第98話 存在しない五日目
――白。
何もない。
音も。
匂いも。
温度も。
何もない。
「……」
俺は。
立っているのか。
それすら。
分からなかった。
目を開けているのか。
閉じているのか。
それすら。
分からない。
ただ。
一つだけ。
分かる。
「……五日目」
そう呟いた。
けれど。
声は。
返ってこない。
「……」
昨日。
月の中の目が。
言った。
――ならば。
――五日目は。
――存在しない。
「……」
俺は。
手を伸ばす。
何もない。
「アリア?」
返事がない。
「ユウト?」
返事がない。
「ミナ?」
返事がない。
「……みんな?」
静寂。
胸が。
締めつけられる。
「……!」
俺は。
走った。
どこへ向かっているのか。
分からない。
それでも。
走る。
「みんな!」
声が。
響かない。
まるで。
世界そのものが。
俺の声を。
拒絶している。
その時。
足元に。
何かが。
あった。
「……?」
拾う。
小さな。
紙。
そこには。
文字が。
一つ。
書かれていた。
四日目。
「……」
裏返す。
何もない。
もう一度。
表を見る。
四日目。
「五日目は?」
俺は。
紙を握る。
すると。
紙が。
震えた。
文字が。
変わる。
五日目は、まだ選ばれていない。
「……」
俺は。
息を呑む。
まだ。
選ばれていない?
つまり。
五日目は。
消えたのではない。
「存在していない」のではなく。
「存在するかどうかを」
「まだ決めていない」。
「……」
だったら。
取り戻せる。
俺は。
紙を。
握りしめる。
「俺が」
「選ぶ」
その瞬間。
白い世界に。
一本の。
道が。
現れた。
道の先。
そこに。
誰かが。
立っている。
銀色の髪。
白い服。
透明な瞳。
名前のない少女。
「……」
少女は。
俺を見る。
「来たんだ」
「お前が」
「呼んだのか?」
少女は。
首を振る。
「私は」
「呼んでない」
「じゃあ」
「どうして」
「ここに?」
少女は。
少しだけ。
悲しそうに。
笑った。
「ここは」
「昨日だから」
「……」
「あなたたちが」
「失った」
「昨日」
「でも」
「まだ」
「残ってる」
「どこに?」
少女は。
自分の胸に。
手を当てる。
「私の中」
「……」
「私は」
「時間の外側で」
「待ってた」
「その間」
「あなたたちが」
「忘れた時間を」
「ずっと」
「見てた」
「……」
俺は。
少女を見る。
「じゃあ」
「五日目は?」
少女は。
首を振る。
「五日目は」
「まだ」
「ない」
「どうして?」
「昨日が」
「戻ってないから」
「……」
「時間は」
「昨日の上に」
「今日を」
「作る」
「昨日がないと」
「今日も」
「本当には」
「存在できない」
俺は。
黙った。
確かに。
そうだ。
四日目の前には。
三日目がある。
三日目の前には。
二日目。
二日目の前には。
一日目。
それなら。
五日目の前には。
四日目がある。
でも。
四日目そのものが。
「失われた昨日」を。
抱えている。
「……」
少女が。
俺を見る。
「レオン」
「ん?」
「あなたは」
「昨日を」
「取り戻したい?」
「ああ」
「どうして?」
「みんなが」
「そこにいたから」
「……」
「アリアも」
「ユウトも」
「ミナも」
「みんな」
「四日目を」
「生きてた」
「だから」
「その一日を」
「なかったことにしたくない」
少女は。
静かに。
笑った。
「……そう」
そして。
手を差し出す。
「じゃあ」
「行こう」
「どこへ?」
「最初の昨日へ」
「……」
少女の手を。
握る。
その瞬間。
世界が。
反転した。
――。
雨。
冷たい雨。
空。
曇っている。
世界樹。
まだ。
今より。
小さい。
「……」
俺は。
息を呑んだ。
そこに。
みんながいた。
アリア。
ユウト。
ミナ。
セリア。
ノア。
カイ。
ソア。
ハル。
リク。
ハネ。
カナ。
ユラ。
エレナ。
ミライ。
リオ。
全員。
いる。
ただし。
誰も。
俺たちを。
見ていない。
「……」
これは。
過去。
俺たちが。
生きた。
四日目。
その一部。
アリアが。
笑っている。
「雨だね」
ユウトが。
薪を運んでいる。
ノアが。
パンを。
食べている。
ミナが。
雨を。
触っている。
「……」
俺は。
その光景を。
見つめる。
懐かしい。
まだ。
数時間しか。
経っていないのに。
遠い。
昔のように。
感じる。
「……」
少女が。
隣にいる。
「ここが」
「失われた昨日?」
「うん」
