第百十三話 生殺与奪
スフィラたちが陥落させた木挽砦にボナパルト率いるフランス軍が姿を見せたのは、翌日の昼だった。聞かされていた予定より半日早い到着だった。
「ご苦労」
出迎えたスフィラをボナパルトは労う。
「当然の結果です」
スフィラは言葉短く応じた。素っ気ない態度をとったつもりはない。むしろ、なるべく印象を良くしようと愛想良い笑顔を浮かべたつもりなのだが、表情筋は彼女の期待を裏切ってぴくりとも動かなかった。
「そうだろうな」
ボナパルトの言葉もまた味気ない。潜入を用意にするための偽手紙をはじめとした準備をしていたのだ。計画し、予定通りに、思惑通りに事が運んだその結果にボナパルトはいちいち大騒ぎしなかった。
「……」
「……」
ボナパルトもスフィラも互いにしばし見つめ合ってしまった。お互いにぶっきらぼうだが、別に敵意や悪意があるわけでもない。むしろ、好意や友好を表現したいのだが適切な言葉を見つけられなかったのである。スフィラは相手におべっかを使うタイプではなかったし、ボナパルトはお世辞が下手だった。
「……綺麗な鼻だな」
何か褒め言葉を探そうとして、ボナパルトはスフィラの筋の通った鼻を称賛する一言を発し、直後に後悔した。他にあるだろうに。
スフィラを初めて時、ボナパルトは故郷のコルシカ人に似た、鼻を持つこの女性の外見について良い印象を持っていたのだ。しかし、今言うべきことでなかった。
「は?」
「あ、いや。あー……下がってよろしい」
「ナポレオン?」
「兵隊相手なら、幾らでも気の利いた事が浮かぶのにね! あの女には上手い事言えないわ。見た目かしらね」
ボナパルトは横に立っているクルーミルに八つ当たりのように言う。コルシカ人に似た美女を見ると、ボナパルトは奇妙なところで母親の顔を思い出すのだ。あの鼻はどこか母親に似ていた。島一番の美女と評判だった母に。スフィラの鼻を妙に意識してしまうボナパルトだった。
「高い鼻の女性がお好きなのですか?」
クルーミルが背をかがめて下から覗き込むようにボナパルトの瞳を覗き込んだ。何か確かめたいことがある時、彼女はこのように相手の瞳を覗き込む。
「ああもう。そういうことじゃない。ややこしくしないで」
「私の鼻はどう思いますか?」
「綺麗な鼻よ。普通よ」
「どっちですか?」
「どっちでもいいじゃない!兵を見てくる!」
「ナポレオン!」
自分の口のまずさと妙につっかかろうとしてくるクルーミルにボナパルトは逃げ出すように二角帽子をかぶり直すと、母なる山脈から雪崩のように湧き出てくるフランス軍のほうへ歩いて行った。
◆
大山脈を越えたフランス軍は洪水が低地を浸すように、近隣の村を制圧しながら最寄りの都市であるノラン市へと押し寄せた。人口四千人ほどの都市には、軍が何よりも切望している食料をはじめとする生活物資がふんだんに貯蔵されている。これを奪い取ってはじめて、フランス軍は山脈越えに「成功した」と言えるのだ。
フランス軍を恐れて逃げ出した近隣の村人が都市になだれ込み、大声でその脅威を触れ回った時、都市を預かる有力者たちは対策を協議した。時間にすれば48時間、彼らは城壁の補修や、民兵の召集、救援の要請といった諸所を議論した。
そして協議が終わる前にフランス軍は都市に殺到したのだった。
◆
「どうすればいいのだ?」
ノラン伯に代わって城を預かる城代と、都市を運営する市長、民会の代表とが都市の中心にある、ノラン城という個性の欠片もない小さな城に籠って繰り返す言葉はそれだった。
「どうすればいいのだ?」
初老の城代は呻くように繰り返した。既に敵は市門に迫っている。城門は閉ざされ、城壁があるとはいえ、相手はボナパルトなのだ。あの雷鳴の主!
