第95話 千年後の約束
――二日目。
朝。
俺は目を覚ました。
昨日と同じ天井。
昨日と同じ窓。
昨日と同じ世界樹。
なのに。
昨日とは違う。
「……二日目か」
小さく呟く。
たった一日。
それだけしか経っていない。
それなのに。
世界が少しだけ違って見えた。
窓から差し込む光。
風の音。
鳥の声。
朝の匂い。
全部が。
「昨日の続き」だった。
「……」
俺は。
それが妙に嬉しかった。
百七十二の世界では。
朝が来ても。
その朝は。
やがて消えていった。
世界そのものが。
やり直されていたから。
でも。
今は違う。
昨日が。
ちゃんと残っている。
「お兄ちゃん!」
「……!」
ノアが。
扉を勢いよく開けた。
「朝!」
「分かってる」
「お腹空いた!」
「それも分かってる」
「パン!」
「……」
俺は。
笑う。
「今行く」
「うん!」
ノアが。
走っていく。
その後ろから。
ユウトが。
顔を出した。
「兄貴」
「ん?」
「昨日の夜」
「世界樹の下にいた?」
「……」
「やっぱり」
ユウトは。
ため息をつく。
「一人で悩むなよ」
「……悪い」
「別に」
ユウトは。
笑った。
「兄貴が」
「一人で抱え込むの」
「今に始まったことじゃないし」
「……」
「でも」
ユウトが。
俺の肩を叩く。
「今は」
「一人じゃないだろ?」
「……ああ」
その言葉が。
胸に響いた。
俺たちは。
食卓へ向かう。
そこでは。
もう。
朝食が始まっていた。
「おはよう」
「おはよう」
アリアが。
笑う。
「よく眠れた?」
「まあまあ」
「ミナと話してた?」
「……知ってたのか」
「顔に書いてある」
「そんなに?」
「うん」
「……」
みんなが。
笑う。
いつもの朝。
だけど。
今日は。
少しだけ。
違った。
リオが。
食卓に座っている。
昨日までは。
少し離れていた。
でも。
今日は。
俺の隣だった。
「リオ」
「ん?」
「昨日」
「普通の朝を覚えようって」
「言っただろ?」
「うん」
「どうだった?」
リオは。
パンを。
一口。
食べる。
「……おいしい」
「それだけ?」
「うん」
「それが?」
「嬉しい」
俺は。
笑った。
「そっか」
その瞬間。
世界樹が。
小さく。
揺れた。
――さら。
葉が。
一枚。
落ちる。
でも。
昨日とは違う。
葉が。
地面に落ちる前に。
光になった。
そして。
空中に。
文字が浮かぶ。
二日目
「……」
みんなが。
それを見る。
ミナが。
静かに。
呟く。
「時間が」
「記録してる」
アリアが。
聞く。
「誰が?」
「……」
誰も。
答えられない。
昨日。
黒い実の中から。
声がした。
――記録開始。
そして。
時間は。
二日目を。
記録した。
「……」
俺は。
世界樹の上を見る。
黒い実。
まだ。
そこにある。
「ちょっと」
「見てくる」
「私も行く」
アリアが。
立ち上がる。
「いや」
「一人で」
「……」
アリアが。
俺を見る。
「また?」
「……」
「一人で行くの?」
「……」
「レオン」
「うん」
「もう」
「それ」
「やめよう?」
「……」
俺は。
何も。
言えなかった。
アリアは。
少し。
笑う。
「一緒に行こう」
「……ああ」
二人で。
世界樹へ向かった。
木の根元まで。
来る。
上を見る。
黒い実。
透明な目。
眠っている。
「……」
アリアが。
見上げる。
「これ」
「怖いね」
「うん」
「でも」
「昨日より」
「少しだけ」
「近く感じる」
「……」
俺は。
実に。
手を伸ばす。
その瞬間。
目が。
開いた。
『二日目』
「……」
『昨日より』
『一日』
『進んだ』
「当たり前だろ」
『そう』
『それが』
『時間』
「……」
『一日ずつ』
『世界は』
『過去になっていく』
『未来は』
『近づいていく』
俺は。
聞く。
「お前は」
「未来を」
「知ってるのか?」
『記録する』
「答えになってない」
『私は』
『未来を』
『作らない』
『ただ』
『記録する』
「じゃあ」
「千年後は?」
『記録されている』
「……!」
俺は。
息を呑む。
「ミナが見た」
「千年後の未来も?」
『そう』
「誰がいる?」
『レオン』
「……」
『そして』
『もう一人』
「誰だ?」
沈黙。
『それは』
『まだ』
『名前を』
『持たない』
「……」
アリアが。
俺を見る。
「名前を持たない?」
『千年後の』
『彼女は』
『まだ』
『選ばれていない』
