第99話 まだ存在しない明日
――五日目。
朝。
俺は。
目を覚ました。
「……」
最初に。
何かがおかしいと。
思った。
静かすぎる。
いや。
違う。
静かなんじゃない。
聞こえすぎる。
鳥の声。
風の音。
木の葉が揺れる音。
遠くで誰かが笑っている声。
全部が。
はっきり聞こえる。
「……」
俺は。
窓を開けた。
朝の空気が。
部屋の中へ流れ込んでくる。
昨日まで。
この世界には。
こんな音が。
なかった。
少しずつ。
世界が。
細かくなっている。
時間が積み重なることで。
世界そのものが。
「生きている」。
そんな気がした。
「お兄ちゃん!」
「……!」
振り返る。
ミナが。
扉から顔を出していた。
「朝ご飯!」
「分かった」
「今日はパン!」
「昨日もパンだっただろ」
「今日は昨日より大きい!」
「……」
俺は。
笑ってしまった。
「それは楽しみだな」
「うん!」
ミナが。
走っていく。
俺も。
その後を。
追う。
廊下へ出ると。
名前のない少年が。
窓の前に立っていた。
昨日まで。
顔の輪郭すら。
曖昧だった。
でも。
今日は。
少しだけ。
はっきりしている。
黒い髪。
白い服。
そして。
黒かった瞳に。
小さな光がある。
「おはよう」
俺が。
声をかける。
少年は。
振り返る。
「……」
「おはよう」
小さな声。
それだけ。
でも。
昨日より。
ずっと。
人らしい。
「眠れた?」
「……分からない」
「夢は?」
「……見た」
「どんな夢?」
少年は。
空を見る。
「青い」
「空?」
頷く。
「すごく」
「広かった」
「……」
俺は。
笑う。
「いい夢だな」
少年は。
少しだけ。
笑った。
その時。
ミナが。
少年の手を。
取った。
「朝ご飯!」
「……」
少年が。
驚く。
「行こう!」
「……」
少し。
戸惑った後。
少年は。
頷いた。
「うん」
二人が。
先に走っていく。
俺は。
その背中を。
見ながら。
思った。
昨日。
この少年は。
存在すら。
していなかった。
五日目が。
なかったから。
生まれることが。
できなかった。
でも。
今。
ここにいる。
歩いている。
笑っている。
それだけで。
一つの未来が。
始まっている。
――。
朝食の席。
みんなが。
集まっている。
「おはよう!」
アリア。
「おはよう」
セリア。
「腹減った」
カイ。
「朝からそれ?」
ソア。
「食べる」
ノア。
「まだ焼けてないよ」
ハネ。
「……」
ユラは。
窓の外を。
眺めている。
「何見てるの?」
俺が。
聞く。
「終わり」
「……」
「雲の形が」
「消えていく」
ユラは。
少し。
寂しそうに。
笑った。
「でも」
「次の雲が」
「来る」
「そうだな」
終わりが。
ある。
でも。
終わったあとには。
何かが。
続く。
それも。
この世界が。
覚え始めたことだった。
「レオン」
エレナが。
呼ぶ。
「ん?」
「世界樹を」
「見た方がいい」
「……?」
俺たちは。
外へ出た。
世界樹の下。
昨日まで。
なかったものが。
また。
増えていた。
枝の先に。
小さな芽。
その芽に。
文字が浮かんでいる。
六日目
「……」
俺は。
芽を見る。
「六日目?」
「まだ」
「存在してないはずだよね?」
ミライが。
言う。
「ああ」
「でも」
「芽がある」
カナが。
近づく。
「未来が」
「先に」
「生まれた?」
「……」
その瞬間。
世界樹が。
揺れた。
――ざわ。
葉が。
一斉に。
揺れる。
そして。
芽の中から。
声がした。
『……』
小さな。
声。
『六日目を』
『選んで』
「……!」
全員が。
黙る。
「誰だ?」
俺が。
問う。
返事は。
ない。
代わりに。
芽が。
一つ。
二つ。
三つ。
増えていく。
そして。
世界樹の枝全体に。
無数の芽が。
現れた。
それぞれに。
数字が。