王都を落城させ、王国随一の城守りの名人と言われたグーエナス伯が守る砦を攻略し、ヴィオス公の軍勢をたった一日で壊滅させたというあの男! 城代は自分の軍事的才能に欠片も幻想を抱いていなかったので、風聞だけで震え上がってしまっていた。
彼らには侵略に対する備えが物質的にも精神的にも欠如していた。
「どうなさるおつもりですか」
市長に同じことを問われて、城代はコップに注がれた水を飲み干すとかろうじて答えた。
「都市の防備を固め、救援を待つほか、あるまい」
それは彼の頭脳というよりは、肩書から発せられた声に聞こえる。
「とはいっても、都市には兵士はなく、都市の住民を防衛に駆り出したとて、五百人あるかないかですぞ。これではとても持ちこたえるとは思えません」
「ではどうするのか」
「ここは賢明な道を選ぶのが得策かと」
「降伏しろと言うのか」
「そうは申しませんが」
「ではどうするのか。何が賢明なのか」
「それは閣下の深謀にお任せしたく……」
「貴殿、降伏の責任を取りたくないだけではないか!」
「しかし……」
「敵は山脈を越えて来たのだ。……補給が長く続くはずがない。一日か二日か、守り通せば奴らは飢える。そうなればあるいは……」
城代は相対的に軍事に明るいことを示した。彼の言う通り、フランス軍には補給が無いのだ。
「しかし既に周辺の村は敵の手に落ちたのです。彼らは村々から食料を奪うようになります。きっとそうなる。我々は城壁で守られているが、他の村はどうなります?」
代表の言葉に城代と市長は黙り込んだ。
「私の知人も縁者も近隣の村に住んでいます。開城しなければ飢えた敵は村を襲いますぞ!それを甘受せよと仰るか」
もし城代が血も涙もない戦略家であれば、村など焼き払われるに任せて持ち場を死守すると言えたであろう。しかし彼はそこまで冷徹になることもできずにうんうんと唸るばかりだった。
「降伏したとて、安全の保障がどこにある。山賊を家に招き入れるようなものだ。連中に都市を破壊されたらなんとする」
「ボナパルト殿は寛大な人と聞いている。おとなしく明け渡せば手荒なことはすまい」
「それは草長の王と同盟を結んでいたからだ。我々はそうではない。身の安全が保障される根拠などないぞ」
「しかし……ではどうすればいいのだ」
「どうすれば……」
話が振りだしに戻ろうとしたところで、城兵が駆け込んできた。
「閣下、包囲中の敵軍より矢文が届きました」
「見せろ」
それはクルーミルによって書かれた文であった。降伏するならば、身の安全を保障し、相応の礼節を以って遇すると記してある。
「他に選択の余地はあるまい」
「いや、いや待て。圧倒的な兵力を持ち、力づくで都市を奪える人間がなぜ開城を交渉するのか?」
「城代殿、何をおっしゃるか?」
「交渉を、引き延ばすことができれば、時間が稼げるのではないか」
「何をおっしゃるか! 無益な事は考えなさるな。敵が寛大なうちに武器を捨てるべきです。連中がその気になれば、こんな都市などあっという間に火の海にされます!」
「いや、いや、……なんの交渉もせずに都市を明け渡したとあれば、伯に申し訳がたたん。ここは交渉に出て、時間を稼ごう。敵も山脈越えで疲弊しているだろう。兵もそう多くないかもしれない。飢えに苦しんでいるに違いない。案外、力攻めする能力がないのかもしれん……」
城代は途端に強気になった。急速に自信の傾斜を深め、自意識過剰の急斜面を転がりおちて、願望と憶測が作り出した自分に都合の良い仮定の花園に飛び込んでしまったのだ。
「開城交渉をすると伝えよ」
◆
都市の外にしつらえられた天幕で両者の交渉が始まった。
城代は派手な青いマントを翻し、精一杯に空気を吸い込んで胸を膨らませると、天幕の内に入った。そして、豚の膀胱で作った風船がしぼむように身体を縮こまらせてしまった。
ボナパルトの鋭い眼差しに一刺しにされてしまったからである。
「二時間以内に降伏せよ。さもなければ都市を焼き払う」
言葉の形をした拳で顔面を殴りつけられた城代は膝から力が抜けるようだった。
「こ、交渉に来た。我々は名誉ある開城を要求する。それが受け入れられぬ時は、最後の一兵まで抵抗し、貴殿らが我が都市で見つけられるのは、灰と屍のみであろう。侵略者に災いあれ!」
力み過ぎた新人の舞台俳優のような仕草で城代が叫ぶと、ボナパルトの横にいたクルーミルが微笑んだ。
「いいでしょう。どのような条件を出されるのですか?」
城代は女王の顔を知らなかったので、ボナパルトの鋭い眼光に比べて柔和な笑みを浮かべる女性を、単なる側近か召使のように勘違いした。