「でも」
「普通に」
「存在してる」
「そう」
「じゃあ」
「どうして」
「消えた?」
少女は。
答えない。
その代わり。
空を。
指差す。
雲の向こう。
巨大な。
黒い時計が。
浮かんでいた。
針が。
逆方向へ。
動いている。
――カチ。
――カチ。
時間を。
巻き戻している。
「……」
俺は。
時計を見る。
「あれを」
「止めればいいのか?」
「違う」
少女が。
言う。
「あれは」
「時間を」
「戻してるんじゃない」
「……」
「忘れられた時間を」
「集めてる」
「集める?」
「うん」
「誰が?」
少女が。
時計を見る。
「時間そのもの」
「……」
その瞬間。
時計の針が。
止まった。
そして。
文字盤の中心から。
黒い光が。
落ちてくる。
――ドン。
地面に。
黒い人影が。
立つ。
「……」
俺は。
その姿を。
見た。
黒い髪。
黒い瞳。
白い服。
「……五人目?」
違う。
似ている。
でも。
違う。
その存在には。
顔がない。
輪郭だけ。
人の形をしている。
「お前は」
「誰だ?」
影が。
こちらを見る。
「……」
声が。
しない。
俺は。
一歩。
近づく。
「名前は?」
「……」
影は。
首を振る。
「名前がないのか?」
頷く。
「じゃあ」
「何者なんだ?」
影が。
自分の胸を。
指す。
そこには。
何もない。
「……」
少女が。
呟く。
「この子は」
「名前を」
「失ったんじゃない」
「……」
「名前を」
「持つ前に」
「時間を」
「失った」
「……」
俺は。
影を見る。
「どういうこと?」
「この子は」
「五日目に」
「生まれるはずだった」
「……!」
「でも」
「五日目が」
「なくなったから」
「生まれられなかった」
俺は。
息を呑む。
「……未来の存在?」
「ううん」
「まだ」
「未来ですらない」
「……」
「可能性」
「でも」
「可能性だけじゃない」
少女は。
影の手を。
取った。
「この子には」
「生まれる未来が」
「一つ」
「ちゃんと」
「あった」
俺は。
影を見る。
「じゃあ」
「五日目を」
「取り戻せば」
「生まれる?」
少女は。
頷いた。
「たぶん」
「……」
俺は。
影に。
手を伸ばす。
影は。
逃げない。
その手を。
握った。
冷たい。
でも。
確かに。
そこにいる。
「……」
その瞬間。
俺の胸の。
光が。
一つ。
強く。
輝いた。
リオの光。
ミライの光。
そして。
もう一つ。
知らない光。
小さな。
白い光。
「……?」
俺は。
驚く。
この光は。
今まで。
見たことがない。
影も。
それを。
見ている。
「……」
そして。
初めて。
声を出した。
「……あ」
小さな声。
人の声。
「声が」
「出た?」
影は。
自分の喉に。
触れる。
「……」
そして。
もう一度。
「……あ」
今度は。
はっきり。
聞こえた。
「おれ」
「……」
「おれ」
「……」
俺は。
笑った。
「そうだ」
「お前は」
「ここにいる」
「……」
影が。
俺を見る。
「ここ?」
「ああ」
「ここ」
「……」
その瞬間。
空から。
黒い時計が。
落ちてくる。
「……!」
少女が。
叫ぶ。
「逃げて!」
「……!」
時計が。
地面に。
突き刺さる。
――ドン!
世界が。
揺れる。
雨が。
止まる。
みんなの姿が。
一瞬で。
消えかける。
「……!」
アリアが。
消える。
ユウトが。
消える。
ミナが。
消える。
「待て!」
俺は。
叫ぶ。
でも。
声が。
届かない。
少女が。
俺の腕を。
掴む。
「レオン!」
「……!」
「これは」
「時間の回収!」
「どうすればいい?」
「決めて!」
「何を!」
「昨日を」
「残すか」
「捨てるか!」
「……」
その言葉に。
俺は。
固まった。
残す。
それは。
過去を。
未来へ。
持っていくこと。
捨てる。
それは。
前へ。
進むこと。
「……」
俺は。
目を閉じる。
何度も。
何度も。
同じ選択を。
してきた。
過去を。
捨てる。
失敗を。
消す。
犠牲を。
なかったことにする。
そうして。
世界を。
やり直した。
でも。
今は。
違う。
「俺は」
「捨てない」
少女が。
目を見開く。
「……」
「昨日も」
「今日も」
「全部」
「持っていく」
「失敗も」
「悲しみも」
「後悔も」
「全部」
「俺たちの」
「時間だ」
時計が。
大きく。
震える。
「……!」
俺は。
叫ぶ。
「四日目を」
「返せ!」
その瞬間。
世界樹が。
光った。
――ドンッ!
