7 めんどくさい事態
桜鬼の末裔である証拠、と言われても。
そんなもの、あるなら見せてほしいのは桜子の方だ。桜鬼の血を半分引いた半妖であるということは、桜子本人でさえ今日初めて知ったことで、寝耳に水だったのだ。知っていたのはクロの方である。ここは桜子よりむしろ、クロが証拠提示の責任を有しているように思えるのだが、クロはといえば他人事みたいに肩を竦めて相変わらずの薄ら笑いを浮かべているだけだ。
桜子はクロの襟を引っ掴んで顔を引き寄せひそひそと囁く。
「証拠って何」
「何だろう」
「私だって知らなかったのに、証拠なんか出せるわけないでしょうが。結局のところ、私が桜鬼の血を引いているっていうのはあなたの証言以外に根拠がないのよね。お母さんが実は妖怪でしたー、なんて言ってんの、あなただけなんだけど」
「桜鬼の名前が緋桜だってのは本当の話だぜ。誰に訊いてもそう教えてくれる。そんで、お前は緋桜の娘だろう? ほら、お前は鬼の末裔ってことになる」
「確かにお母さんの名前は緋桜だけれど……」
「こんな珍しい名前、他にいるかよ」
「じゃあ、何、母子手帳でも見せれば信用してもらえるわけ?」
「妖怪相手にそんな理屈を振りかざしたってしょうがない。連中が見たい証拠ってのは、お前が崇め奉るに値する鬼の女であるかどうかを証明する物のことだ」
「具体的に」
「桜鬼は誰より強く美しい女だった。お前の美しさについては言及しないでおいてやるから、強さを見せつけてやればいい」
「ちょっと、今の言い方すごい悪意を感じるんだけど。私がブスだって言いたいの?」
「ブスとは言ってない。平凡なちんちくりんだってだけだ」
「何でもかんでもちんちくりんで済ませるな」
「何をごちゃごちゃ言っている!」
クロとの内緒話は竜厳に咎められた。
「桜鬼は妖術に長けていた。君の妖術の実力を示して貰えれば、君が真に桜鬼の血を引いているのか明らかになるだろう」
次いで、そんな無茶ぶりをされた。
五十メートル走とか百ます計算の速さを見せてみろ、とかいう話ならなんとかなったかもしれないのに、よりによって妖術ときた。無理無理、絶対無理。
何か別のことにしてくれ、と頼もうとすると、クロがそれを遮って、
「いいだろう、いったいどんな術がお望みだ、長老サマ」
勝手に話を進めてしまった。即座に桜子はクロの両肩をがっしり掴んでゆっさゆっさと揺さぶった。
「ちょっと、何考えてんの!」
精一杯ひそめた声で、しかし怒りと焦りを露わに文句をつけるが、クロはにやにや笑って取り合わない。こいつ完全に遊んでるだろ、と桜子は青筋を浮かべる。
クロの承諾に竜厳はにやりと笑う。どうせ何もできないのだろう、と高をくくっている顔だ。
「そうだな……ああ、そうだ、いい方法がある。紅月、障子を」
紅月は恭しく頭を下げると立ち上がり、竜厳の背にある障子を、次いでその向こうの硝子戸を開け放った。宵闇迫る夕暮れ時、縁側の向こうの中庭には、一本の樹が立っていた。だが、何の樹なのか、桜子には解らなかった。葉も花もつけていないのだ。
「桜の樹だ」
「桜? でも……」
春なのに花が咲いていない桜。
「枯れているの?」
「少し前に瘴気にやられて、花は開く前に全部散った。春には、ここで桜を眺めながら宴を開くのが恒例だった。今年は諦めるしかないかと思っていたところだったのだが、丁度いい。君、この桜を蘇らせることができるかね?」
「……は?」
「この桜を満開にすることができたなら、君を桜鬼の血を引く娘と認めよう」
そんな無茶な。思わず叫びそうになった桜子の口を素早くクロが塞いで、
「そんなこと容易い」
と勝手に返事をしてしまった。
「ちょっと、クロ!」
「何とかしろ、桜子。せっかく犬猿の仲の二人を同じ場所まで連れ出せたんだ、ここで認めさせられなきゃ、狗猫の和解は絶望的だぜ」
「何とかって言われてもね、私はフツーの女子高生なの。そんなトンデモ超能力なんかありません!」
「お前が気づいていないだけだ。お前は確かに鬼の血を引いている。お前が望めば、枯れ木に花だって咲くさ…………たぶん」
「肝心なところで弱気になるのやめて」
枯れ木に花なんて、無理に決まっている。昔話の爺さんじゃないんだから。だが、ここで「できない」などと言ったら、クロの言うとおり、もう桜子の話は誰も聞いてくれなくなる。クロと押し問答をしている場合ではない。そろそろ周りの視線が痛くなってきた。
ええい、ままよ!
