6 こんな話、想定外
クロが向かった先は、猫屋敷ならぬ狗屋敷だった。
その屋敷というのも、昭和の趣ある日本家屋ではなく洋館であった。妖の世界にもちゃんと西洋の風は吹きこんでいるらしい。もっとも、クロが江戸時代の武士よろしく着物姿に刀を佩いているわけでなく洋服を着ていることからもそれは解る。彼はどこかの制服風のシャツと学ランとスラックスを着ている。そのいい加減な着崩しっぷりと不遜な態度を合わせて、似非学生姿、あるいは不良学生姿のできあがり。ちなみに彼の爪の長さは学校に行ったら確実に補導モノである。
「狗の長老の屋敷、通称・狗鳴館」
「鹿鳴館でなく?」
「舞踏会は開かれない」
煉瓦造りの壁に蔦が這いまわっているのは、そういう仕様なのか、はたまた掃除をサボっただけなのか。中央からややずれた位置には時計塔が建っており、針が指すのは午後三時半を少し回った時刻である。正面玄関に至る石畳の両脇には門番らしき二人の男の姿が見え、予想通りの狗耳である。
門番のうちの一人がこちらに気づいて眉を寄せ、一瞬にして、あからさまに嫌そうな顔になった。明らかに歓迎されていない様子だが、クロは構わずすたすたと歩いて行って、門番の目の前で立ち止まった。
「よお、クソ猫」
顔見知りらしい門番の男は、炎のような赤い瞳でぎろりとクロを睨め上げた。不穏な空気をひしひしと感じ、桜子は無駄だとは思いつつも一歩距離を置いた。対するクロは飄々としていて、これ見よがしの敵意に、至ってクールに、というかテキトーに、しかし的確に苛立ちを煽るように応える。
「客をいきなりクソ猫呼ばわりか。躾がなってないな、ここの番犬は」
「はっ、てめえが客なもんかよ。帰れ厄病猫」
「お前じゃ話にならないな。下っ端はすっこんでろ」
「ここは通さねえぜ。通りたかったらその不愉快な猫耳を切り落としてから出直しな」
ばちばちと火花が散りそうなほど険悪な応酬に、ついに耐え切れなくなった桜子が、二人の間に割って入る。
「はいはいストップ、ストーップ!」
狗耳青年が、初めて桜子に気づいたというような顔をする。
「誰だ、このちんちくりん」
本人をスルーして、クロに尋ねる。しかも、こいつもちんちくりん呼ばわり。またしても、ちんちくりん呼ばわり。この世界ではちんちくりんが流行語大賞なのか。桜子はさすがに苛立ってきた。
「このちんちくりんは桜子だ。桜子、この不躾なクソ狗は紅月。長老んとこの番犬だ」
クロのいい加減な紹介に、桜子と紅月の舌打ちがシンクロした。
今すぐクロをどつきまわしたい衝動に駆られるが、そこをなんとか抑えて、桜子は引きつり気味の笑みを浮かべ紅月に向き直る。
「長老様に話があって来たわ。お目通りを」
「は、誰だか知らねえが、厄病猫の連れを通す気はないね。帰りな」
「大事な話よ。私の目的は、猫と狗の不毛な争いを調停すること。私はあなたたちの敵ではないわ」
「お前みたいなちんちくりんに何ができるんだ。帰れ帰れ」
このあたりで、自称・温厚が服を着て歩いているような女である桜子の苛立ちが振り切れた。
「さっきっから、人のことをちんちくりんって! 失礼にもほどがあるわね、この不躾わんこ!」
「わんこ! 威厳の欠片もねえな、わはははっ!」
ツボに入ったらしい不躾にゃんこが勝手に笑い転げ始めたが、そんな雑音はさらっと無視して桜子は続ける。
「誰彼かまわず吠え散らすのは番犬じゃなくてただの狂犬よ。人の話をロクに聞かずに門前払いするだけなら壁でもできるんだから、壁より有能なところを見せなさい、獰猛わんこ!」
「言わせておけば……生意気な雌猫が!」
激昂した紅月が右手を振り上げる。銀色の爪が鋭く光り、桜子を威嚇した。
直後、番犬の右手を素早く掴み取る手があった。さっきまで大笑いしていたクロである。つい数秒前までのいい加減な態度からは考えられないくらい、金色の瞳に怜悧な光を湛え、しかし唇はにやりと笑っている。クロの笑っているようで笑っていない表情に、ほんの少しだけ背筋がぞくりとする。
「やめとけよ。一応、俺の暫定的飼い主サマだ、手出しするなら噛みつくぜ」
「野良猫が忠犬の真似事か?」
紅月はせせら笑う。
「それと、こいつは猫じゃねえ。猫なんかよりもおっかねえ、鬼の女だ。下手をすれば食い千切られるぜ」