時計に。
ひびが入る。
「……!」
一つ。
二つ。
三つ。
ひびが。
広がる。
そして。
時計が。
砕けた。
無数の。
黒い破片が。
空へ。
飛び散る。
その一つ一つが。
光へ。
変わる。
昨日。
忘れられていた。
時間。
小さな。
思い出。
声。
笑い声。
雨。
パンの匂い。
ミナの笑顔。
ノアの声。
アリアの笑い。
ユウトの言葉。
全部。
全部が。
世界へ。
戻っていく。
「……」
俺は。
それを。
見つめる。
すると。
胸の奥が。
温かくなった。
時間が。
戻ってくる。
昨日が。
戻ってくる。
そして。
世界が。
動き出す。
――カチ。
時計の音。
でも。
今度は。
前へ。
――カチ。
一秒。
――カチ。
二秒。
――カチ。
三秒。
「……」
少女が。
笑う。
「五日目」
「……」
「始まるよ」
「……ああ」
空が。
明るくなる。
雨が。
上がる。
雲が。
流れる。
そして。
太陽が。
昇る。
――五日目。
初めて。
その日が。
存在した。
「……」
俺は。
空を見る。
そして。
隣を見る。
さっきの影。
まだ。
そこにいる。
でも。
少しだけ。
輪郭が。
はっきりしている。
黒い髪。
白い服。
まだ。
顔は。
よく見えない。
「……」
俺は。
聞く。
「お前」
「名前」
「どうする?」
影は。
しばらく。
黙っている。
そして。
首を振った。
「……」
「まだ?」
頷く。
俺は。
笑った。
「分かった」
「急がなくていい」
「……」
影が。
俺を見る。
そして。
初めて。
小さく。
笑った。
「……」
その瞬間。
世界樹の葉に。
文字が。
浮かぶ。
第五日目
そして。
その下に。
新しい原則が。
刻まれた。
第十八原則――過去を持ったまま、前へ進む自由
過去を。
捨てる必要はない。
過去に。
戻る必要もない。
昨日を。
抱えたまま。
今日を。
選び。
明日へ。
進んでいい。
「……」
俺は。
その文字を。
見上げた。
五日目。
まだ。
始まったばかり。
でも。
もう。
一つの未来が。
生まれている。
その時。
後ろから。
声がした。
「レオン?」
「……!」
振り返る。
アリアだった。
「どうしたの?」
「……」
俺は。
一瞬。
言葉が出なかった。
ちゃんと。
そこにいる。
「いや」
俺は。
笑う。
「おはよう」
「……?」
アリアが。
首を傾げる。
「おはよう」
「今日は」
「何か」
「嬉しそうだね」
「ああ」
「どうして?」
俺は。
空を見る。
「五日目だから」
「……」
アリアが。
笑った。
「そうだね」
「五日目」
「今日も」
「ちゃんと」
「ある」
「ああ」
俺たちは。
歩き出す。
その後ろから。
まだ名前のない影が。
ゆっくり。
ついてくる。
誰も。
その存在を。
怖がらない。
誰も。
役割を。
決めない。
誰も。
名前を。
押しつけない。
ただ。
一緒に。
歩く。
それだけ。
――。
その日の夜。
俺は。
日記を開いた。
一行。
書く。
――五日目。
少し考えて。
もう一行。
――昨日を取り戻した。
そして。
最後に。
もう一行。
――名前のない誰かと、一緒に歩き始めた。
ペンを置く。
その時。
窓の外から。
声がした。
「……」
誰かが。
笑った。
振り返る。
窓の外。
名前のない影が。
月を。
見上げている。
その横に。
あの少女が。
立っていた。
時間の外側の少女。
「……」
二人は。
何も。
話さない。
ただ。
月を。
見ている。
俺は。
思った。
名前がなくても。
過去がなくても。
未来が決まっていなくても。
存在することは。
できる。
そして。
いつか。
自分で。
選ぶ日が来る。
――。
そのさらに遠く。
時間の外側。
壊れた時計の残骸の中。
一つだけ。
黒い針が。
動いていた。
――カチ。
――カチ。
そして。
その針の先に。
小さな文字が。
浮かぶ。
六日目
その下に。
さらに。
文字。
まだ存在していない。
そして。
最後に。
誰かの声。
『……次は』
『私が』
『選ぶ』