「彼女……?」
その言葉に。
胸が。
ざわつく。
「女の子なのか?」
『そう』
「誰なんだ?」
『それは』
『お前が』
『千年後に』
『出会う』
『存在』
「……」
『今』
『知る必要はない』
「どうして?」
『未来を』
『先に』
『決めないため』
「……」
その言葉は。
俺たちが。
ずっと。
守ってきたものと。
同じだった。
未来を。
固定しない。
誰かの未来を。
先に決めない。
「……分かった」
俺は。
手を下ろす。
「じゃあ」
「千年後まで」
「生きてみる」
アリアが。
驚く。
「千年?」
「そう」
「長すぎない?」
「……」
俺は。
笑った。
「分からない」
「でも」
「昨日」
「明日を選んだ」
「今日は」
「明後日を選ぶ」
「その先も」
「一日ずつ」
「進んでみる」
アリアが。
笑う。
「じゃあ」
「私も」
「……」
「千年」
「付き合ってあげる」
「千年は」
「さすがに」
「約束できないだろ」
「そう?」
アリアは。
空を見る。
「時間は」
「まだ」
「何も決めてない」
「……」
「だったら」
「その時に」
「また決めればいい」
俺は。
笑った。
「そうだな」
その瞬間。
黒い実の中で。
透明な目が。
わずかに。
揺れた。
『……記録』
『二人』
『未来を』
『約束した』
そして。
実の表面に。
新しい文字が浮かんだ。
記録:最初の約束
「……」
俺は。
その文字を見る。
最初の約束。
それは。
ずっと前にも。
あった。
――一緒にいよう。
――また会おう。
ルナとの。
最初の約束。
そして。
今。
俺は。
アリアと。
千年後の話をした。
「……」
約束は。
時間を超える。
でも。
約束が。
誰かを縛るものになってはいけない。
だから。
俺は。
アリアに。
言った。
「一つだけ」
「何?」
「千年後」
「もし」
「アリアが」
「俺と違う道を」
「選んでたら」
「……」
「その時は」
「その未来を」
「大事にしてくれ」
アリアは。
少し。
黙った。
そして。
笑った。
「分かった」
「……」
「じゃあ」
「レオンも」
「約束して」
「何を?」
「私が」
「別の未来を選んだとしても」
「私のことを」
「恨まないで」
「……」
胸が。
痛んだ。
でも。
頷いた。
「分かった」
「それなら」
「千年後も」
「きっと」
「会えるね」
「……ああ」
その瞬間。
世界樹の枝から。
小さな光が。
二つ。
落ちた。
俺の手のひらに。
一つ。
アリアの手のひらに。
一つ。
それぞれ。
違う色。
違う形。
「……」
アリアが。
光を見る。
「これ」
「約束?」
「たぶん」
「じゃあ」
「持ってていい?」
「ああ」
光は。
それぞれの胸へ。
入っていった。
温かかった。
その瞬間。
世界が。
また。
一つ。
変化した。
遠くで。
海が。
揺れる。
山が。
少しだけ。
形を変える。
草が。
伸びる。
花が。
咲く。
世界が。
時間を。
受け入れていく。
「……」
俺は。
空を見る。
そして。
思った。
この世界は。
まだ。
二日目。
始まったばかりだ。
だから。
千年後なんて。
想像できない。
でも。
一日ずつなら。
進める。
そう思った。
その時。
――ドン。
大地が。
揺れた。
「……!」
アリアが。
俺の腕を掴む。
「何!?」
世界樹の根元。
そこに。
一本の。
黒い線が。
走っている。
ひび割れ。
違う。
それは。
道だった。
地面の下から。
黒い光が。
伸びている。
「……」
その先に。
小さな。
扉が。
現れた。
扉には。
数字が。
刻まれている。
――1000。
「……千?」
俺は。
息を呑む。
「千年後?」
アリアも。
固まっている。
扉の向こうから。
声がした。
『まだ』
『開けないで』
「……!」
聞いたことのある声。
ミナだ。
でも。
違う。
今のミナの声ではない。
もっと。
大人びている。
もっと。
静かで。
寂しい声。
『お願い』
『今は』
『まだ』
『開けないで』
俺は。
扉を見る。
「お前は」
「誰だ?」
沈黙。
そして。
扉の向こうから。
答えが返ってくる。
『……』
『私は』
『千年後の』
『ミナ』
「……!」
アリアが。
息を呑む。
「ミナ……?」
『うん』
『お兄ちゃん』
俺は。
動けなかった。
今。
家にいる。
ミナ。
その本人ではない。
千年後の。
ミナ。
未来の記憶。
未来の存在。
その声が。
扉の向こうから。
