第90話 本当の始まり
「今度こそ」
「本当の」
「始まりを」
「思い出そう」
その言葉が。
耳に残った。
俺は。
目の前の人物を。
じっと見つめる。
黒い髪。
赤い瞳。
白い服。
どこか。
見覚えがある。
けれど。
誰なのか。
思い出せない。
「……お前は」
「誰なんだ?」
相手は。
笑った。
「それを」
「あなたが」
「思い出すんだよ」
「俺が?」
「そう」
「どうして俺が?」
「だって」
一歩。
こちらへ近づく。
「あなたが」
「私を」
「忘れたから」
「……」
胸の奥が。
ズキッと痛んだ。
忘れた。
その言葉に。
心当たりがない。
いや。
違う。
心当たりが。
ありすぎる。
俺は。
何度も。
忘れてきた。
世界を。
未来を。
人を。
自分自身さえ。
でも。
この人だけは。
本当に。
何も思い出せない。
「……レオン」
アリアが。
俺の横に立つ。
「大丈夫?」
「ああ」
俺は。
頷く。
「大丈夫だ」
でも。
声が。
少し震えていた。
ユウトが。
目の前の人物を見る。
「兄貴」
「ん?」
「俺も」
「こいつを」
「知らない」
「……」
ユウトが。
拳を握る。
「でも」
「なんか」
「嫌な感じがする」
「そうだな」
カイが。
一歩前へ出る。
「敵か?」
「分からない」
俺が。
答える。
「敵なら」
「戦う?」
「いや」
「……」
俺は。
首を振る。
「まず」
「話をする」
その人物は。
嬉しそうに。
笑った。
「やっぱり」
「あなたは」
「変わったね」
「……」
「昔のあなたなら」
「すぐに」
「戦っていた」
「昔?」
「うん」
「いつ?」
「全部が」
「始まる前」
「……」
その言葉に。
原初が。
反応した。
「……全てが始まる前」
「知っているのか?」
俺が聞く。
原初は。
しばらく。
黙っていた。
そして。
小さく。
首を振る。
「分からない」
「……」
「いや」
「正確には」
「知っているはずなのに」
「思い出せない」
俺は。
目の前の人物を見る。
「お前が」
「原初の記憶まで」
「消したのか?」
「違う」
「じゃあ」
「あなたが」
「消した」
「俺が?」
「そう」
「……」
相手は。
自分の胸を。
指差した。
「あなた自身が」
「忘れることを」
「選んだ」
「俺が?」
「うん」
「何のために?」
「それは」
少し。
悲しそうに。
笑った。
「あなたが」
「生きるため」
「……」
胸が。
また。
痛んだ。
「どういう意味だ?」
「まだ」
「全部は」
「思い出さない方がいい」
「なぜ?」
「思い出したら」
「今のあなたが」
「壊れるから」
「……」
俺は。
黙る。
その時。
ミナが。
俺の服を。
ぎゅっと掴んだ。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「この人」
「泣いてる」
「……」
見ると。
本当に。
赤い瞳から。
一筋の涙が。
流れていた。
「……どうして」
俺が。
聞く。
「私」
「あなたに」
「会いたかったから」
「ずっと」
「……」
「でも」
「あなたが」
「今のあなたとして」
「笑っているのを見たら」
「……」
「思い出してほしいって」
「言えなくなった」
その言葉に。
俺は。
胸を締めつけられた。
「じゃあ」
「無理に」
「思い出さなくていい」
俺が。
そう言うと。
相手は。
驚いた顔をした。
「……え?」
「俺が忘れていたことなら」
「今の俺が」
「必要だと思った時に」
「思い出せばいい」
「……」
「誰かに」
「思い出せと」
「言われる必要はない」
しばらく。
沈黙。
そして。
その人物は。
笑った。
「……やっぱり」
「あなた」
「変わったね」
「何度も」
「世界を」
「やり直したから?」
「違う」
「じゃあ?」
「みんなと」
「一緒に」
