第80話 レオンという名前
『レオン』
胸の奥に。
浮かんだ文字。
それを。
俺は。
じっと見つめていた。
――レオン。
俺の名前。
ずっと。
そう呼ばれてきた。
ユウトも。
アリアも。
セリアも。
みんな。
俺を。
レオンと呼ぶ。
だから。
疑ったことなんて。
一度もなかった。
「……俺の名前」
小さく。
呟く。
すると。
胸の奥の扉が。
淡く。
光った。
――ギィ。
扉が。
少しだけ。
開く。
「……」
中に。
何かが。
見えた。
白い部屋。
何もない。
ただ。
中央に。
椅子が一つ。
その椅子に。
誰かが。
座っている。
「……誰だ?」
返事は。
ない。
俺は。
一歩。
近づいた。
すると。
背中を向けていた人物が。
ゆっくり。
振り返った。
「……」
俺は。
息を呑んだ。
そこにいたのは。
俺だった。
「……俺?」
姿。
顔。
髪。
服。
全部。
同じ。
ただ。
一つだけ。
違った。
目が。
閉じている。
まるで。
眠っているように。
「おい」
声をかける。
反応は。
ない。
「お前」
「誰だ?」
その少年は。
目を閉じたまま。
答えた。
『レオン』
「……」
『僕が』
『レオン』
「俺も」
『そう』
「じゃあ」
俺は。
問いかける。
「どっちが」
「本物なんだ?」
少年は。
しばらく。
黙っていた。
そして。
静かに。
言った。
『その質問を』
『ずっと』
『待ってた』
「……」
『君が』
『そこまで』
『辿り着くのを』
俺は。
眉を寄せる。
「何を知ってる?」
『全部』
「……」
『と言いたいけど』
少年は。
少しだけ。
笑った。
『僕も』
『全部は知らない』
「なら」
「何なんだ?」
少年は。
自分の胸に。
手を置いた。
『僕は』
『名前』
「名前?」
『そう』
『君が』
『レオンという名前を』
『持つ前の』
『名前』
「……」
意味が。
分からない。
「名前を」
「持つ前?」
『うん』
『名前は』
『最初から』
『存在していたわけじゃない』
「……」
『誰かが』
『誰かを』
『呼ぶことで』
『初めて』
『名前になる』
「じゃあ」
「俺のレオンという名前は」
『誰が』
『つけたと思う?』
俺は。
答えられなかった。
父さん。
母さん。
そう思った。
けれど。
違う。
この世界の。
最初の記憶には。
俺の名前を呼ぶ声が。
あった。
――レオン。
――レオン。
――兄ちゃん。
でも。
その前は?
俺は。
何者だった?
「……分からない」
『それでいい』
少年は。
笑った。
『分からないことを』
『分からないと言えること』
『それも』
『選択だから』
その言葉に。
俺は。
少しだけ。
驚いた。
「お前」
「第七原則のことを」
『知ってる』
「どうして?」
『僕は』
『それより前から』
『ここにいたから』
「……!」
『自己定義』
『他者選択の禁止』
『再選択』
『未来の非固定』
『全部』
『君たちが』
『生み出した』
「……」
『でも』
少年は。
自分の胸を。
指差した。
『一つだけ』
『君たちが』
『まだ』
『生み出していないものがある』
「何?」
『始まり』
「……」
『この世界の始まりじゃない』
『君自身の』
『始まり』
「俺の……」
『そう』
少年が。
立ち上がる。
そして。
俺の目の前まで。
歩いてきた。
顔が。
近い。
「……」
俺は。
後ろへ。
下がろうとした。
けれど。
足が。
動かなかった。
少年が。
俺の胸に。
手を当てる。
その瞬間。
――ドクン。
胸の中の光が。
強く。
輝いた。
二つ。
三つ。
いや。
もっと。
無数の光が。
浮かび上がる。
「……これは」
『君が』
『生きてきた証』
『百七十三の世界』
『選んだ未来』
『捨てた未来』
『救えなかった未来』
『救った未来』
『全部』
『君の中にある』
「……」
『でも』
少年は。
俺を見る。
『一つだけ』
『ない』
「何が?」
『最初』
「……」
