第91話 零の世界
――カチッ。
扉が。
完全に開いた。
その瞬間。
音が消えた。
風も。
波も。
仲間たちの足音も。
何もかも。
消えた。
「……」
俺は。
扉の向こうを。
見つめる。
そこには。
何もなかった。
大地もない。
空もない。
光もない。
闇すらない。
ただ。
「存在する」という言葉だけが。
そこに浮かんでいるような。
そんな空間だった。
「……ここが」
俺は。
呟く。
「零の世界」
イオが。
頷いた。
「正確には」
「世界になる前の場所」
「……」
原初が。
扉の前で。
立ち止まる。
「私は」
「ここから先へは」
「行けない」
「どうして?」
「私は」
「世界が生まれた後の存在だから」
「……」
観測者も。
同じだった。
「私もだ」
「ここには」
「記録が存在しない」
「記録が?」
「ああ」
「記録される前だからだ」
俺は。
振り返る。
原初。
観測者。
そして。
みんな。
「じゃあ」
「ここから先は」
「俺たちだけか」
「違う」
イオが。
首を振った。
「四人」
「……」
イオが。
俺を見る。
「レオン」
「ルナ」
「最初のユウト」
「そして」
「私」
「……」
俺は。
拳を握った。
「行こう」
一歩。
踏み出す。
その瞬間。
足元に。
波紋が広がった。
水ではない。
時間でもない。
「可能性」だった。
俺が。
今まで。
選んだ可能性。
選ばなかった可能性。
選べなかった可能性。
全部が。
波紋となって。
広がっていく。
「……すごい」
ミライが。
呟く。
「これ」
「全部」
「未来?」
「違う」
イオが。
答えた。
「未来になる前のもの」
「……」
「可能性ですら」
「まだ」
「選ばれていない」
「じゃあ」
「これは」
「何?」
イオは。
少し考えて。
言った。
「――余白」
「余白?」
「うん」
「何でも書ける」
「何も書かなくてもいい」
「まだ」
「誰のものでもない場所」
俺は。
その言葉を。
聞きながら。
歩いた。
すると。
遠くに。
小さな光が。
見えた。
「……?」
近づく。
光が。
少しずつ。
形を持っていく。
最初に。
現れたのは。
白い髪。
次に。
赤い瞳。
小さな身体。
「……」
俺は。
息を止めた。
「ルナ」
そこに。
ルナがいた。
まだ。
今のルナではない。
もっと小さい。
もっと幼い。
そして。
何も知らない顔をしている。
「……」
俺たちを。
見つめる。
『あなたたち』
声も。
今より幼い。
『だれ?』
俺は。
胸が。
締めつけられた。
「……俺は」
名乗ろうとした。
だが。
イオが。
俺の腕を掴んだ。
「待って」
「……?」
「まだ」
「名前を」
「教えないで」
「どうして?」
「ここでは」
「名前を知った瞬間」
「その存在が」
「一つの形に」
「固定される」
「……」
イオは。
幼いルナを見る。
「まだ」
「この子は」
「ルナじゃない」
「……」
「ルナになる前の」
「何でもない存在」
俺は。
もう一度。
少女を見る。
「……」
少女は。
俺たちを見ながら。
不安そうに。
首を傾げている。
『一人なの』
「……」
その言葉に。
胸が痛んだ。
「違う」
思わず。
答えた。
「もう」
「一人じゃない」
少女が。
俺を見る。
『……ほんと?』
「ああ」
『どうして?』
「俺が」
「ここにいるから」
「……」
少女が。
少しだけ。
笑った。
その瞬間。
世界が。
震えた。
イオが。
目を見開く。
「……早い」
「何が?」
「始まりが」
「動き始めた」
足元から。
光が。
広がる。
幼いルナの周囲に。
一つ。
また一つ。
小さな光が。
生まれていく。
そして。
その中から。
少年が。
現れた。
黒い髪。
赤い瞳。
「……」
俺は。
息を呑む。
「ユウト……」
少年は。
俺を見る。
『……お兄ちゃん?』
「……!」
違う。
今のユウトではない。
でも。
確かに。
ユウトだった。
「最初のユウト」
イオが。
呟く。
少年は。
まだ。
名前を知らない。
自分が。
何者なのかも。
分かっていない。
ただ。
俺を見て。
笑った。
『お兄ちゃん』
「……ああ」
俺も。
笑う。
『一緒にいていい?』
「ああ」
『ずっと?』
「……」
俺は。
答えようとして。
止まった。
以前なら。
きっと。
「ずっと」と。
答えていた。
でも。
今は。
違う。
「ずっと」
「同じ場所にいる必要はない」
少年が。
首を傾げる。
「でも」
俺は。
続けた。
「離れても」
「また」
「会えばいい」
『……』
「だから」
「一緒にいよう」
「それぞれの場所で」
少年は。
少し。
考えて。
笑った。
『うん』
その瞬間。
二人の光が。
重なった。
ルナになる前の少女。
ユウトになる前の少年。
そして。
俺。
三つの光が。
初めて。
同じ場所に。
並んだ。
イオは。
その光景を。