「鬼だと?」
「ちょっと、人の第一印象を悪くするのやめてよね。食い千切りません!」
「お前の第一印象なんかすでに底辺だろ」
「それ、半分くらいはあなたのせいでしょう、クロ」
「もう半分が自分の言動のせいだって自覚があるなら上々だ」
「なんで喧嘩止めた奴が喧嘩始めてるんだよ……」
紅月が呆れ混じりに呟き、鬱陶しそうにクロの手を振り払った。
「鬼の女だって?」
じろりと値踏みするような目を向けられる。
「桜鬼の末裔だ」
「緋桜に娘がいたとは知らなかったな。言い寄る男どもを尽くフリまくって、彼女の通った後は失恋した輩で死屍累々とまで言われてたのに、緋桜の眼鏡にかなう男がいたってことか」
「相手は人間だ。だから桜子は、半妖だ」
「半妖! 桜鬼の血を引いているとはいえ、ちんちくりんの上に半妖か。半妖なんぞに、何ができるっていうんだ」
「何ができるか、何もできないのか、見極めればいい。お前もついでに招待してやるよ、紅月。今夜決着をつける。長老に伝えろ、六時に集会場だ」
「つまらん話だったら、二人まとめて噛み千切るぞ」
「その貧相な歯でできるのか? ……必ず伝えろ。行くぞ、桜子」
かなり一方的に、そして終始喧嘩腰に言いたいことを言ってしまうと、クロは踵を返す。桜子は慌てて追いかけ、数歩行ったところで振り返って紅月に告げる。
「訳あってクロと一緒にいるけど、別に私は猫の味方ってわけじゃないのよ。母の代わりにはなれないだろうけど、争いを止めたいのは本心だから、あなたも協力してちょうだい」
「桜鬼が消えてから随分経つ。なんで今更、その末裔、しかも半妖なんかがでしゃばってくる?」
「変態猫耳野郎に拉致されたから」
「……」
「ほとんど成り行きだけど、でも、やるって決めたから」
「同情するぜ、半妖のお嬢さん。放り出すなら今のうちだぜ」
そう忠告してくれる紅月に、桜子は不敵に笑ってみせる。
「同情はありがたくいただいておくけれど、一度首突っ込んだからには無責任に逃げ出すわけにはいかない」
じゃあね、と手を振って、桜子はクロを追いかけた。
少しは気を遣ってくれていたのか、クロの歩調はゆったりしていて、桜子はすぐに横に並んだ。
「これで一応、準備は整ったって感じ?」
「ああ、まあ、そうだな」
「約束の時間まで、まだあるね」
刻限までは、だいたい二時間半くらい。クロが余裕を持った時間を設定したため、準備が終わってしまうと、何もすることがなくて暇になってしまった。猫と狗、双方の長老を呼び出すのに、思ったよりは難航しなかったのは喜ばしいことであるが。
「ま、ゆっくり観光でもしてろよ。時間までに集合場所まで来さえすれば、どこで何してたって構わないさ。ただ、まあ、あんまりちょろちょろしないで……そうだな、商店街くらいでふらふらしてるのが安心だろ。あんまり外れの方に行くと、半妖は狙われるかもしれないから」
少しは心配して親切なことを言っているように聞こえた。が、考え直してみると、今の発言は「一人で勝手にやってろ」という意味ではないか。
「クロは? この後どうするの」
「俺も暇じゃないんでね。そうそう、集会場は目抜き通りを南にまっすぐだ。解らなかったらその辺の奴を適当にとっ捕まえて教えてもらえ。じゃーな」
そう言って、クロは桜子を置いてさっさとどこかへ行ってしまった。
人のこと巻き込んでおいて置き去りかい。
文句を言いたいところだったが、クロの自分勝手については今更ツッコんでも意味がなさそうだな、と思い、桜子はひっそり溜息をついた。
両者はいかにも長老、という感じの、威厳のある老翁だった。
向かって右側に胡坐をかいているのは、白い長髪、顎鬚を蓄え、耳まで白い、化け猫の長老・虎央。そして、左側で相対しているのは黒いもさもさした髪と狗耳を持つ、化け狗の長老・竜厳。猫なのに虎、狗なのに竜、とツッコみたくなる名前だが、困ったときは「素敵なお名前ですね」でやりすごすのが社交テクニックである。
ところで、桜子としては、納得がいっていないのは二人の名前などではない。そんな問題は些末なことだ。
