8 ただいま真っ向対立中
元々、竜厳の屋敷に門番などはいなかったのだという。それが、紅月たち門番が固く警備をすることになったのは、三日前、屋敷に何者かが侵入し、書斎にいた竜厳を襲撃したからだという。下手人は面で顔を隠していたが、頭には猫耳があった。侵入者は持っていた棍棒のようなもので竜厳に殴りかかった。竜厳はすぐさま大声で屋敷の者を呼んだ。駆けつけてくる足音に恐れをなしたのか、下手人は慌てて逃げ出したという。幸い竜厳は軽傷で済んだが、化け猫の誰かが狗の一族の弱体化を狙って自分を襲ったのは間違いないと確信した。
そのことを追及しようとしたら、犯人が懺悔するどころか、反対に自分たちの方に罪を犯した者がいると言われてしまった。竜厳は大変に立腹したという。
なんてこった、と桜子は内心で溜息をつく。
つまり、猫の長老も狗の長老も、同日同時刻に何者かの襲撃を受けていて、お互いにその犯人は相手の一族の中の誰かであると思っていて、相手が主張している事件は捏造であると思っている、ということになる。
「ややこしいなっ!」
桜子は正直な感想を端的に告げた。そう叫んだところで事態は何も変わらないわけだが。
「罪を逃れようと、自分が襲われた風を装うとは、卑怯な奴だ」
虎央がぼそりと吐き捨てると、その言葉を耳聡く聞きとがめた竜厳は不愉快そうに眉を寄せた。
「それはこちらの台詞だ。そちらこそ、嘘の事件をでっちあげて、被害者ぶろうとしているのだろう」
「話を聞いていなかったのか? 儂が襲われたとき、儂ら以外にも何人もの妖どもが目撃しているのだ。捏造でないことは明らか。それよりも、お主が言う事件とやら、起きたのは屋敷の中らしいが、犯人が誰にも見つかることなく屋敷に侵入し、捕まることなく逃走したなど、無理のある話だと思うがな」
「屋敷の下見をしておけば、逃げ足の早い猫なら容易く侵入できたはず。状況はむしろ、猫による計画的な犯行であることを示している。そちらの目撃者というのも怪しいものだ。賄賂を掴ませて適当にでっちあげたのではないか?」
「はいはいストップ、ストーップ!」
次第にヒートアップする応酬を、桜子は制止する。
「ちょっと落ち着いて。熱くなりすぎ。もう少し冷静に」
「これが落ち着いて!」
「いられるか!」
「あんたら仲良いのか悪いのかはっきりしろ」
息ぴったりの反応に桜子は冷静にツッコミを入れた。
「単純に考えれば、どっちかの証言は罪を逃れるための嘘っぱちってことになるんだろうけど、どっちが嘘でどっちが本当か、どう判断するんだ?」
化け猫でありながらも、猫の一族の立場から少し離れて傍観を決め込んでいるクロが問うた。桜子は少し考えて、小さく首を傾げる。
「どちらかを嘘だと決めつけるには、いろいろと無理があるんじゃないかしら。虎央様の場合、目撃者がたくさんいるわけでしょう? 買収してでっちあげたっていうのは、現実的じゃないわ。巻き込む人数は多くなるほど、露見するリスクを抱え込むことになるわけで」
「そいつは正論だな。ついでに俺からも一つ意見を言わせてもらうが、竜厳の屋敷の警備は、今じゃ鬱陶しい番犬が見張っているが、それまではザル過ぎて、確か何度か泥棒に入られていた気が」
クロがそう言うと、竜厳は顔を赤くしてそっぽを向いた。筋金入りのザル警備だったらしい。
「となると、どちらも本当のことを言っている、と仮定しましょう。それだって、十分あり得る可能性だけど、きっとあなたたちは、その検討をしていないでしょう? 相手は絶対嘘をついていると思い込んで、自分だけが正しいように考えてる。だから、冷静な判断もできず、争いになってる」
虎央と竜厳が揃って押し黙る。図星らしい。そして、この二人は相変わらず息がぴったりだ。不幸な行き違いのせいで争い合っているが、縺れ合った誤解を解きほぐすことができれば、案外この二人は仲良く酒でも酌み交わせるんじゃなかろうか、と桜子は思う。
「両者とも正しいことを言っている、となると。虎央は狗に襲われ、竜厳は猫に襲われた……お前らが知らないうちに、下の奴が独断でやらかしただけ、っていうのが一番早い話じゃねえの?」
「それだけはあり得ない!」
クロが指摘すると、虎央はすぐさま反駁した。
「我ら猫の一族の結束は固い。儂に隠して、誰かが独断で凶行に走るなど、あり得ないことだ」
「へぇ」
クロが皮肉っぽく笑うのに、桜子は少し冷や冷やしながら補足する。
「独断で他の一族の長老を襲撃するなんて、リスキーだし、あまりメリットを感じないのだけれど。動機は何だったと思う?」
