第82話 消えた約束
「……ルナ」
俺は。
もう一度。
その名前を呼んだ。
返事はない。
夜の世界樹は。
静かだった。
風が。
葉を揺らしている。
新しく作られた家の窓からは。
明かりが漏れていた。
アリアたちが。
俺を心配して。
待っている。
それでも。
俺は。
動けなかった。
足元に咲いている。
小さな白い花。
その花に刻まれた。
一つの言葉。
――また会おう。
「……絶対に」
俺は。
花に触れる。
「また会う」
その時。
背後から。
声がした。
「レオン」
振り返る。
ユウトだった。
「まだここにいたんだ」
「ああ」
「……ルナを探してる?」
「うん」
ユウトは。
俺の隣に座った。
「俺も」
「探すよ」
「でも」
「兄ちゃん」
「ん?」
「一つだけ」
「言っておきたい」
ユウトは。
空を見る。
「ルナが」
「戻ってくるって」
「決めつけちゃ」
「駄目だと思う」
「……」
「兄ちゃんが」
「昔やってたみたいに」
胸が。
少し。
痛んだ。
「……そうだな」
「ルナが」
「どこか別の場所で」
「別の未来を選んでるなら」
「それも」
「受け入れないと」
「うん」
ユウトは。
笑う。
「でも」
「探すことは」
「いいよね?」
俺は。
ユウトを見る。
「ああ」
「探す」
「ただし」
「連れ戻すんじゃない」
「見つけるだけ」
「うん」
それが。
今の俺たちの。
新しい約束だった。
――翌朝。
「ルナを探す!」
ノアが。
元気よく。
手を上げた。
「私も!」
セリア。
「もちろん」
アリア。
「僕も」
リク。
ソアも。
小さく。
手を上げる。
「……私も」
カイは。
腕を組んで。
少し。
照れながら。
「俺も行く」
「みんな……」
俺は。
思わず。
笑った。
「じゃあ」
俺たちは。
出発することにした。
ただ。
問題が一つ。
「どこを探す?」
ミアが。
首を傾げる。
「それなんだよな」
俺も。
困っていた。
ルナの気配は。
どこにもない。
魔力も。
世界樹からの反応もない。
まるで。
最初から。
この世界に。
存在していなかったみたいに。
「……」
その時。
エレナが。
世界樹の根元を。
指差した。
「レオン」
「ん?」
「これ」
根元に。
小さな黒い線が。
伸びている。
昨日までは。
なかった。
「……」
俺が。
しゃがむ。
黒い線は。
地面の中へ。
続いていた。
「地下?」
カイが。
言う。
「違う」
観測者が。
静かに。
答えた。
「これは」
「世界の外側へ」
「伸びている」
「……!」
俺は。
立ち上がった。
「世界の外?」
「そう」
観測者は。
黒い線を見る。
「ただし」
「今までの外とは」
「違う」
「どういう意味?」
「これは」
「誰かが」
「出ていった痕跡だ」
「……」
俺は。
黒い線に。
手を触れた。
その瞬間。
頭の中に。
映像が流れた。
白い空間。
一人の少女。
ルナ。
彼女が。
歩いている。
「ルナ……!」
俺は。
その映像を。
追おうとする。
けれど。
すぐに。
映像が。
途切れた。
代わりに。
黒い光が。
現れた。
あの光。
俺たちと。
一緒にいた。
「……」
黒い光が。
ルナの後ろを。
ついていく。
まるで。
彼女を。
守るように。
「黒い光……」
俺は。
呟いた。
すると。
観測者が。
顔を強張らせた。
「……ありえない」
「何?」
「それは」
「消えたはずだ」
「でも」
「見えた」
「確かに」
観測者は。
頷く。
「君たちが」
「最初の約束を」
「理解した瞬間」
「黒い光は」
「君とルナから」
「離れた」
「じゃあ」
「どこへ?」
「……」
観測者は。
答えない。
代わりに。
原初が。
静かに。
言った。
「世界の」
「さらに外へ」
「……」
「ただし」
原初は。
黒い線を見る。
「外へ出たのではない」
「なら?」
「外と」
「内の間に」
「留まっている」
「……?」
「境界だ」
俺は。
黒い線を見る。
その時。
線の先から。
小さな音がした。
――コツ。
「……?」
――コツ。
まるで。
誰かが。
扉を叩いている。
「誰?」
ノアが。
俺の後ろに隠れる。
――コツ。
――コツ。
そして。
声がした。
『……いる?』
「……!」
その声。
聞き覚えがある。
「ルナ?」
『……』
返事は。
ない。
もう一度。
俺が呼ぶ。
「ルナ!」
『……レオン?』
間違いない。
ルナだ。
「ルナ!」
俺は。
黒い線に。
手を伸ばす。
けれど。
触れた瞬間。
――バチッ!