書かれている。
六。
七。
八。
九。
十。
さらに。
その先。
百。
千。
一万。
「……!」
リクが。
息を呑む。
「これ」
「未来全部?」
ミライが。
頷く。
「たぶん」
「まだ」
「選ばれていない」
「未来」
ハルが。
木を見る。
「でも」
「なんで」
「こんなに」
「先にあるんだ?」
俺は。
答えられなかった。
だが。
一つだけ。
分かる。
未来は。
一本の道じゃない。
何本も。
何百本も。
何千本も。
存在している。
その中から。
一つを。
選ぶ。
それが。
今までの。
俺たちだった。
でも。
今は。
違う。
未来そのものが。
自分で。
生まれようとしている。
「……」
その時。
名前のない少年が。
世界樹の前へ。
歩いていった。
「……」
少年は。
六日目の芽に。
触れる。
――ピカッ。
光。
そして。
少年の胸に。
一つの。
小さな時計が。
浮かんだ。
「……!」
少年が。
驚く。
時計の針は。
動いていない。
「これは?」
アオが。
近づく。
「時間」
「……」
「でも」
アオが。
首を傾げる。
「動いてない」
少年が。
時計を見る。
「……」
そして。
初めて。
自分から。
言った。
「動かしたくない」
「……」
俺は。
その言葉を。
聞いて。
笑った。
「いいんじゃないか」
少年が。
俺を見る。
「……」
「時計を」
「動かさなくてもいい」
「時間を」
「進めなくてもいい」
「止めてもいい」
「……」
「自分で」
「選べばいい」
少年は。
時計を。
見つめる。
そして。
少しだけ。
笑った。
「……うん」
その瞬間。
時計の針が。
一つ。
進んだ。
――カチ。
六日目。
その数字が。
光った。
「……」
世界樹の枝に。
新しい文字が。
刻まれる。
第十九原則――時間を選ぶ自由
時間は。
誰かに。
与えられるものじゃない。
誰かに。
奪われるものでもない。
自分が。
どう生きるか。
どの時間を。
大切にするか。
それも。
自分で。
選べる。
「……」
俺は。
その文字を。
見つめた。
また一つ。
この世界に。
新しい原則が。
生まれた。
でも。
その時。
少女の声が。
した。
「レオン」
「……!」
振り返る。
時間の外側の少女。
いつの間にか。
そこにいる。
「どうした?」
「六日目」
「うん」
「私」
「少し」
「怖い」
「……」
俺は。
近づく。
「何が?」
少女は。
世界樹を見る。
「時間が」
「増えていく」
「……」
「昨日までは」
「三日目」
「今日は」
「五日目」
「明日は」
「六日目」
「その先は」
「七日目」
「……」
少女は。
胸元を。
握る。
「時間が」
「増えるほど」
「失うものも」
「増える気がする」
「……」
俺は。
しばらく。
考えた。
そして。
言った。
「そうかもしれない」
少女が。
顔を上げる。
「……」
「時間が増えれば」
「別れも」
「増えるかもしれない」
「終わりも」
「増えるかもしれない」
「でも」
俺は。
続けた。
「出会いも」
「増える」
「笑った日も」
「増える」
「一緒に食べた朝も」
「増える」
「……」
「だから」
「全部」
「怖がらなくていい」
少女は。
黙っている。
そして。
小さく。
頷いた。
「……うん」
その時。
少年が。
こちらを見る。
「……」
何かを。
言いたそうにしている。
「どうした?」
少年は。
口を開く。
「……名前」
「ん?」
「俺」
「……」
「いつか」
「欲しい」
俺は。
笑った。
「そうか」
「うん」
「今じゃなくても?」
「うん」
「じゃあ」
「待とう」
少年は。
頷いた。
「……待つ」
少女が。
少年を見る。
「同じだね」
「……」
少年は。
少し。
考える。
「何が?」
「私も」
「まだ」
「名前がない」
少年は。
少女を見る。
「……」
そして。
初めて。
