第百十五話 カラスの戦い(前編)
鉄門から立ち上る黒煙に真っ先に気づいたのは、テルマルタルの孫、ウルバルトが率いる騎兵部隊の一隊だった。彼らは前日からダーハド王の軍勢が慌ただしく動き回っているのを警戒し、さらに動きを調べるために前進してきているのだった。
「あの煙は何か?」
馬に跨ったウルバルトの問いに、供をする騎士が首を傾げた。ウルバルト同様、彼もまた若い。実戦経験と呼べるものもまだ少ない。
「……炊煙にしては色がおかしゅうございますな。陣払いをしているのかもしれません」
「陣払い?撤退しようというのか?なぜ?」
さらなる問いかけに若い騎士は答える必要がなかった。丘陵の向こうから、追い散らされた商人たちが逃げ惑ってきたのだ。
「何事か」
「恐ろしい事です。王軍がいきなり我らに襲い掛かりました。何もかもが燃えています。何もかもが!王軍は街道を引き返しています!街道は燃えた馬車と商人の死体で一杯です。どうか助けてください!」
「なんたることだ!」
ウルバルトは自らの軍靴に取りすがって涙する商人を手当してやるように従者に命じると、美しく宝石で飾り立てられたサーベルを引き抜いた。磨き上げられた鋼が陽光を浴びて光り輝く。
「あろうことか自分の民に矢を射るとは!勇気ある者は我に続け!正義を成そうと言うものは我に続け。精霊よ、我らが成す武勇を見守り給え!」
童話の勇者さながらに叫ぶとウルバルトは見事なたてがみをした白馬に拍車をかけてまっしぐらに走らせ始める。
「ウルバルト殿の為に!精霊よ我らの武勇を照覧あれ!」
それを見ていた騎士たちもそれぞれに剣を抜き、弓を掲げると叫び声をあげながらまっしぐらに自分たちの勇者の後を追いかけ始める。ウルバルトを先頭に、八百騎あまりの騎兵がなだれ込む。
「我ら疾風よ、草原よ! 愛しき者よ。我が弓よ!」
高らかに戦場を駆ける騎士の歌を詠むその姿は、さながら古の写本から飛び出してきた勇者そのままだった。
◆
「おい、あの阿呆は誰だ」
敵陣目掛けてなだれ込み始める騎士を見ながら、燃えるような見事な赤毛を振ったのは槍のサオレだった。彼女もまた、王軍に加わり一族を率いて前衛部隊の一つを預かっていた。
「はっ、あれはウルバルト殿の旗です」
「あのガキ」
「いかがいたしますか」
「テルマルタル伯に伝令を出せ。残りの者はついてこい。あの馬鹿を死なせるな!」
サオレが叫ぶと、騎兵たちが槍を振り回して歓呼した。敵に向かって突進する一隊があるというのに、自分たちはそれを見送るという選択肢は、勇敢な彼らには無かった。
「陣地を作って毎日動かない敵を物見するのは飽き飽きしていましたとも。勇者万歳!」
六百余りの騎兵たちがウルバルトの後を彗星の尾のように辿り始めた。
◆
「陛下、敵が出てきましたぞ」
「来たか。思ったより早いな。……数は、千騎にも満たんか」
「そのようで」
ダーハドは近衛兵と共に撤退の最後尾にあって、従軍商人の襲撃と焼き討ちを監督していた。厳しく監督していなければ焼き討ちは容易に兵士による無秩序な略奪に転化しかねなかった。あくまで破壊と殺戮は計算された必要から行うものでなければならなかった。破壊される側にしてみれば、兵士の暴虐も王の冷酷も大した違いはないのだが。
「戦機に適う。だが惜しいかな。装甲騎兵を押し出せ、弩兵隊戦闘準備!」
深紅の大旗が翻り、太鼓が打ち鳴らされるとそれまで商人たちに刃を振るっていた騎士たちが整然と王の周りに人と馬と鋼鉄で出来た巨大な壁を築き上げる。王の近衛兵は全員が漆黒に塗装された板金鎧を纏い、稲穂のような正確さで槍を揃え、遮二無二突進してくる敵を待ち構えた。
◆
「王旗! 噂に聞こえるダーハド王の近衛と見た。矢を献じ奉ろう!」
ウルバルトは敵軍目掛けて最初の矢を放った。猛禽の叫びにも似た風切り音をたてて矢は二百歩以上を飛翔して王旗の竿頭についた黄金でできた両刃斧の紋章を撃ち落として見せた。