『君が』
『レオンになる前』
『そこだけが』
『空白なんだ』
その瞬間。
白い部屋が。
揺れた。
――ゴゴゴゴゴ。
床に。
亀裂が走る。
「何だ!?」
少年は。
驚いていない。
『来た』
「誰が?」
『君が』
『一番』
『会いたくないもの』
「……」
空間の奥。
黒い扉が。
開いた。
そこから。
声が。
聞こえる。
『――名前を』
『返してもらおう』
「……!」
俺は。
その声を。
知っていた。
あの外の存在。
世界に。
名前をつけようとした者。
「……お前」
『レオン』
『君は』
『本当は』
『その名前ではない』
「……」
『その名前は』
『私が』
『与えた』
「嘘だ」
俺は。
即座に。
否定した。
『なぜ?』
「俺の名前は」
「俺が生きてきた証だ」
『違う』
「……」
『君は』
『名前によって』
『生き方を』
『決められた』
『兄』
『守る者』
『選ぶ者』
『犠牲になる者』
『世界を救う者』
『レオンという名前には』
『最初から』
『役割が』
『刻まれていた』
「……」
俺は。
言葉を失った。
思い返す。
ユウト。
世界。
願い。
犠牲。
選択。
何度も。
何度も。
俺は。
「レオン」として。
同じ道を。
歩いていた。
『だから』
黒い存在が。
言う。
『名前を』
『返せ』
『君は』
『本当の自分に』
『戻るべきだ』
「……」
少年が。
俺を見る。
『どうする?』
「……」
『君は』
『レオンなのか?』
「……」
『それとも』
『レオンではないのか?』
その問いに。
俺は。
答えられなかった。
初めて。
怖いと思った。
もし。
俺の名前が。
俺自身ではなかったら。
今までの俺は。
何だった?
ユウトを守ろうとした俺。
みんなを救おうとした俺。
普通に生きたいと思った俺。
全部。
誰かに。
作られたものだったら?
「……」
胸が。
痛い。
その時。
遠くから。
声がした。
「レオン!」
アリア。
「レオン!」
ユウト。
「お兄ちゃん!」
ノア。
「レオン!」
セリア。
「レオン!」
みんな。
俺を。
呼んでいる。
何度も。
何度も。
「レオン!」
その声を。
聞いた瞬間。
俺は。
目を閉じた。
そして。
笑った。
「……そうか」
黒い存在が。
黙る。
「名前が」
「誰かに与えられたものでも」
「関係ない」
『……』
「俺が」
「その名前で」
「何をしてきたか」
「それは」
「俺自身が決めた」
『……』
「だから」
俺は。
顔を上げた。
「俺は」
「レオンだ」
少年が。
笑う。
『……やっと』
『言ったね』
「何?」
『自分で』
『選んだ』
『レオンという名前を』
「……」
胸の中で。
何かが。
弾けた。
――パァン!
白い空間が。
光に包まれる。
少年の姿が。
崩れていく。
「おい!」
俺は。
手を伸ばす。
「待て!」
少年は。
笑っている。
『僕は』
『君じゃない』
「……」
『でも』
『君の中にある』
『空白だった』
『始まり』
「始まり……」
『うん』
『君が』
『自分で』
『自分の名前を』
『選んだ瞬間』
『僕の役目は』
『終わる』
「待て!」
少年の身体が。
光になる。
『レオン』
「……」
『今度は』
『名前じゃなく』
『生き方を』
『選んで』
「……ああ」
光が。
胸の中へ。
入ってくる。
その瞬間。
俺は。
目を覚ました。
「……!」
世界樹の下。
俺は。
倒れていた。
「レオン!」
アリアが。
俺を抱き起こす。
「大丈夫!?」
「……ああ」
「急に倒れたから」
「びっくりした」
「ごめん」
ユウトも。
隣にいる。
「兄ちゃん」
「ん?」
「何か」
「見た?」
「ああ」
「俺?」
「……」
俺は。
少し。
笑った。
「お前じゃない」
「そっか」
ユウトも。
笑った。
ソアが。
俺の顔を。
覗き込む。
「レオン」
「ん?」
「今」
「どんな顔?」
「え?」
「さっきより」
「少し」
「違う」
俺は。
考える。