もうどうにでもなれ、と半ばやけっぱちになりながら、しかしそのやけっぱちを周囲に悟らせないポーカーフェイスを浮かべて、桜子は立ち上がる。
縁側に立つと、全ての視線が自分を追ってきているのを背中でひしひしと感じた。
鬼の血を引いているなどという話、はっきりいってまだ実感が湧かない。自分に特別な力があるとも思えない。だが、争いを止めるためには、自分に力があることが必要なのだ。
そっと目を閉じる。瞼の裏に思い浮かべるのは、枯れた大樹。そこに、鮮やかな桜の花が咲き誇る姿をイメージする。次に目を開けた時、想像と同じ現実が目の前にあってほしいと祈る。
「お願い……咲いて……!」
小さく唱え、目を閉じたままじっと待った。
しん、と沈黙がおりる。誰もが固唾を呑んで見守っている。「何も起こらないじゃないか」――誰かがそう言って空気がざわついてしまえば、もう失敗だ。
咲け――そう願いながら、桜子は恐る恐る目を開けた。
そこにあったのは、満開になった桜――なわけがなく、先刻と寸分たがわぬ枯れ木だった。
ですよねーそんな都合よくいきませんよねー。
桜子はがっくり肩を落とす。もしかしたらもしかするかも、と甘い期待をしたのが間違いだった。さて、この後どうしたものかと途方に暮れて竜厳の反応を窺うべくそっと振り返る。
「おぉ……!」
と、竜厳は何故か感動したように声を上げる。見ると、他の面々も驚愕に目を見開きぽかんと口を開けている。
何かあったのかと思って再び桜を振り返り、桜子は仰天する。数秒前まで枯れ木だったはずなのに、ビデオの早送りでもしているみたいに、猛スピードで樹が新芽をつけ、やがて蕾が一つ、また一つと花弁を広げていく。あっという間に、桜の樹が満開になっていく。
「桜が蘇ったぞ!」
「まさしく桜鬼の力」
「本物だ」
「……???」
状況が理解できないでいる桜子をよそに、狗猫たちは勝手に納得して褒めそやす。どう反応すればいいものかと困惑していると、いつの間にか隣に来ていたクロが桜子の肩に手を置いて、
「もっと自信のある顔をしろよ、これがお前の力だ」
「わ、私、全然自覚がないんだけど」
「無意識のうちに行使できるなんて、力が強い証拠だ。さあ、証明は済んだ、ようやく本題だぜ」
「う、うん……」
クロに促され、桜子は再び床の間を背負うお誕生日席へ。注がれる視線が、疑念交じりから尊敬交じりのものに変化していたことに、桜子は気づいた。
「成程、確かに貴女は桜鬼の末裔のようだ。今までの無礼をお許しください」
「我々の抗争を裁くのにこれほど相応しい方は他にはいるまい」
竜厳と虎央はそうのたまった。
「じゃ、とっとと話を始めようぜ。まずは、事件のあらましから、こいつに詳しく聞かせてやってくれよ」
何もしていないくせにクロが仕切り出す。だが、桜子の妖術の衝撃が尾を引いているのか、誰もクロの進行に文句はつけなかった。
事件――猫の一族と狗の一族の対立が決定的になったという、猫の長老の傷害事件。元々他種族はぎすぎすした仲だったが、桜鬼の登場により種族間の関係は安定したものになっていた。しかし、桜鬼が消えてから関係は再び不安定なものになり、小さなトラブルが起こるたびに少しずつ関係にヒビが入って、傍から見ていると冷や冷やするような冷戦状態になりかけていた。そして、三日前の事件によりついに均衡は崩れたのだ。一族の象徴を害する行為は、決定的で、致命的だった。
「知っている者もいると思うが、三日前、儂は何者かに襲われた」
それは、虎央が商店街を歩いていた時のこと。時刻は夜の八時を回ったくらい。季節は春先で、日が延びてきたとはいっても、その時間になれば空も暗い。しかし、商店街は店先の提灯のおかげでオレンジ色の光で明るかった。
虎央は他二人の付き人たちと共に飲み会から帰る途中だった。三人とも酒を飲んでいたが、酔ってはおらず、意識ははっきりしていたらしい。
ばたばたと荒い足音が近づいてくるのに、虎央は真っ先に気づいた。その足音がいよいよ自分たちのすぐ傍まで来たとき、妙に思って振り返った。その直後、虎央は棍棒のようなもので殴打された。
頭を狙った一撃だったが、虎央は反射的に腕で頭を庇ったため、幸い怪我は軽くて済んだ。我に返った虎央と他の二人は下手人を捕えようとしたが、犯人は逃げ足が早かった。持っていた棍棒を放り投げて、三人がそれに怯んでいる隙に踵を返し逃げ去って行ったという。
「待てぃ!」
商店街にいた周りの人々が事件に気づいたのは、慌てた虎央がそう叫んでからだった。ゆえに、往来にいた多くの妖怪たちは、そろいも揃って犯人を取り逃がした。
しかし、三人は、いや、三人に限らず周りの人々はみな、犯人を目撃していた。顔を面で隠していたが、頭には確かに狗の耳がついていた。ゆえに、犯人は狗の一族の誰かであり、長老を攻撃することで猫の一族の弱体化を狙ったものであると、虎央たちは考えている。
「化け狗の誰かが儂を狙った犯人であることは間違いない」
「猫側の主張は、だいたい解った。それが対立の原因ってことは、狗側は否認しているわけね?」
「当然だ」
力強く竜厳は宣言する。
「そればかりか、私たちは、猫側の主張は狗の一族を貶めるための嘘であると考えている」
「嘘? 全部?」
「そうだ。なぜなら私は、猫側が犯行があったと主張しているその同じ日、同じ時間に何者かに襲われたからだ」
そんな話聞いてない。
予想外の爆弾に、桜子は頭が痛くなってくるのを感じた。