静かに見ていた。
「……」
俺は。
イオを見る。
「お前は?」
「……」
「いつ」
「そこに来た?」
イオは。
答えなかった。
「……」
「イオ?」
「私は」
「最後」
「……」
「三人が」
「互いを見つけた後に」
「私は」
「生まれた」
「どうして?」
イオは。
空っぽの空間を。
見つめる。
「三人だけでは」
「世界が」
「始まってしまうから」
「……?」
「一緒にいたい」
「守りたい」
「失いたくない」
「その願いだけでは」
「世界は」
「閉じてしまう」
「……」
「だから」
「最後に」
「私は」
「違う願いを持った」
「何?」
イオは。
俺を見る。
「――離れても」
「大丈夫」
「……」
「それを」
「知るための存在」
「……」
俺は。
言葉を失う。
それは。
俺が。
何度も。
学んできたことだった。
誰かが離れても。
その人の未来を。
奪わない。
誰かが別の世界へ行っても。
自分のものにしない。
愛することと。
縛ることは。
違う。
「……だから」
俺は。
呟く。
「お前は」
「最初から」
「第十原則を」
「持っていたのか」
イオが。
笑う。
「うん」
「他者の自由」
「それが」
「私」
その瞬間。
世界の中央に。
巨大な光が。
生まれた。
それは。
卵のような形だった。
白く。
透明で。
中には。
何もない。
『……』
幼いルナが。
その光を見る。
『あれは?』
イオが。
答える。
「世界」
『……』
『世界?』
「うん」
『世界って』
「まだ」
「名前がない」
『じゃあ』
少女は。
俺を見る。
『名前をつけよう』
「……」
まだ。
ルナではない少女が。
俺の手を。
握る。
『どんな名前がいい?』
俺は。
少し考える。
「……」
だが。
そこで。
イオが。
首を振った。
「まだ」
「決めちゃいけない」
「え?」
「この世界は」
「誰か一人が」
「決めるものじゃない」
「……」
イオが。
三人を見る。
「世界自身が」
「選べるように」
「しなきゃいけない」
俺は。
ハッとする。
「……今の世界と」
「同じだ」
「そう」
「じゃあ」
「この世界が」
「自分で」
「名前を選ぶまで」
「待つ」
俺は。
頷いた。
『……うん』
幼い少女も。
頷いた。
少年も。
頷いた。
そして。
三人と。
イオの間に。
約束が。
生まれた。
誰か一人が。
決めない。
誰か一人が。
支配しない。
みんなで。
選ぶ。
そして。
世界自身も。
選べるようにする。
――第一の約束。
「共に選ぶ」。
それが。
本当の始まりだった。
俺は。
その光景を。
見つめる。
そして。
気づく。
「……」
何かが。
おかしい。
「イオ」
「なに?」
「この後」
「どうして」
「俺たちは」
「この場所を」
「忘れた?」
イオは。
黙る。
「……」
「イオ?」
やがて。
彼女は。
答えた。
「忘れたんじゃない」
「……」
「忘れさせた」
「誰が?」
イオは。
俺を見る。
「あなた」
「……」
「レオン」
「俺が?」
「そう」
「なぜ?」
イオは。
泣きそうな顔で。
笑った。
「あなたが」
「一番」
「怖がったから」
「何を?」
「この世界が」
「生まれた瞬間に」
「私が」
「消えることを」
「……」
俺は。
息を呑む。
「俺が」
「それを」
「嫌がった?」
「うん」
「だから」
「あなたは」
「世界を」
「何度も」
「作り直した」
「……」
「私を」
「消さない世界を」
「作ろうとして」
「でも」
「できなかった」
「……」
俺は。
胸を押さえる。
百七十二の世界。
その全てが。
頭の中を。
流れる。
「じゃあ」
「俺が」
「ずっと」
「探していたのは」
「私」
「……」
「でも」
イオは。
首を振った。
「違う」
「え?」
「あなたが」
「探していたのは」
「私だけじゃない」
「……」
「あなたが」
「探していたのは」
「――誰も」
「犠牲にならない未来」
「……」
「だから」
「私を」
「救おうとして」
「世界を」
「何度も」
「作り直した」
俺は。
目を閉じる。
「……」
「だから」
「百七十三番目の世界でも」
「あなたは」
「同じことをした」
「……」
「でも」
「今度は」
「違った」
「……」
「あなたは」
「私を」
「救うことだけを」
「選ばなかった」
「みんなを」
「選んだ」
その瞬間。
俺の胸の奥で。
いくつもの光が。
重なった。
ユウト。
アリア。
セリア。
ルナ。
ユラ。
ミライ。
ノア。
カイ。
ソア。
カナ。
ハネ。
リク。
ハル。
エレナ。
そして。
イオ。
すべての光が。
一つにならず。
それぞれのまま。
輝いている。
「……」
イオが。
微笑む。
「それが」
「本当の」
「始まり」
そして。
世界の卵が。
ゆっくり。
開いた。
中から。
光が。
溢れ出す。
――パァァァァァッ!