「御見事!」
両軍の間から大歓声が上がる。盾が打ち鳴らされ雄たけびが上がる。敵も味方もウルバルトの技量を心地よく思っていた。芸術の域に高められた殺人技術を披露されて喜ぶのは、戦士たちの本能とも呼べるものだった。
直後にウルバルトの手勢から矢が雨のように降り注ぎ始め、甲冑を乱打する。辛うじて数十騎単位でまとまってはいるが、統率を欠き連携の取れていない射撃はダーハドの近衛騎士にとってはなんら脅威ではなかった。距離を逸した矢は斧打ちの国の重装騎士の装甲を貫通することができずに鋭い金属音を立ててははじき返され、騎士たちは盾を構えることすらしなかった。
射撃し終えた弓騎兵が馬首を巡らそうと一瞬、足を止めるとすかさず騎士の隙間から弩兵が矢を浴びせかけた。馬上弓よりも遥かに射程の長い矢の雨が今度はウルバルトの兵に襲い掛かり、鎖帷子を貫いて人馬を殺傷し、戦列が崩れた。
「今だ、突進!」
混乱するウルバルトの兵にダーハドが直接指揮する近衛騎士が襲い掛かり、薄氷が砕けるようにウルバルトの兵は蹴散らされる。
ウルバルト自身も二人の騎士に狙われた。が、彼は狼狽えることなく矢を放った。その矢は兜の隙間を驚くほど正確に捉え、騎士の右目を射抜いて落馬させた。次いで襲い掛かるもう一人の騎士の斬撃を身を捻って躱すと、相手の馬の手綱を掴んでバランスを失わせて倒してみせた。
とはいえ、ウルバルト自身がいかに個人的な武勇を見せようと、王の近衛と彼の手勢とでは数と指揮統率力に差があり過ぎてほとんど一方的に突き崩されてしまっていた。
「ウルバルト殿、ご無事か!」
そこに槍のサオレ率いる騎兵が来援した。彼女の率いる兵を合計しても数で劣勢だったが、彼女の騎兵は遥かに統率され、槍騎兵の集団攻撃はダーハドの近衛騎兵を一時的にだが怯ませた。
「サオレ殿!助かった。礼を言う」
晴れやかな笑顔を向けられてサオレは毒気を抜かれた。会ったら顔面に拳の一つでも入れてやろうと思っていたのだが、無邪気な顔を見ると咎める気も失せてしまった。
「はやく離脱しなければ。ダーハド王はすぐ立て直してきます!」
その言葉は正しかった。そして遅かった。サオレの救援部隊はあっという間に戦列を立て直した近衛騎士たちに包囲されかかっていたのだ。乱戦になるにつれ、あっという間にサオレの部隊は五十名近くを打ち倒されて陣形を乱されてしまった。
「サオレ殿、サオレ殿、ここは我らが引き受ける。敵を切り抜けて離脱されたい。貴女を道連れにするわけにはいかん」
「助けに入って逃げ出したなどと言えるものか。いっそここで討ち死にするほうがマシだ」
折れた槍を投げ捨て、血に濡れた兜を煩わしく振ってサオレは答えた。
二人が死を覚悟した時、高らかなラッパの音が戦場に響き渡った。草長の国も、斧打ちの国のものとも違うラッパの音。それはフランス軍のラッパだった。
最高級の黒檀を思わせる肌を輝かせたデュマ将軍がサーベルを振り上げて命令を下すと、黄金に縁どられた派手な騎兵服を着た伊達男たちが戦場に割って入った。それは熱したナイフでバターを切るような滑らかさと衝撃力とを備えた、練達の乗馬襲撃であり、包囲網の一角が瞬く間に切り崩された。
「サオレ嬢!助けが必要かな!」
白馬のカロリーヌ号に跨ったミュラが童話の王子のごとく気取った態度でサオレに問いかけると、サオレは額に張り付いた髪を撫でつけて答えた。
「よく来たな。褒美に婿に貰ってやってもいいぞ!」
ミュラはヒュウ、と口笛を吹くと、馬にさげた騎銃を抜いて迫りくる敵の騎士を打ち倒してみせた。矢を防ぐ鎧といえど、銃の貫通力には耐えられない。あるいは、鎧は耐えたが衝撃に乗り手が耐えられなかった。
カラスが群がるように戦闘は期せずして、激しさを増していった。