「控えろ。小娘が。私はボナパルト殿に要求する。我々が求めるのは、都市の完全な自治権。都市守備隊の名誉ある撤退である。都市の備蓄物資については、売却の用意があるが、軍税や徴発はこれを拒否するものである」
机にたたきつけるように紙を差し出すと、城代は一生懸命に偉そうな態度を作ってみせた。
「ただちに、貴国の女王に諮り、女王の署名で保障いただきたい。貴官が女王の友であることは承知している。だが、貴族でもなければ、官職を持たぬボナパルト殿の署名では効力を信用できぬ。女王の署名をいただきたい」
開城を要求する以上、また物資を必要とする以上、そうそう手荒な扱いはできまい。女王の署名を得ようとするならば、伝令に数日はかかる。さらに日数が稼げよう。その間に救援が来れば万事解決である。
城代がそう算段を整えた時、クルーミルは既に署名を終えていた。
「私の名前でこの要求を認めましょう。どうぞ」
美しい金髪の女を見やって、城代は口を動かした。声にはならなかったが、お前は誰だと言っていた。
「私は女王です。そう呼ぶのが嫌なら、統一王の娘と呼んでください」
「な……」
「さて、貴殿らの要求は呑んだ。降伏していただけるな。さもなければ砲撃を開始する」
ボナパルトが合図を出すと、大砲が城壁に向けられた。それは城攻めには全く力不足の小型の砲であるのだが、そもそも大砲の力と名を聞いていても実物を見た事のない城代には、それがいかなるものか分からなかった。彼にとって大砲とは、雷を落とす魔法の杖と違いのない存在なのだ。
城代は肩を落とし、敗北を受け入れた。なんにせよ、譲歩は引き出せたのだ。面目も立つ。と自分に言い聞かせるように呟きながら。
◆
「貴女と一緒に来てよかったわ」
城代を帰らせた後、ボナパルトはクルーミルを見た。
「火薬を余らせることができた。貴女の筆は魔法の杖ね。たった一振りで城門を開けさせた。都市の自治権の約束なんか、本隊と合流して連絡線を確保したらどうにでもできるわ」
珍しく上機嫌なボナパルトに比して、クルーミルは口をきゅっと結んでいた。
「どうしたの」
「彼らが賢明な判断をしたのだと思います」
「彼らの意志なんか関係ないわ。連中は無い知恵絞って、こっちの弱みにつけこんだ見たいに要求を増してきたけど、生殺与奪はこっちが握ってるんだから」
彼らが譲歩を要求してくることなど、ボナパルトとクルーミルには最初から織り込み済だった。あえて無条件の開城を要求し、相手が「敵から譲歩を引き出させた」と思い込んでくれるほうが都合が良かったのだ。何もかも二人の掌の上で転がっていた。
もし交渉を拒否するならば人口四千足らずの都市など半日で陥落させることができるのもボナパルトには計算済である。
「それは違います、ナポレオン。私に……いえ、私たちに出来ることといえば、奪って殺すことだけです。そうではありませんか?」
その言葉にボナパルトは青灰色の瞳を二度瞬かせた。
「確かにそうね」
生かすも殺すも自由、ではない。彼らが城門を閉ざし、徹底抗戦するとなれば攻撃して、殺すしかないのだ。都市を丸ごと一つ。男も女も、赤ん坊から老人まで。
その想像はボナパルトでさえ戦場を死体で埋め尽くす以上の不快感を覚えずにはいられない。だが、ボナパルトには自らの不快感を圧殺して都市を破壊するだけの力と意志があったし、そのつもりで来ていた。
「都市を焼き払う、など私はしたくありません。王として、自分の領民になるべき者に刃を向けるのは、自分が跨る馬の足を折るようなものだからです」
でも、とクルーミルは続けた。
「でも、必要ならば、私はそれをするでしょう。あなたがそうするように。ですから、私は彼らが降伏してくれて心から安心しているのです。彼らの賢明な判断に心から感謝しているのですよ。私を、善き王のままでいさせてくれた彼らを……そして、何より貴女にも。貴女のおかげで私は彼らに寛容を示すことができます。貴女の武力に裏打されているからこそです」
「そう。そうね。今後ともそうありたいものだわ」
ボナパルトはクルーミルの燃えるような瞳を覗き込んだ。この赤い瞳はいつも己の能力を冷静に見極めている。武力に溺れず、政治的に最も効果が期待できる選択肢を取っているのだ。
だが、常にそうだろうか?いつかは敵を皆殺しにしなければならないときがくる。殺したくなくても殺すしかない瞬間が訪れる。その時彼女は、その決断ができるだろうか?
「さて、飢えた二万の男に腹いっぱい食わせましょう。それから、また歩くわ」
城代:城主の留守を預かる家来のこと。