「選ぶことを」
「覚えたから」
「……」
その言葉に。
アリアが。
微笑んだ。
ユウトも。
頷く。
「確かにな」
俺は。
少しだけ。
照れた。
「……そうかもな」
すると。
空から。
一枚の黒い羽が。
落ちてきた。
「……?」
地面に。
触れた瞬間。
景色が。
変わった。
――ドクン。
世界樹が。
揺れる。
――ドクン。
俺の胸の光が。
揺れる。
――ドクン。
そして。
目の前の人物の胸から。
黒い光が。
飛び出した。
「……!」
それは。
俺の胸へ。
向かってくる。
「危ない!」
アリアが。
叫ぶ。
俺は。
逃げなかった。
なぜか。
分かった。
これは。
攻撃じゃない。
黒い光が。
俺の胸に。
触れる。
――ドクン。
世界が。
暗くなる。
そして。
俺は。
見た。
まだ。
何もなかった世界。
空もない。
大地もない。
時間もない。
名前もない。
ただ。
二つの光が。
浮かんでいた。
一つは。
白い。
もう一つは。
黒い。
その二つの光の間に。
俺がいた。
いや。
「俺になる前の存在」。
まだ。
名前すら。
なかった。
そして。
もう一人。
少女がいた。
白い髪。
赤い瞳。
ルナ。
……ではない。
ルナになる前の。
何か。
その二人は。
まだ。
世界というものを。
知らなかった。
ただ。
一緒に。
いた。
「……」
俺は。
その光景を。
見つめる。
そして。
もう一人。
いた。
三つ目の光。
小さく。
弱い光。
俺と。
少女の間を。
行ったり来たりしている。
「……あれは」
声が。
出る。
『僕だよ』
「……!」
さっきの。
少年の声。
最初のユウト。
三つ目の光。
『僕は』
『最初から』
『そこにいた』
『でも』
『まだ』
『生まれていなかった』
俺は。
光を見る。
『僕だけじゃない』
「……」
『もう一つ』
『光があった』
その瞬間。
四つ目の光が。
現れた。
赤い。
小さな光。
そして。
その光の中から。
声が。
聞こえる。
『私は』
『あなたたちを』
『見ていた』
『でも』
『近づけなかった』
「……誰?」
『私』
『名前がなかった』
『だから』
『あなたは』
『私に』
『名前を』
『くれた』
「……」
俺の記憶に。
何かが。
引っかかる。
「俺が?」
『うん』
『あなたは』
『言った』
『――』
そこで。
映像が。
途切れる。
「……!」
俺は。
息を呑んだ。
目の前に。
戻ってくる。
「……今のは」
目の前の人物が。
頷く。
「本当の始まり」
「……」
「世界より前」
「願いより前」
「選択より前」
「名前より前」
「そこには」
「四つの存在が」
「いた」
「……四つ?」
「そう」
俺。
ルナ。
最初のユウト。
そして。
「私」
「……」
俺は。
目の前の人物を見る。
「お前が」
「四つ目?」
「そう」
「じゃあ」
「どうして」
「忘れたんだ?」
相手は。
少しだけ。
俯いた。
「私が」
「消えることを」
「選んだから」
「……」
「あなたたちが」
「世界を」
「作るために」
「必要だったから」
「でも」
「どうして」
「消える必要が?」
「四つの存在が」
「全部」
「世界に残ったら」
「世界は」
「始まらなかった」
「……」
俺は。
理解できない。
「じゃあ」
「お前を」
「犠牲にしたのか?」
「違う」
「……」
「私自身が」
「そう選んだ」
「……!」
「誰かに」
「選ばされたんじゃない」
「私が」
「決めた」
「それでも」
「……」
「あなたは」
「ずっと」
「私を」
「探していた」
「俺が?」
「うん」
「だから」
「世界が」
「何度も」
「繰り返された」
「……」
俺の胸に。
これまでの。
百七十二の世界が。
一気に。
蘇る。
「……」
「俺が」
「世界を」
「やり直した理由は」
「ユウトを」
「救うためだけじゃ」