眩しい。
俺は。
目を閉じる。
そして。
次に。
目を開けた時。
そこには。
青い空が。
あった。
緑の大地。
広い海。
遠くに。
一本の世界樹。
そして。
俺たち四人。
いや。
俺たちだけではない。
そこには。
たくさんの。
小さな光が。
浮かんでいた。
「……」
イオが。
空を見上げる。
「これが」
「最初の世界」
俺は。
頷く。
「……綺麗だな」
「ああ」
だが。
次の瞬間。
空に。
黒い亀裂が。
走った。
――バキッ。
「……!」
イオの顔が。
青ざめる。
「……早すぎる」
「何が?」
「選ばれる」
「……」
「世界が」
「誰か一人に」
「選ばれようとしてる」
空の亀裂から。
巨大な手が。
現れる。
そして。
その手が。
世界樹へ。
伸びていく。
『――この世界を』
『一つにする』
『誰か一人を』
『選べ』
俺は。
その声を聞いた瞬間。
理解した。
これが。
すべての始まりだった。
選択。
一つにすること。
一人を選ぶこと。
そして。
選ばれなかったものを。
世界の外へ。
追いやること。
俺は。
拳を握る。
「……」
イオが。
俺を見る。
「レオン」
「ん?」
「ここから先は」
「まだ」
「あなたが」
「知らない歴史」
「……」
「あなたが」
「世界を」
「何度も」
「やり直すことになった」
「最初の原因」
俺は。
空を見上げる。
そして。
言う。
「なら」
「ここで」
「変える」
イオが。
驚く。
「でも」
「これは」
「過去だよ」
「ああ」
「変えられない」
「違う」
俺は。
首を振る。
「俺たちが」
「ここに来た時点で」
「これはもう」
「過去じゃない」
「……」
「俺たちが」
「今」
「ここで」
「選ぶ」
その瞬間。
空に。
無数の光が。
生まれた。
白。
黒。
赤。
青。
金。
緑。
すべての色。
そして。
その中から。
一つだけ。
小さな光が。
俺の前に。
落ちてきた。
その光の中から。
声がする。
『レオン』
「……誰だ?」
『私は』
『まだ』
『生まれていない』
「……」
『でも』
『あなたを』
『知っている』
俺は。
息を呑む。
『あなたが』
『百七十二回』
『失敗した世界を』
『全部』
『見ていた』
「……!」
『だから』
『今度は』
『私が』
『あなたを』
『助ける』
俺の胸の奥で。
ミナの光が。
強く輝いた。
ミナが。
俺を見る。
「……お兄ちゃん」
「どうした?」
「その声」
「……」
ミナの顔が。
少し。
青ざめる。
「私」
「知ってる」
「また?」
「うん」
「誰なんだ?」
ミナは。
首を振る。
「分からない」
「でも」
「……」
「その人は」
「未来で」
「お兄ちゃんを」
「助ける人」
「……」
俺は。
空を見る。
そして。
小さな光に。
向かって。
問いかけた。
「お前は」
「いつ」
「生まれる?」
光は。
答えた。
『――あなたが』
『最後の世界を』
『作った時』
「……」
『だから』
『まだ』
『生まれられない』
そして。
光は。
消えた。
残ったのは。
一つの言葉。
――最後の世界。
俺は。
その言葉を。
聞きながら。
思った。
俺たちは。
まだ。
終わっていない。
むしろ。
今。
本当の始まりに。
立ったばかりなのだ。
そして。
俺は。
まだ知らない。
この世界で。
最初に。
「選ばれなかった存在」が。
誰なのかを。