「目の上のタンコブの種族への牽制、と言いたいところだが……」
クロは言い澱む。桜子も、その可能性はかなり低いと考えていた。
「そうやって、自分たちが優位に立つため? でも、実際はどうかしら、全然優位に立ててない。お互いいがみ合って、対立が顕在化して、中途半端に面倒になっただけよ」
「確かに、詰めが甘いな。適当に手を出して、さっさと逃げちまったら意味がない。……どうせやるならとことんリンチにしてやればいいのに」
ぼそりと物騒なことを呟くクロを一睨みする。しかし、クロの言い方は酷いが、言っていることは正論だ。
「犯人の目的は、狗と猫、どちらかを優位に立てようというものじゃない。寧ろ、両者の対立を煽っている構図よ。加えて……二つの襲撃事件の犯人は、顔を隠していながら耳を見せている。正体を隠しているようで、隠していない中途半端。これって、虎央様襲撃の罪を狗に、竜厳様襲撃の罪を猫に被せようとしているんじゃない?」
「成程、狗と猫を対立させ、潰し合わせたところを、漁夫の利を狙ってる誰かがいると考えられるな。まあ、こいつらは方々で恨みを買ってそうだし、そう考える輩がいるとしても不思議じゃねえな」
狗猫たちがざわつき出す。仲間同士とひそひそと会話し、対面をちらりと窺い、目を合わせては気まずそうに目を背ける。
桜子とクロが示した可能性は、狗と猫の争いが無意味なものであり、そればかりか、何者かが画策したものかもしれない、というものだ。こうして不毛な争いをしているのは、何者かの思う壺なのかもしれない。
「ええい、静まれぃ」
浮足立った場を、ばしっと畳を叩いて静まらせたのは虎央だった。
「そのような可能性があることは理解した。だが、所詮は憶測の域。狗どもの中に下手人がいないと決まったわけではない」
次いで、竜厳が何度も頷き同意する。
「その通り。そして、それは猫たちにも同じことが言える」
「いや、あなたたちの話も、そもそも全部憶測だったんだけど」
よくよく考えてみれば、二つの事件の犯人については、目撃者がいるものの顔は見ていないというし、決定的な物的証拠が挙がっているわけではない。
「だとすれば、あなたたちが無意味に争う理由はないわ。むしろ、協力して二つの事件の犯人を探した方がいいんじゃないの?」
「潔白でないのなら」
「協力などできん」
「相変わらず息ぴったりだな!」
思わず桜子がいれたツッコミに、気を取り直そうと咳ばらいをしたタイミングも、二人は同時だった。
「とにかく、貴女が公正な審判をしようというのなら、まずは真犯人を明らかにするべきだ」
「犯人をとっ捕まえて来いって?」
「然様。犯人を捕らえ、真相を白日の下に晒してこそ、誰もが納得する審判が下されよう」
「……いいわ。まずは犯人を探す。それまで、判断は保留ね」
ここが落としどころだろう、と考えて、桜子は溜息をつく。犯人を捕まえられるかどうか――警察や探偵の真似事が務まるかどうかは怪しいところだが、引ける場面でもなかった。
「犯人が捕まるまで、真相については保留なんだから、あなたたち、無闇やたらと喧嘩の売買をしないように」
小学生を諭すかのような文言で、桜子は話を締めた。
面倒事が増えてしまった。
「あー……なんで安請け合いしちゃったかなー」
いまさら言っても詮無きことを独りごちながら、桜子は座敷に敷かれた布団の上に大の字に転がった。問題が解決するまで元の世界には帰さない、と宣言していたクロは、会議の後、街の外れの家に桜子を連行した。
いったん家に帰してほしい、と一応お願いしてみたが、「無理」と一蹴されてしまった。桜子としては、町中から忽然と姿を消してしまったわけで、そろそろ父に連絡を入れないと警察のご厄介になりそうで心配だったのだが、残念ながら携帯電話は圏外だった。一応異世界なのだから当然である。
そういうわけで、桜子は元の世界に連絡を取ることもできず、なぜか誘拐犯の家に泊まることになってしまった。
「人のこと拉致った非常識な奴に協力して、あまつさえ家に泊まるってさぁ……っていうか、実は自分が半妖でここが妖の世界でって……一日でいろんなことありすぎてヤバい」
しかし、一番ヤバいのはその状況に慣れつつある自分じゃなかろうか。
そう思い至ると、重苦しい溜息が出た。
いろいろありすぎて、疲れてしまった。
溜息と同時に目を閉じ、桜子はそのまま眠りに落ちた。
目が覚めたら、今までのすべてが夢だったとか、そういうオチならいいのに、と思いながら。