「なかった?」
相手は。
静かに。
頷いた。
「そう」
「あなたは」
「最初から」
「もう一人を」
「探していた」
「……」
「ただ」
「そのことを」
「忘れていた」
俺は。
言葉を失った。
ユウトが。
俺の肩を。
掴む。
「兄貴」
「……」
「大丈夫か?」
俺は。
しばらく。
答えられなかった。
でも。
やがて。
息を吐く。
「……ああ」
「本当に?」
「……分からない」
正直に。
答える。
「でも」
「逃げない」
その言葉に。
目の前の人物が。
笑った。
「それでいい」
「……」
「じゃあ」
「私も」
「もう」
「隠れない」
そして。
初めて。
その人物が。
自分の名前を。
口にした。
「私の名前は」
「――イオ」
「イオ……」
「うん」
「意味は?」
イオは。
空を見上げた。
「まだ」
「決めてない」
「……え?」
「名前は」
「意味から」
「決めなくてもいい」
「自分で」
「生きながら」
「意味を」
「作っていく」
俺は。
笑った。
「……それ」
「俺たちの世界と」
「同じだな」
「うん」
イオも。
笑う。
「だから」
「私は」
「ここにいる」
「……」
その瞬間。
世界樹が。
大きく。
揺れた。
枝の先に。
新しい葉が。
現れる。
そして。
そこに。
新しい文字が。
浮かび上がった。
第十四原則――存在は、過去の役割で決まらない。
かつて。
犠牲になるはずだった存在も。
誰かのためだけに。
作られた存在も。
役割を終えた存在も。
それだけではない。
自分で。
次を。
選べる。
イオは。
その葉を見つめる。
「……」
そして。
小さく。
呟いた。
「私」
「やっと」
「始まれたんだ」
その瞬間だった。
――ゴゴゴゴゴゴッ。
大地が。
揺れた。
「……!」
世界樹の根元から。
巨大な亀裂が。
走る。
「何だ!?」
カイが。
叫ぶ。
亀裂の向こうから。
黒い光が。
吹き上がる。
ユラが。
顔を強張らせた。
「……これ」
「知ってるのか?」
「ううん」
「でも」
ユラは。
震える声で。
言った。
「これは」
「終わりじゃない」
「……」
「終わりより」
「もっと」
「古い」
その瞬間。
地面の下から。
声がした。
『――やっと』
『見つけた』
『四人目』
イオが。
顔を上げる。
「……」
その表情から。
初めて。
笑顔が消えた。
「……来た」
「誰が?」
イオは。
俺を見る。
「私を」
「消した」
「存在」
「……!」
『――返してもらおう』
黒い光が。
大地を。
覆っていく。
そして。
世界樹の根元に。
巨大な扉が。
浮かび上がった。
赤でもない。
黒でもない。
白でもない。
すべての色を。
失った扉。
その扉には。
たった一文字。
刻まれていた。
――「零」。
イオが。
震える声で。
言った。
「お兄ちゃん」
「……」
「これが」
「本当の」
「始まり」
俺は。
その扉を。
見つめる。
そして。
思った。
俺たちは。
今まで。
「始まり」だと。
思っていた場所に。
何度も。
立ってきた。
でも。
違った。
そのさらに。
奥があった。
世界の始まりより。
前。
願いの始まりより。
前。
名前の始まりより。
前。
そこには。
俺たち四人が。
いた。
そして。
まだ。
何も。
選ばれていなかった。
俺は。
ゆっくり。
扉へ。
歩き出す。
「……行こう」
アリアが。
隣に来る。
「うん」
ユウトも。
続く。
「今度は」
「みんなでな」
俺は。
頷いた。
そして。
「零」の扉に。
手を伸ばす。
――カチッ。
扉の向こうから。
声がした。
『ようこそ』
『レオン』
『ここから先は』
『お前が』
『一度も』
『選ばなかった世界だ』
扉が。
ゆっくり。
開いていく。
その先に。
俺たちが。
まだ。
知らない。
「最初の世界」が。
待っていた。