続く。
『お願い』
『千年前の』
『お兄ちゃん』
『まだ』
『こっちに』
『来ないで』
「どうして?」
『だって』
『まだ』
『お兄ちゃんが』
『知らない方がいいことが』
『いっぱいあるから』
「……」
『それに』
『もし』
『今』
『この扉を開けたら』
『千年後の世界が』
『変わってしまう』
「……」
俺は。
拳を握る。
「未来を」
「変えることが」
「怖いのか?」
『違う』
『私は』
『未来が』
『変わることを』
『望んでる』
「じゃあ」
「なぜ?」
長い沈黙。
そして。
千年後のミナが。
小さく。
言った。
『……お兄ちゃんが』
『一人で』
『ここに来る未来だけは』
『変えたいから』
「……!」
『だから』
『千年後』
『私たちが』
『迎えに行く』
『それまで』
『みんなと』
『生きて』
『笑って』
『喧嘩して』
『ご飯を食べて』
『普通に』
『年を取って』
『普通に』
『明日を』
『迎えて』
『お願い』
『それが』
『私の』
『未来だから』
「……」
俺は。
扉に。
手を置く。
「分かった」
『……』
「開けない」
『……うん』
「千年後まで」
「待つ」
『うん』
「でも」
俺は。
笑った。
「一つだけ」
『何?』
「千年後」
「俺が」
「そっちに行ったら」
「ちゃんと」
「笑って迎えてくれ」
沈黙。
そして。
小さな笑い声。
『もちろん』
『だって』
『私』
『ずっと』
『待ってたから』
「……」
扉が。
ゆっくり。
消えていく。
最後に。
千年後のミナが。
言った。
『お兄ちゃん』
「ん?」
『――千年後も』
『生きててね』
そして。
扉は。
消えた。
「……」
俺は。
しばらく。
動けなかった。
アリアが。
隣に立つ。
「レオン」
「……」
「千年後」
「うん」
「行こうね」
「ああ」
「一緒に?」
俺は。
少し。
考える。
そして。
笑った。
「それは」
「千年後の」
「俺たちが」
「決めることだ」
アリアも。
笑った。
「そうだね」
その瞬間。
世界樹の。
黒い実が。
また。
一度。
揺れた。
『記録』
『二日目』
『未来との接触』
そして。
その内部で。
透明な目が。
初めて。
笑った。
『……千年』
『長いね』
『でも』
『時間は』
『待つためにも』
『ある』
――。
その夜。
俺は。
日記に。
一行。
書いた。
――二日目。
――千年後のミナと話した。
――千年後にも、明日があるらしい。
ペンを置く。
そして。
窓の外を見る。
星が。
輝いている。
その一つが。
少しだけ。
瞬いた。
まるで。
誰かが。
遠くから。
こちらを。
見ているように。
俺は。
小さく。
笑った。
「おやすみ」
誰に言ったのか。
自分でも。
分からなかった。
ただ。
返事が。
聞こえた気がした。
『おやすみ』
そして。
夜が。
深くなる。
世界は。
眠る。
時間は。
進む。
三日目へ。
四日目へ。
五日目へ。
一日ずつ。
一歩ずつ。
未来へ。
――その頃。
誰も知らない。
時間の外側。
千年後でも。
千年前でもない。
「最後の世界」の。
さらに外。
そこに。
一人の少女が。
立っていた。
長い銀色の髪。
透明な瞳。
白い服。
その手には。
一冊の。
古い本。
表紙には。
何も書かれていない。
少女は。
本を開く。
そこには。
最初の一行。
――一日目。
少女は。
微笑む。
「……始まった」
次のページを。
めくる。
――二日目。
そして。
そのページの端に。
小さく。
文字が。
浮かび上がった。
レオン、アリア、ミナ。
少女は。
その名前を。
指でなぞる。
「……まだ」
「ここには」
「私の名前が」
「ない」
彼女は。
寂しそうに。
笑った。
「でも」
「大丈夫」
本を閉じる。
「千年後」
「私も」
「自分で」
「名前を選ぶから」
そして。
少女は。
時間の外側で。
一人。
歩き始めた。
その先に。
巨大な。
時計が。
あった。
時計の針は。
動いていない。
少女が。
その時計に。
触れる。
すると。
初めて。
針が。
動いた。
――カチ。
一秒。
――カチ。
二秒。
――カチ。
三秒。
少女が。
呟く。
「時間は」
「もう」
「止めない」
そして。
遠く。
レオンたちの世界で。
世界樹が。
小さく。
揺れた。
――カチ。
時間は。
進み始めた。
そして。
まだ誰も知らない。
「最後の世界」への道が。
少しずつ。
開き始めていた。