「っ!」
弾き飛ばされた。
「レオン!」
アリアが。
駆け寄る。
「大丈夫?」
「ああ」
手を見る。
少し。
痺れている。
「……」
黒い線の向こうから。
ルナの声がする。
『ごめん』
「どうして?」
『私』
「うん」
『今』
『そっちに』
『行けない』
「……」
「どうして?」
『分からない』
「……」
『でも』
『ここから』
『動けない』
「そこは」
『……』
「どこ?」
長い沈黙。
そして。
ルナが。
答えた。
『約束と』
『約束の間』
「……?」
『あなたと私が』
『一緒にいると』
『決めた場所と』
『別々の未来を』
『選ぶ場所』
『その間』
「……」
観測者が。
息を呑む。
「そんな場所が……」
原初が。
呟いた。
「存在していたのか」
ルナの声が。
続く。
『私は』
『ここで』
『気づいた』
「何に?」
『黒い光は』
『恐怖じゃなかった』
「……」
『誰かを』
『失うことを』
『怖がる心』
『それだけじゃない』
『それは』
『誰かを』
『大切に思う心でも』
『あった』
「……」
『だから』
『私は』
『それを』
『捨てなかった』
俺は。
目を閉じる。
「じゃあ」
「今」
「一緒にいる?」
『うん』
「……」
『でも』
『戻れない』
「なぜ?」
ルナが。
少し。
悲しそうに。
言う。
『ここには』
『まだ』
『名前がない』
「……」
『名前がないものは』
『この世界に』
『戻れない』
「……!」
それは。
第八原則と。
関係している。
存在の自己決定。
自分自身を。
定義する。
「じゃあ」
俺は。
言った。
「名前を」
「決めればいい」
『……』
「ルナ」
『うん』
「この場所の名前を」
「ルナ自身が」
「決めればいい」
『……』
しばらく。
沈黙。
やがて。
ルナが。
小さく。
笑った。
『私』
『考えてみる』
「うん」
『レオン』
「ん?」
『ありがとう』
「……」
『私』
『今』
『一人じゃないから』
俺は。
少し。
笑った。
「分かった」
通信が。
切れた。
「……」
静かになる。
ソアが。
黒い線を見る。
「ルナ」
「まだ」
「そこにいる」
「そうだな」
「じゃあ」
ソアが。
振り返る。
「探しに行く?」
俺は。
頷いた。
「行こう」
けれど。
その時。
カイが。
突然。
空を見る。
「待って」
「どうした?」
「……誰か」
「来る」
「また?」
「違う」
カイは。
首を振る。
「今度は」
「敵じゃない」
空から。
何かが。
落ちてきた。
白い。
羽根。
一枚。
それが。
地面に。
触れた瞬間。
人の姿へ。
変わった。
「……!」
少女だった。
白い髪。
赤い瞳。
十歳くらい。
俺は。
息を呑む。
「……ルナ?」
少女は。
首を傾げる。
「……?」
「……」
違う。
ルナじゃない。
でも。
どこか。
似ている。
少女は。
俺を見る。
「あなた」
「レオン?」
「……!」
「どうして」
「私」
「あなたの名前を」
「知ってるの?」
少女自身も。
分からないらしい。
困った顔をする。
「私」
「何者?」
俺は。
答えようとして。
やめた。
「……」
そして。
しゃがみ込む。
少女と。
目線を合わせる。
「それは」
「君が決めることだよ」
少女は。
目を丸くする。
「……」
「名前も」
「ここにいる理由も」
「何になりたいかも」
「全部」
「君が決めていい」
少女は。
しばらく。
考えた。
そして。
空を見上げる。
「……」
「どうした?」
「羽根」
「え?」
「私」
「羽根から」
「生まれたから」
少女は。
小さく。
笑った。