「……分からない」
ソアは。
嬉しそうに。
笑った。
「私も」
「まだ」
「分からない」
「何が?」
「自分が」
「何者なのか」
「……」
「でも」
ソアは。
胸に。
手を当てた。
「分からないまま」
「ここにいる」
「それで」
「いいんだよね?」
「ああ」
俺は。
頷いた。
「それでいい」
その時。
世界樹から。
音がした。
――カチッ。
全員が。
振り返る。
幹に。
新しい文字が。
浮かび上がっていた。
第八原則――存在の自己決定
エレナが。
読み上げる。
「自分が何者なのか」
「自分自身が決める」
「……」
原初が。
静かに。
呟いた。
「また」
「世界が」
「進んだな」
けれど。
その直後。
世界樹の根元。
地面が。
黒く染まった。
「……?」
カイが。
警戒する。
「まだ」
「終わってない」
黒い染みから。
一枚の紙が。
ゆっくり。
浮かび上がった。
そこには。
見たことのない文字が。
書かれていた。
エレナが。
読む。
「これは……」
「何?」
エレナの顔が。
青ざめる。
「古い文字です」
「どれくらい?」
「世界が」
「生まれる前の」
「……!」
俺は。
紙を見る。
一行だけ。
読めた。
『レオンという名前を最初に呼んだ者――ルナ』
「……え?」
俺は。
ルナを見る。
白い髪。
赤い瞳。
小さな身体。
ルナは。
紙を見つめていた。
「……」
「ルナ?」
ルナは。
答えない。
「どうした?」
「……」
しばらく。
沈黙したあと。
ルナが。
小さく。
言った。
「……覚えてる」
「何を?」
ルナは。
震える手で。
自分の胸を押さえた。
「私」
「ずっと」
「忘れてた」
「……」
「世界を」
「作る前」
「最初の光を」
「作る前」
「全部の前」
ルナの目から。
涙が。
落ちる。
「私には」
「もう一人」
「いた」
「……!」
「一人?」
ルナは。
頷く。
「うん」
「私と」
「同じ場所に」
「ずっと」
「一緒にいた」
俺は。
息を呑む。
「それは」
「誰?」
ルナは。
俺を見る。
そして。
震える声で。
言った。
「……レオン」
「……」
世界が。
静かになる。
「私が」
「最初に」
「名前をつけた」
「最初の子」
「……」
「それが」
「あなた」
俺は。
何も。
言えなかった。
ルナが。
続ける。
「でも」
「あなたは」
「世界を作る前に」
「私から」
「消えた」
「……」
「だから私は」
「世界を作った」
「あなたを」
「もう一度」
「見つけるために」
胸の奥で。
さっきの光が。
強く。
輝く。
――ドクン。
――ドクン。
そして。
俺の前に。
新しい文字が。
浮かんだ。
『第一のレオン』
その文字を見た瞬間。
世界樹の上空に。
巨大な扉が。
現れた。
その扉には。
これまで。
一度も。
見たことのない言葉が。
刻まれていた。
『世界が生まれる前の世界』
俺は。
息を呑む。
ルナが。
泣きながら。
俺を見る。
「レオン」
「……」
「お願い」
「何?」
「一緒に」
「来て」
「……」
「私」
「まだ」
「思い出せてない」
ルナは。
涙を拭う。
「あなたと」
「私が」
「最初に」
「何を約束したのか」
扉が。
ゆっくり。
開き始める。
その向こうには。
何もない。
光も。
闇も。
時間も。
空間も。
ただ。
一つの小さな声だけが。
聞こえた。
『――おかえり』
俺は。
その声を。
聞いた瞬間。
なぜか。
涙が。
止まらなくなった。
「……知ってる」
俺は。
呟く。
「この声」
そして。
扉の向こうから。
もう一度。
声がした。
『――やっと』
『帰ってきたね』
俺たちは。
誰も。
動けなかった。
第零の門。
その先。
そこにあるのは。
世界の始まりではない。
そのさらに前。
俺が。
まだ。
「レオン」ではなかった頃。
そして。
ルナが。
まだ。
「ルナ」ではなかった頃。
二人が。
初めて。
出会った場所。