二人が。
笑った。
「同じ」
「うん」
「……」
俺は。
その光景を。
見ていた。
名前を。
持たない二人。
でも。
もう。
何者でもないわけじゃない。
自分で。
選び始めている。
それだけで。
十分だった。
――。
昼。
俺たちは。
畑を見に行った。
昨日の雨で。
土が。
柔らかくなっている。
「……」
ノアが。
しゃがむ。
「何か」
「出てる」
「本当?」
俺も。
覗き込む。
土の中から。
小さな芽が。
出ている。
「昨日は」
「なかったよね?」
アリアが。
言う。
「ああ」
「今日」
「生まれたんだ」
ノアが。
嬉しそうに。
笑う。
「名前!」
「え?」
「名前つけよう!」
「まだ早い」
カイが。
言う。
「植物にまで」
「名前つけるのか?」
「つける!」
「……」
ノアが。
真剣な顔をする。
「この子」
「頑張ってる」
「じゃあ」
「どうする?」
ノアは。
少し。
考える。
「……」
そして。
小さな芽を。
見つめる。
「ひかり」
「……」
「だって」
「暗い土から」
「出てきたから」
みんなが。
笑う。
「いい名前だね」
セリアが。
言う。
「うん!」
ノアが。
嬉しそうに。
頷く。
俺は。
その小さな芽を。
見る。
ひかり。
名前を。
つけられた。
今度は。
誰かが。
勝手に。
役割を。
押しつけたわけじゃない。
ノアが。
願い。
芽が。
受け入れた。
それだけ。
でも。
それが。
嬉しかった。
――。
夕方。
空が。
赤くなる。
俺は。
世界樹の下に。
座っていた。
隣には。
ユウト。
「兄貴」
「ん?」
「最近」
「変わったよな」
「俺が?」
「ああ」
「どういう意味?」
ユウトは。
空を見る。
「昔の兄貴なら」
「全部」
「自分で」
「何とかしようと」
「してた」
「……」
「世界も」
「未来も」
「みんなの命も」
「全部」
「自分で」
「背負おうとしてた」
俺は。
黙る。
確かに。
そうだった。
何度も。
何度も。
自分だけが。
頑張れば。
自分だけが。
犠牲になれば。
みんなが。
助かると思っていた。
「でも」
ユウトが。
笑う。
「今は」
「違う」
「……」
「みんなが」
「自分で」
「選んでる」
「ああ」
「だから」
「兄貴も」
「選べる」
「……」
俺は。
空を見る。
夕焼け。
昨日とは。
違う色。
「そうだな」
「それでいい」
ユウトが。
頷く。
「うん」
その時。
空に。
星が。
一つ。
現れた。
「……」
まだ。
夜じゃない。
なのに。
一つだけ。
星が。
見える。
アリアが。
遠くから。
叫ぶ。
「レオン!」
「ん?」
「空!」
みんなが。
空を見る。
星が。
一つ。
二つ。
三つ。
増えていく。
でも。
おかしい。
星の形が。
違う。
普通の星じゃない。
全部。
小さな。
時計の形をしている。
「……」
世界樹が。
震える。
そして。
空から。
声が。
降ってきた。
『六日目を』
『選ぶ』
「……」
『七日目を』
『選ぶ』
『八日目を』
『選ぶ』
『九日目を』
『選ぶ』
声が。
次々と。
響く。
まるで。
世界そのものが。
未来を。
要求している。
「待て」
俺は。
空に。
叫ぶ。
『……』
「俺たちは」
「全部」
「今すぐ」
「選ばない」
『……』
「明日は」
「明日になったら」
「選ぶ」
『……』
「その先は」
「その先になったら」
「選ぶ」
「今」
「全部を」
「決めない」
沈黙。
そして。
星が。
一つ。
消えた。
「……」
続いて。
二つ。
三つ。
全部。
消えていく。
最後に。
一つだけ。
残った。
その星には。
数字が。
ない。
「……?」
ミライが。
呟く。
「数字がない」
「……」
俺は。
その星を見る。
数字がない。
六でも。
七でも。
百でも。
千でもない。
ただ。
白い光。
そして。
その光の中から。
声がした。