第一に、二人の長老に並ぶ形で、横一列にそれぞれの一族の重鎮らしい人々(妖々?)がずらりと座っていて、いかにも一触即発といった様子でメンチを切りあっている。虎央の孫・柊や、竜厳の屋敷にいた門番・紅月も参加している。ガンを飛ばしあって険悪な雰囲気を現在進行形で醸造している両者を見て、クロはくっくと喉の奥で可笑しそうに笑っているが、この状況を笑い飛ばせるほど桜子はテキトーな性格をしていなかった。胃がキリキリする。
そして第二に、これが一番納得いかないのだが、なぜか桜子とクロが床の間を背負う形でお誕生日席に陣取っている。桜子のことを知らない猫狗の皆々様からの「誰だあいつ?」「さぁ?」の鋭い視線がちくちく刺さって胃が痛い。
もうすぐ会議開始の時刻になるという段になって、桜子は体を固く縮こまらせて正座し汗ばんだ拳を握りしめながら、誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「解せぬ」
しかし、ことこうなっては今更引き返せない。覚悟を決めるしかない。
キリスト教徒というわけではないが、こういう時は神頼みだ、と桜子は十字を切る。
丁度、六時の鐘が鳴った。
「じゃ、始めますか、桜鬼サマ」
能天気に笑うクロの顔をこれほど殴り飛ばしたいと思ったことはない……いや、本当は何回もあったけれど。
「このような場所に呼び出したのは、我ら一族の対立に決着をつけるためとか。それは本当だろうな、クロ」
口火を切ったのは虎央だった。一族の除け者、と言われていたのはデタラメな話ではないらしく、同じ化け猫でありながら、虎央がクロに向ける目は冷厳かつ冷徹なものだった。対するクロは相変わらず、何を考えているのか解らない飄々とした態度だ。
「ああ、そのつもりだ」
「もしくだらぬ茶番だったら、相応の処罰を覚悟せい」
虎央の言葉に不敵に微笑んだクロが、ひっそりと「そん時は逃げる」と囁いたのを桜子だけが聞きとった。
この野郎。
抗議の意を込めて睨みつけたが、クロは無視した。
このテキトーにゃんこは当てにならない。そう判断した桜子は、こほんと一つ咳払いをして、クロをスルーして話を先に進めることにした。
「えー、お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。本日は、化け猫と化け狗の一族の争いを解決するために、このような場を設けさせていただきました」
「話を進める前に、一ついいかね」
いきなり話を遮り出鼻を挫いてくれたのは竜厳である。
「私たちの間の溝は深い。この争いを、双方異論のない形で解決するなどというのは難しい。その難しいことをやってのけるという大言壮語に付き合うことにしたのは、君があの桜鬼の末裔だというからだ。しかしだ、君をつれてきたのが、そこの野良猫だというのが少々引っかかる。知っての通り、『化け猫のクロ』といえば、人の不幸を見てはせせら笑い、問題に首を突っ込んでは引っ掻き回して事態を悪化させる、問題児中の問題児だ」
そんな話知らないんですけど。桜子は目を剥いて、クロを振り返る。
「そうなの?」
「そーいえば、そういう時代もあった」
「くそったれ!」
年頃の少女らしからぬ罵言を吐いて桜子は天を仰ぐ。そんな問題児の紹介では、桜子が信用されないのも無理からぬことだ。
「いったいその化け猫が、どういう風の吹き回しでこんなお膳立てをしたのか……まあ、その猫が何を考えているのか解らないのは今に始まったことではないし、追及したとしてものらりくらりとかわされるのは目に見えている。それよりもはっきりさせておくべきは、君が本当に桜鬼の末裔であり、真に私たちの問題を解決しうる者なのか、ということだ。何か証拠を見せてくれるとありがたいのだがね」
「成程、竜厳の言うことにも一理ある」
普段は仲が悪いくせに、こういうときばっかり息ぴったりらしく、虎央が援護射撃など始める。ほんとにこいつら仲悪いのかよ、と桜子は内心舌打ちする。
気づけば、その場にいる全員の視線が桜子に集中していた。
なぜ私が糾弾されるみたいな流れになっているのか――桜子はすべての元凶たる黒猫を睨みつけるが、クロは肩を竦めるだけでまったく頼りない。
こういう時は、とりあえずこう言っておく。
「解せぬ」




