎで撤退することにしたのです。我々は足手まといになり、物資ごと我らの馬車に火が放たれました。大街道は死体と焦げた馬車で埋め尽くされ、軍勢は火と煙で恐怖を起こし、バラバラになって逃げ散りました。そこに、テルマルタル伯の騎士たちが襲い掛かり、ダーハド軍は散々に打ち負かされたと聞きました。私は妻の手を引いて必死に逃げてきたのです」


「私も見ました。通りは騎士たちの死体で一杯でした」


「ダーハド軍は慌ただしく、パニックを起こして逃げ散ったと聞きました」


 商人たちは口々に言いつのった。それは事実ではない。彼らは殺される人間を見たが、それが逃げる商人だったのか、ダーハドの騎士だったのか判別できなかった。


 戦いを見たが、ダーハド側とテルマルタル側、どちらが勝っているかなど分かるはずもなかった。彼らは、自分たちがこうだったら良い、という願望を事実と取り違えて言いつのっていた。


「それは確かなのですか?」


 クルーミルが唾を飛ばすような勢いで喋る商人の一人をじっと覗き込んだ。燃えるように赤い瞳で、商人の心の中に手を突っ込むように。


「見たのですか?あなたはその時、誰と居ましたか?旗印は見たのですか?ダーハドの騎士を見たと言いましたね。何色の鎧でしたか?さっきの話を私にした時、貴方は娘の手を引いて逃げていたと言いました。ボナパルトに話した時には、妻の手を引いていたと言っていましたね。どちらが正しいのですか?」


 クルーミルの声は淡々としていて、取り調べるような色調ではなかったが、商人には尋問のように聞こえた。


「私が偽りを申しているとお疑いなのですか、陛下」


「そうではありません。貴方は酷く混乱しているように見えるのです。他の方もそうです。……ともかく、天幕を用意させました。そちらで休まれると良いでしょう。温かい食事もありますから。まずは疲れと傷を癒してください」


 全員を退室させると、クルーミルはボナパルトをじっと見た。


「どう思われますか」


「連中の話は、かなり誇張されているようね。でも、物資を焼き払ったこと、ダーハドが撤退したことは間違いなさそうよ。テルマルタルが追撃に成功したかは、話半分ね。多分デタラメよ。ただ、戦わずに撤物資を焼き払って撤退したとあれば、士気と統率が乱れているはず。テルマルタルも、あの老人も追撃ぐらいはするでしょう」


「はい」


 ボナパルトは雨に打たれた捨て犬のような髪をかきむしった。本来ならテルマルタルからの正確な報告を待ちたいが、彼の軍勢と自軍との間にはダーハドの軍勢がいて連絡を難しくしている。大山脈をぐるりと迂回する情報には時間差が生じる。


「鳥みたいに羽が生えてたら楽なんでしょうけどね」


 ボナパルトはクルーミルの天幕に敷かれた絨毯の模様を眺めながら言う。鷲を腕に留める貴族の絵が美しい金糸で描かれていた。


「ダーハドが撤退することは計算内。問題はその退路。一つは大街道沿いの大王橋を通って撤退するルート。橋幅も大きいし、首都までの最短距離。ここを通る確率が一番高い。だからわが軍はいま、大王橋を目指して進軍してる。おそらくここで決戦になる……と踏んでいたんだけど」


 ボナパルトは視線をクルーミルに戻した。


「ダーハド軍の士気が砕けて戦闘不能、というようなことになるなら、別の退路を取るかもしれない。わが軍との交戦を避けて、部隊を分散させ、複数のルートを使って撤退を試みるかもしれない」


 と、すると……と言いかけてボナパルトはベルティエが持参した地図を広げた。美しい絵を押しのけて、実用一辺倒の白黒の地図が床に広がる。


「大王橋、その西二十キロ先に王子橋、さらに十五キロ先に太陽橋がある。ダーハドは戦うつもりか、それとも戦いを回避するつもりか……どちらにせよ、逃がしたくない。かならず戦闘に引きずり込んで撃滅したい。わが軍は今、大王橋に全軍を結集することもできるし、他の橋に兵を送り込んで封鎖することもできる。さて、どっちかしらね。状況を見極めてから次の一手を打ちたいけど、この偵察環境の悪さでは後手に回る。補給品を焼き払ったということはダーハドも事態のマズさに気が付いている。もたもたしてると逃げられてしまう」


 ボナパルトが、逡巡している。その様子をクルーミルは驚きを以って見つめた。この人でも迷うことはあるのだろうか。


「私が思うに、ダーハドは軍の統制を失うようなことはありません。全軍を結集して行動するでしょう。大軍が通行できるのは大王橋だけです。おそらく、全軍を挙げて大王橋から撤退するのではありませんか?」


「……」


 ダーハドが全軍を挙げて大王橋に押し寄せるなら、こちらも全軍を集結して阻止する。ダーハドが軍を分散させて撤退するなら、こちらも部隊を分散して各地の橋を抑えなければならない。さて、どちらか。


 ダーハドの志向から言って、わが軍を各個撃破する好機と見做して向かってくるだろう、という確信が戦役開始時点にはあった。だが、ダーハド軍の結束は想像以上に脆いのではないか。山脈を越えて背後を奪われ、士気が著しく低下し、もはや会戦どころではないのではないか。戦いたくても、戦えない状態に追い込まれているのではないか。補給品を焼き払うのは追い込まれた証拠であり、本当にパニックを起こして敗走しているのではないか。確証は、ない。


 ダーハドを討ち取るか、彼の率いる軍隊を完全に壊滅させるかが必要だ。わが軍の砲や銃は摩耗している。無限に戦えるわけではないのだ。ここでなんとしても完全な勝利が必要だ。取り逃がすということがあっては決してならない。


 ボナパルトが穴があくほど地図を見つめているところへ、別の急報が入った。報告書を受け取ったベルティエが怪訝そうな表情を司令官に向ける。


「閣下、前衛師団のボン師団から連絡です。大王橋の北側を制圧。敵の守備隊二千余りは、わが軍をみるなり撤退し、交戦はなかった……とのことです」


 ダーハドは交戦を避けている。全軍を分割し、橋を全て封鎖すべし。


 それがボナパルトの出した結論だった。

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― 新着の感想 ―
戦場の霧が濃くなって来ました!
そういやナポレオンは史実でも割とこの手の読み違えはしてるんだよな…当然の話ではあるが。さて、どうなる。
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