『まだ』
『名前がない』
「……」
『まだ』
『日付がない』
「……」
『だから』
『まだ』
『選べない』
俺は。
その声を。
聞いて。
思わず。
笑った。
「……そうか」
『……』
「じゃあ」
「待てばいい」
『……』
「名前も」
「日付も」
「自分で」
「選びたくなった時に」
「選べばいい」
白い光が。
ゆっくり。
輝く。
『……分かった』
そして。
星は。
消えた。
――。
夜。
みんなが。
眠ったあと。
俺は。
一人。
外に出た。
空を見る。
星は。
普通に。
戻っている。
静かな夜。
「……」
その時。
後ろから。
足音。
振り返る。
名前のない少年だった。
「どうした?」
少年は。
俺の隣に。
座る。
「……」
しばらく。
何も言わない。
そして。
小さな声で。
言った。
「俺」
「今日」
「名前」
「考えた」
「……」
俺は。
笑う。
「何て名前?」
少年は。
首を振る。
「まだ」
「決めてない」
「……」
「でも」
「一つ」
「思った」
「何?」
少年は。
空を見る。
「俺は」
「ここに」
「いたい」
「……」
その言葉に。
胸が。
熱くなる。
「それなら」
「もう」
「十分だ」
「……」
少年は。
頷く。
「うん」
その時。
世界樹の根元で。
小さな光が。
生まれた。
それは。
昨日。
五日目に。
生まれた光とは。
違う。
もっと。
小さく。
もっと。
弱い。
でも。
確かに。
生きている。
俺は。
近づく。
「……」
光の中に。
一つの文字が。
浮かんだ。
六日目。
その下に。
さらに。
文字。
名前を持たない者が、ここにいた。
俺は。
笑った。
「……それでいい」
少年も。
笑う。
「……うん」
そして。
世界樹の葉が。
一枚。
落ちた。
地面に。
触れる前に。
光になる。
その光の中から。
声。
『六日目は』
『まだ』
『終わっていない』
「……?」
俺は。
顔を上げる。
世界樹の上。
夜空の向こう。
そこに。
巨大な。
白い扉が。
現れていた。
扉には。
数字がない。
文字もない。
ただ。
一つだけ。
小さな穴。
鍵穴。
「……」
俺は。
胸元を見る。
そこには。
いくつもの光。
そして。
一つ。
見覚えのない。
古い鍵が。
浮かんでいる。
「……いつの間に」
少年が。
鍵を見る。
「それ」
「何?」
「分からない」
でも。
なぜか。
分かる。
この鍵は。
「未来」のためじゃない。
「過去」のためでもない。
まだ。
名前のない。
時間のための鍵だ。
俺が。
鍵を。
握る。
すると。
白い扉の向こうから。
声がした。
『開けて』
「……誰だ?」
『私』
「……」
『あなたが』
『まだ』
『選んでいない』
『最後の一日』
「……!」
俺の手が。
止まる。
最後の一日。
その言葉が。
胸に。
重く響く。
「……最後?」
『そう』
『六日目の先に』
『最後の日がある』
「……」
『でも』
『まだ』
『存在しない』
「……」
『だから』
『あなたが』
『選んで』
扉が。
ゆっくり。
開き始める。
その隙間から。
白い光が。
漏れる。
そして。
その向こうから。
聞こえてきた声。
俺は。
その声を。
知っていた。
忘れたこともない。
でも。
今。
ここにいるはずがない。
「……ユウト?」
扉の向こうで。
誰かが。
笑った。
『――兄ちゃん』
俺は。
息を呑んだ。
「……」
でも。
隣にいるユウトが。
同時に。
立ち上がる。
「……兄貴」
「……ああ」
二人で。
扉を見る。
そこにいるのは。
本物のユウトなのか。
過去のユウトなのか。
それとも。
まだ存在していない。
「別の未来」なのか。
扉が。
完全に。
開く。
白い光の向こう。
そこに。
一人の少年が。
立っていた。
そして。
少年は。
笑う。
『やっと』
『見つけた』
『僕の』
『六日目を』