「……ハネ」
「ハネ?」
「うん」
「私」
「ハネ」
俺は。
笑った。
「いい名前だ」
ハネは。
嬉しそうに。
頷く。
その瞬間。
世界樹が。
大きく。
光った。
紫色の葉。
青い葉。
黒い葉。
白い葉。
そして。
新しい。
透明な葉。
一本の枝が。
空へ。
伸びていく。
エレナが。
驚いた声を上げる。
「……新しい反応」
「何?」
「名前を」
「自分で決めた存在が」
「生まれたことで」
「世界の構造が」
「変わっている」
「……」
原初が。
世界樹を見る。
「自己定義が」
「新しい存在を」
「受け入れ始めた」
「じゃあ」
「ハネも」
「この世界の一部に?」
「そうだ」
ハネが。
世界樹を見る。
「……綺麗」
「触ってみる?」
俺が。
言う。
ハネは。
頷いた。
小さな手が。
幹に触れる。
その瞬間。
世界樹が。
一気に。
光り輝いた。
そして。
一本の枝の先に。
小さな蕾が。
生まれた。
「……?」
蕾。
まだ。
咲いていない。
けれど。
その中から。
何かの気配がする。
アリアが。
俺を見る。
「また」
「新しい命?」
「分からない」
俺は。
蕾を見る。
その時。
蕾の中から。
声がした。
『……』
誰も。
言葉を失う。
『……私は』
小さな声。
震える声。
『……何?』
ソアが。
目を見開く。
「……」
俺は。
蕾を見る。
「また」
新しい存在。
けれど。
今度は。
違った。
声は。
こう続いた。
『私は』
『名前を』
『知ってる』
「……!」
『私は』
『ずっと』
『ここに』
『いた』
『あなたたちが』
『私を』
『忘れていただけ』
世界樹の蕾が。
ゆっくり。
開き始める。
その中から。
黒い光が。
漏れた。
「……!」
俺は。
息を呑む。
その光を。
知っている。
――あの黒い光。
最初の約束から。
生まれた。
恐怖。
愛情。
喪失。
全部が。
混ざった光。
「……お前」
黒い光が。
言う。
『やっと』
『見つけた』
「……誰を?」
黒い光は。
答える。
『私自身を』
蕾が。
完全に。
開く。
そして。
中から。
一人の少女が。
ゆっくり。
姿を現した。
黒い髪。
白い服。
赤い瞳。
ルナと。
よく似ている。
けれど。
ルナではない。
少女は。
俺を見る。
そして。
初めて。
自分の名前を。
口にした。
「……私は」
「――ノアじゃない」
「ルナでもない」
「ユラでもない」
「ソアでもない」
少女は。
胸に。
手を当てる。
「私は」
「私」
そして。
笑った。
「――カナ」
その瞬間。
世界樹の根元から。
黒い根が。
一本。
地面を突き破った。
同時に。
遠い空の向こうで。
あの外の存在が。
初めて。
怒りの声を上げた。
『――それは』
『存在してはならない』
「……!」
カナが。
空を見る。
怯えている。
けれど。
逃げない。
俺は。
その前に。
立った。
「何者だろうと」
「ここにいるなら」
「俺たちの仲間だ」
空の声が。
響く。
『違う』
『その者は』
『私が』
『選ばなかった』
「……」
『だから』
『存在してはならない』
俺は。
拳を握る。
そして。
カナを見る。
カナも。
俺を見る。
「カナ」
「……うん」
「ここにいたい?」
カナは。
迷わなかった。
「いたい」
「この世界で」
「生きたい?」
「うん」
「じゃあ」
俺は。
笑った。
「それで十分だ」
空が。
大きく。
裂けた。
――次の戦いが。
始まる。
けれど。
今度は。
世界を守る戦いじゃない。
一人の存在が。
「存在していい」と。
自分自身で。
選ぶための戦い。




